六話 春色 前
三人は学校についても、蛍の話で盛り上がっていた。
「蛍ってほんと誰?」
「もう探偵ごっこはやめようよ、飽きた」
「いやいやいや、謎を解いてからじゃないと、やめらんないよ!」
「そうそう!」
「蛍が何かしたの?」
優しく麗しい声が突然降ってきた。驚いて顔をあげると、にこやかに笑う出水雲母がいた。
夏希たちの顔が青くなる。
「あ、あの、その」
しどろもどろの夏希の手を取り、雲母は微笑んだ。天女のような、というありふれた例えが浮かぶ表情だった。
「あっちで話そ」
絢音たちは無言でうなずくしかなかった。
雲母は四人をトイレに連れていった。状況がまだ掴めず困惑する絢音たちに、雲母は魅惑的に口角をあげた。
「ここ、花子トイレっていうの。誰も来ないから内緒話にはぴったりでしょ。もともと日当たりが悪くて古かったんだけど、改装工事のときこのトイレだけ綺麗にされなくて、『このトイレには何かがいて、それを怒らせないために工事をしなかったのでは』っていう噂が広まってね。トイレのお化けといえば花子さん! ということで、花子トイレなんだよ」
手洗い場や他のトイレには鏡がなく、女子が唯一鏡のある花子トイレに集まるのは珍しくないことだった。また、男性教師の目を逃れるためにトイレに入り、持ち込み禁止の美容用品を使う生徒もいた。そのせいで、本当にトイレを使いたい人が使えないということが多発し、鏡目的の花子トイレ使用は禁止となった。
当然それだけで女子がめげるはずもなく、鏡に群がる女子の群れはなくならなかった。そのため、教師たちは仕方なく花子トイレの鏡を撤去した。
なので、花子トイレを使う人はめっきり減った。鏡のない花子トイレに価値はない。
トイレの鏡を取り外すより、別のところに鏡をつけろよと言いたいところだが、そういうわけにもいかなかったらしい。花子トイレは汚い。鏡がなくなった今、ここを使う人はいないので、密談にはもってこいだとか。
ここまでの話は、この中学校に姉がいるという、同じクラスの女子生徒がべらべらと話していたために知っていた。しかし、あだ名の由来は知らなかったので、美湖は「おー」と目を丸くして手を叩いていた。
絢音としてはそれどころではない。先輩に対する礼儀など忘れ、矢継早に雲母に問うた。
「それで? 蛍がどうしたんです? なぜ私たちに構うのですか? 出水先輩は蛍の何を知っているというのですか?」
「雲母でいいよ。出水だと、私か瑠璃かわかんないでしょ?」
食い気味の絢音に若干引いている三人と違い、雲母は表情を動かさなかった。
「蛍のことを知りたいなら、明日の放課後、二年六組に集合ね。スマホを忘れず持ってきて」
「ス、スマホですか?」
学校にスマートフォンを持ってくるのは校則違反だ。
「二、三年生はみんな持ってきてるよ。意外と先生気づかないの」
不敵な笑みは雲母によく似合う。彼女はスカートのポケットからスマホを取り出して四人に見せた。薄い液晶画面には小さなひびが入っている。
「放課後には集まれるよね。一年生はまだ部活動ないし、先生に気づかれなかったらいける」
「先輩は部活ないんですか?」
「私、こっそりサボるのに慣れてるから大丈夫。あ、靴は持ってきてね、靴箱に靴があるとばれちゃうから。あと、蛍って名前はできるだけ出さないようにね。美術部員の前では、特に」
付け加えられた最後の言葉が、彼女の本題な気がした。反射的にうなずいた絢音たちに、雲母はにいっと目を細め、猫のような顔で笑いかける。
「いい子だね」
瑠璃と似ているようで似ていない声音。四人はうつむき、雲母から見えないように目配せをした。
「じゃあ、明日の放課後ね」
雲母の背中が見えなくなってからしばらく経ち、夏希がぼそりとつぶやいた。
「なんだったんだろ、あれ」
何回言うのよ、と夏希を小突くのぞみだが、内心同意していたはずだ。
「本当に誰なの、蛍って」
絢音なら、この質問に答えられた。
だが、「なんなんだろうね」と不思議そうに苦笑して見せた。
「春色」は春の景色を表す言葉。
艶めかしい様子、麗しい様子なども表現できます。