偽りのディセシア~名門公爵家の令嬢として王太子の愛を奪った私の罪
「あら、お久しぶりですわ。ディセシア様。しばらく見ないうちに雰囲気が変わられたのではなくて?」
ディセシアは、夜会で声をかけられた令嬢に向かって、
「王立学園を卒業して2年も経てば雰囲気も変わりますわ」
扇を手ににこやかに応じる。
そう、ばれてはいけない。自分は偽物なのだから。
ディセシア・レセル公爵令嬢。20歳になる公爵令嬢は今年、王太子妃になる予定だ。
結婚式は来月に控えていて、ロディス王太子殿下との仲もそれなりに良好である。
3年に渡る婚約期間を経て、やっと婚姻するのだ。
金の髪に青い瞳のそれはもう美しいディセシアは、一つ年下のロディス王太子殿下も、金の髪に青い瞳の美しい男性で二人はお似合いのカップルと言われている。
だが、ディセシアには秘密があった。
そう、自分は偽物なのだ。
三年前、ロディス王太子は結婚する予定だった隣国のメリア王女が亡くなった事により、新たに結婚相手を探さねばならなくなった。隣国の王家には他に王女がいなかったため、白紙に戻った結婚相手。国内の有力貴族の令嬢を新たに婚約者にと白羽の矢が立ったのが、筆頭公爵家で名門であるレセル公爵家の令嬢ディセシアである。
当時17歳。王立学園に通っていたディセシアはそれはもう美しい令嬢であった。
ただ、ロディス王太子とは交流がなかった。
何故なら男女、校舎が別であったのに加え、学年も違ったからである。ロディス王太子の方が一年下で、交流の為、合同で受ける授業がたまにあっても、接触がまるでなかったのだ。
それでも、学業の成績が良く、立ち居振る舞いも一流なディセシアには婚約の申し込みが後を絶たなかった。ただ、ディセシアは父に頼んで首を振り続けていた。
「わたくしは、まだ婚約相手を見つけたくありません」
そう頑なに断り続けてきたのだ。
そしてこうも言っていた。
「わたくしは、ロディス王太子殿下と結婚したいと思っております。でも、ロディス王太子殿下には隣国の王女様との婚約が。わたくしは側妃でもかまいません。わたくしの子が、いずれ王家の血を引いて王国に君臨するのを見たいのです」
レセル公爵は野心家だった。
「そうだな。お前がそう言うのなら、王女に子が出来ぬように薬を盛ってもよいかもしれぬ」
そんなディセシアのもとに仕えていたのが、マリーである。
マリーは、ディセシアのいとこで、彼女とは同い歳だ。
母同士が姉妹で双子なので、よく似ていた。
ただ、母が伯爵家に嫁いだので、伯爵令嬢のマリーは公爵令嬢ディセシアにいいように使われていた。
ディセシアの傍で使用人として仕え、礼儀作法を習えと両親に言われていたので、12歳の頃からレセル公爵家に行き、ディセシアの傍で仕えていた。
ただ、マリーも貴族だったので、王立学園に行くことが出来た。
マリーはディセシアと同じクラスだったが、あまりにも似ていたので、あえて似ないように、髪を染めて眼鏡をかけ、目立たないようにした。
ディセシアより目立つわけにはいかないのだ。
ディセシアはそんなマリーをこき使った。
マリーは慣れていたので、ディセシアの言いなりに、彼女の世話をした。
そんなディセシアが17歳の時にロディス王太子殿下との婚約話が持ち上がったのだ。
なんでも王妃がディセシアの優秀さと美しさ、名門公爵家の出自を認めて国王陛下に勧めたというのだ。
ディセシアは喜んだ。
「わたくしは将来、王妃になれるのね。隣国の王女が死んで万々歳だわ。まさかお父様が?」
レセル公爵は首を振って、
「いくら私でも隣国の王宮まで手を回せない。病死だったらしいぞ。まぁいい。私の娘が将来王妃か」
喜ぶ二人の会話をマリーはお茶を出しながら聞いていた。
それなのに一週間後、突然、言われたのだ。
レセル公爵から、
「マリー。お前がディセシアになりすまして、ロディス王太子殿下と婚約しろ。これは私からの命令だ」
「え??私がですか?」
ディセシアはマリーを見やり、
「貴方はわたくしにそっくりだから、騙されるわ。本当に悔しい。わたくしが結婚したかったのに。ロディス様の妻になりたかったのに」
「ディセシア様が結婚すればよいではありませんか」
「それが出来ればこんなに苦しまないわよ」
「理由を教えて下さいませんか?」
「理由を言う訳にはいかないわ。貴方はわたくしになりすまして、ロディス王太子殿下と婚姻しなさい。将来の王妃になりなさい」
恐ろしい命令だ。
ばれたら首が飛ぶ。でも、レセル公爵家の命令を背いたら実家の伯爵家の両親に迷惑がかかる。
マリーはその日からディセシアとして生きる事になった。
本物のディセシアは、
「わたくしはマリーとして生きるわ。二人のディセシアがいたらまずいもの。貴方の先生となって、これまで以上に教えます。しっかりと学んで、将来の王妃にふさわしい人間になって頂戴」
本物のディセシアは髪色を変えて眼鏡をかけ、マリーとして。
そしてマリーはディセシアとして生きる事になった。
王太子の婚約者になったのだ。王太子妃教育もある。
マリー(ディセシア)は、ディセシア(マリー)の王太子妃教育にも付き添って、色々とアドバイスをしてくれた。
「もっと背筋を伸ばして下さいませ。ディセシア様」
マリーの言葉にディセシアは、
「こうですの?マリー」
「ええ。いい姿勢でございます」
自分の主であった人が、自分の下で働いて色々とアドバイスをしてくれる。
なんだが凄く困ってしまって。
ロディス王太子とのお茶にも、使用人としてマリーが後ろに控えて付き添って。
王宮のテラスでお茶をする。ロディス王太子はディセシアに、
「いつもその使用人は一緒にいるね」
「マリーはわたくしのお気に入りなのですわ」
「そうなのか。私はディセシア嬢を遠くから見た事がある。凛としていて、輝いていた。
君と婚約を結べて嬉しいよ」
「まぁ、そう言って頂けてわたくしも嬉しいですわ」
背にマリーの視線を感じる。何だか睨まれているみたいで。
ロディス王太子は立ち上がって、ディセシアの傍に来て、
「一緒に庭を歩かないか?」
「そうですわね」
「二人きりで」
マリーの視線が無くて安堵した。
二人で王宮の庭の薔薇の小道を歩く。
ロディス王太子は、
「幼い頃に一度、私達は会っているんだよ。その頃の君も、可愛らしくて。王立学園での成績も学年1位だそうだね。私は10位以内にかろうじて入っている感じかな。優秀で美しい女性を妻に出来るなんて」
ディセシアは思う。
いや、その自分は学年で25位だったような。本物は1位を常に取っている位、優秀で。何だか困ってしまう。難しい質問をされたらどうしよう。
一生懸命、勉強に今も励んでいるけれども。
ロディス王太子が顔を覗き込んで来た。
「綺麗な瞳だね。ディセシア。私は君と政略だけでなく、心も繋ぎたいと思っているよ。普通の夫婦みたいに」
「でも、子が出来なければ側妃を娶るのでしょう?」
「まぁ。王族の定めだからね」
ロディス王太子は、慌てたように、
「でも、君に子が出来たら側妃なんて必要ない。君一筋に愛するよ。父上、母上もそれはもう仲が良い夫婦でね。私は両親を尊敬しているんだ」
「国王陛下と王妃陛下は仲が良いと有名ですもの」
「だから、私も君とは父上、母上のような夫婦になりたい」
「嬉しいですわ」
二人で手を繋いで、テラスの席に戻ったらマリーに睨みつけられた。
マリーと共に馬車に乗って王宮を後にする。
マリーはディセシアに向かって、
「王太子殿下と上手くいってよかったわね」
ディセシアは思う。悔しがるくらいならなんで、本物のディセシアは王太子妃を諦めなければならなかった?
何故?何で?どうして?
それが解ったのは、一月後、屋敷にロディス王太子が訪ねてきた時だった。
ロディス王太子自身が訪ねて来てくれて、ディセシアの胸の鼓動が跳ね上がった。
婚約してから、ロディス王太子はとても優しくて、色々とプレゼントもしてくれた。
今回は赤い薔薇の花束を持って、突然、訪ねてきたのだ。
「時間が空いたから。ディセシアに会いたくて」
「まぁ。わたくしに会いにわざわざ来て下さったのですか?」
「大事な婚約者だからね」
玄関で出迎えたら、強く抱き締められた。
胸がドキドキする。
その時、窓が暗くなって、雷が鳴りだした。
ロディス王太子が、
「雲行きが怪しくなってきた。雨も降って来たようだし、しばらく客間で休ませて貰うよ」
「ええ。父と母も呼んで参りますわ」
レセル公爵夫妻が客間でロディス王太子を出迎えた。
「ようこそ。我が公爵家へ」
「お迎え出来て嬉しいですわ」
皆でソファに座ってお茶を楽しむ。
雨がざぁっと降って来て。
ロディス王太子はディセシアに、
「美しいディセシア。私が自分でアクセサリー職人に習って作った指輪だ。赤い石がはめ込んである。王家の紋章も彫ってあるよ。どうか受け取って欲しい」
綺麗な真っ赤なルビーがはまっていて。細工も凝っていて。
ディセシアは嬉しかった。薬指に嵌めてみる。ぴったりだ。
「嬉しいですわ。こんな素敵な指輪を頂けて」
その時、お茶のお代わりを運んで来たマリーが、お盆を床に落とした。
そして叫んだのだ。
「お母様がいけないのよ。お母様が。わたくしが本物のディセシアよ。ロディス様。わたくしはずっと貴方様と結婚したかったの。幼い頃、一目見たときから。わたくしが本物なのよ」
そう言って、ロディス王太子に近づいて抱き着こうとした。
ロディス王太子は身を避けて。
「この女は何を言っているんだ?」
レセル公爵は真っ青になって、慌ててマリーを引き離す。
「妄想が酷い使用人で。娘の指輪を見て、妄想が爆発したのでしょう。申し訳ございません」
公爵夫人は真っ青な顔をして、震えていて。
マリーは泣きながら叫んだ。
「わたくしが本物なのよ。わたくしが本物。この指輪はわたくしの物だわ。渡しなさい。わたくしに渡しなさいっ」
ディセシアの指輪を取ろうと掴みかかって来た。
レセル公爵夫人が、マリーを抱き締めて。
「わたくしがいけなかったの。わたくしが‥‥‥ごめんなさい。本当にごめんなさい」
泣き崩れた。
王宮で国王陛下と、王妃、ロディス王太子殿下。そしてレセル公爵夫妻とディセシアが集められて話をすることになった。
錯乱したマリー(本物のディセシア)は屋敷に閉じ込められている。
国王陛下は皆に頭を下げた。
「私がアンジェリーナを愛したばかりに」
アンジェリーナ、現レセル公爵夫人は涙を流しながら。
「ロディス王太子殿下。今、屋敷に閉じ込めている本物の娘は母違いの姉になります。わたくしは国王陛下と過ちを犯してしまった」
国王は頷いて、
「だから、わしはレセル公爵夫妻と相談して、ディセシアの偽物を‥‥‥王妃に知られたくなかった」
王妃は烈火のごとく怒って。
「わたくしが勧めたこの縁談。だから偽物を立てて、ごまかそうと?」
国王を王妃は睨みつけながら、
「で?どうするつもりです?偽物とわかったこの娘。偽物を押し付けようとしたレセル公爵家をこのままにしておけませんわ」
国王は慌てたように、
「いやその、わしが知っていたとしてもか?偽物を仕立てる事を」
「だったら尚更、許せませんわっ」
「だが、理由を言わずに反対したらお前、怒るだろう」
ロディス王太子は立ち上がって、
「このまま、本物として婚約を続ければいいじゃありませんか。必要なのはレセル公爵家の令嬢なのでしょう?」
ディセシアは慌てて、
「でも、本物のお嬢様は?どうなるのです?」
「姉上と結婚は出来ないから。だから、本物のディセシアとして私と結婚して欲しい」
「でも、お嬢様はずっと、ロディス王太子殿下の事を、このまま日陰の身で生きるなんて」
「どうしようもないだろう?私は君の事を好きになってしまった。姉上には申し訳ないが私は君と結婚したいんだ」
王妃がため息をつきながら、
「でしたら、本物として貴方を我が王家に迎え入れましょう。また、婚約者を代える訳にはいきませんからね。仕方がないわ」
国王とレセル公爵夫妻は深々と王妃に頭を下げた。
偽物を立てたのだ。それを王妃は見なかった事にしてくれたのだ。
ロディス王太子に抱きしめられて、ディセシアは幸せを感じた。
マリーは、部屋に閉じ込められていた。
ディセシアはマリーの部屋の扉を開けて、中に入った。
「わたくしは、本物としてロディス王太子殿下に嫁ぐ事になりました」
椅子に座っていたマリーは、振り向いて。
「そう。そうね。そうなるわね。ああ、わたくしがロディス王太子殿下と血が繋がってなければ。姉でなかったら。王太子妃に、後に王妃になれたのに。いえ、何よりもロディス様を愛していたわ。初めて見た時から。学園でもね。接触はなかったの。でも、気になってこっそり彼の姿を、ファンの女性達に交じって追っていたわ。彼ね。馬を操るのも上手なのよ。それから、剣技の腕も素晴らしくて。彼を見ているだけで胸が高鳴ったわ。隣国の王女と婚約が決まっていたけれども、側妃でもいい。傍にいたい。そう思えたの。ずっとずっと好きだったの。貴方が羨ましい。あの人の子を産んで、王妃になって、王国に君臨する。わたくしには何も残らない。わたくしは幽霊として生きるのだわ」
「お嬢様。わたくしは本当に申し訳なく思っております。お嬢様の居場所を奪う事になってしまった。でも、わたくしは王国の為に働きたい。何よりロディス王太子殿下を愛しております。わたくしを導いて下さって色々と教えてくださったこの恩は忘れません」
胸が痛い。でも、わたくしは前を向いて歩かなければならない。
背を向けて、部屋を後にした。
ディセシアはロディス王太子殿下と結婚した。そして、王子を三人産んで、王国の為に尽くした。
マリーとして生きる事になった本物のディセシアは、マリーの実家、伯爵家に行き、そこで婿を取り、伯爵夫人として生きた。
婿の斡旋は、ロディス王太子殿下が探して紹介してくれた。彼は彼なりに姉の事を心配していたのだろう。
彼女と夫になった男性との仲は良好だったらしく、女の子ばかり4人に恵まれ、幸せな生涯を送ったと言われている。