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犯人は真実を知らない  作者: へおん
私は【 モブキャラ 】
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五話  春陰 後

 そんなことを教えられては、行くしかないではないか。


 そう三人に押し切られ、翌日の学校前、絢音はわざわざ早起きして、仕方なくついていくことにした。


 学校が終わったあと、のぞみは即急に芦川蛍について調べたらしい。

 芦川蛍。当時十三歳、現在生きているなら十五歳。兄弟はいない。


 失踪した彼女は、まだ見つかっていないという。


――あいつの家なんて、行きたくないのに。


 何度も反対したのだが、これ以上嫌がると不審に思われるだろうから、抵抗したい気持ちは抑え込んだ。


「ここ、で合ってるよね?」


 夏希が確認するように聞く。そこには、自然と一体化した空き家があった。


 壁には蔓が巻きつき、玄関の前は雑草がこれでもかというほど生えている。ここの住人だった蛍の両親は、蛍が失踪してからすぐに引っ越したと聞いたが、近所の人は手入れをまったくしなかったようだ。


 まだ早朝なので、誰にも気づかれていない。四人は、自転車は茂みの奥に隠したが、学校のリュックは背負ったまま。蛍の家の探索を終えたら、そのまま学校に直行するのだ。蛍の家は学校から徒歩三分ほどしかなかった。


 三人は、「おじゃましまーす」と呟いて、ためらいもせずに門を開けて踏み入れた。


「うわ、すごい草」


「あーっ、これくっつき虫だー!」


「美湖、服につけすぎでしょ。まだ入ってすぐじゃん」


「そんなつきやすそうなブレザー着てくるから。私たちは脱いでるよ?」


「だって、知らなかったし」


 膨れっ面になる美湖を横目に、絢音もおそるおそる周りを見渡した。


 これ、不法侵入じゃない? やめとこうよ。もう帰ろう。そう言うことは簡単だ。だが、絢音はそれすら言えないほど臆病だった。


 玄関は施錠されていたので、窓を開けて入ることにした。窓は蔓さえ引きちぎれば、拍子抜けするほどあっけなく開いた。


 まだ二年しか経っていないので、中は外と違い綺麗だった。


 つい先程まで誰かがいたような、しかしぽかんと虚無感が広がる部屋だった。


 薬缶が置きっぱなし、本は机の上に散らかり、洗濯物もそのまま。丸みのあるフォルムの冷蔵庫や花柄の炊飯器は明らかに時代遅れだが、レトロな感じで可愛く、あちこちにある汚れや欠けさえなければ高く売れそうだと思った。


 とても引っ越したとは思えない。蛍の家族は何も持っていかなかったのだろうか。


 よく見ると、カーペットだけは妙に汚れが少なかった。デザインは古臭いが、どうやら新品のようだ。


 生活感が色濃く残っている家に、夏希とのぞみはひどく怖気づいたようだった。他人の家に入っているということをようやく意識したらしい。


 二人は罪悪感に顔を歪ませた。


「や、やっぱ、帰……」


「あっ、こっちに階段あるよー」


 夏希の声を遮り、美湖ははしゃいだ声をあげた。とたとたと軽い足音が響いてくる。階段を駆け上っているのかもしれない。


「ちょ、美湖! 人の家だよ! 勝手に行っちゃだめだって!」


 自分のことは棚に上げ、夏希が美湖に注意した。のぞみも今すぐ帰りたそうな顔をしている。


「いいじゃん、あとちょっとだけ」


 美湖を連れ戻すため、絢音たちも階段を登った。踏みしめるたび、ぎし、ぎし、と嫌な音が鳴った。


「あ、ここ、蛍の部屋じゃない?」


 無邪気に笑って、美湖はドアを勢いよく引いた。

 ふわっと甘い花の匂いが漂ってきた。


 くらくらするほど甘ったるい香り。そのもとを辿ると、勉強机の上の小瓶が目についた。その洒落た小瓶は横倒しになり、蓋が外れていた。中身がこぼれ、開いたノートに大きな染みを作っている。


 近づいて眺めると、香水瓶のようだった。ノートは数学ノートらしく、数字と記号がびっしりと並んでいる。しかし、頁の八割ほどは香水に濡れ、シャープペンシルで書かれた細い文字は滲んでいた。


 傷一つない壁、柔らかな水色の布団、白の塗料が塗られた本棚、花柄レースのカーテン。全体的に淡い色の部屋に、濃い灰色の勉強机はよいアクセントになっていた。


 ラグは優しい色合いで、毛足が長くふわふわとしていた。その上に積み重ねられているクッションもまた、ガーリーで女の子らしいデザインだ。


 リビングとは正反対の垢抜けた部屋に、絢音は一瞬見とれた。


「おぉっ、結構可愛いじゃん」


 素直に称賛しているのは美湖だけで、夏希とのぞみは居心地の悪い顔をしている。


「美湖ー、もう帰ろうよー」


「ちょっと待ってー」


 美湖は勝手に引き出しを開け、中を漁っていた。


「うわ! 何やってんの!」


 夏希に引き剥がされ、美湖は夏希ごと後ろに倒れ込んだ。クッションに頭から突っ込み、ぼふんっ、と柔らかな音が響く。


「別に、ここはもう誰かの家じゃないんでしょ? じゃあよくない?」


「よくない! だめ!」


「えー、手がかりが見つかるかもしんないじゃん!」


「だめったらだめなの!」


 美湖は不満そうにしながらも、こんなことで友達関係を壊すつもりはさらさらないようで、「わかったって、そんな怖い顔しないでよ」と頭を掻いた。


「とりあえず、もう帰るよ!」


「そうそう! ほら、絢音と美湖も!」


「えー……」


 夏希とのぞみは、方向性は違うものの、二人とも正義感が強く生真面目だ。その点、美湖はいつでも自分の欲求に従って動く。よく言えば素直、悪く言えば自己中。しかし、直接的に人に迷惑をかけることは、基本しない。だからなのか、彼女はどこか憎めなかった。


 絢音は欠伸をしながら、三人のあとについていこうとした。


 と、美湖に開けられた引き出しが視界の端に映った。


 中には、じゃらじゃらと飾りのついた筆記用具が無造作に押し込まれていた。ごてごてとした装飾は、あまり絢音の好みではない。めっちゃ使いにくそー、高いだけで役に立たないよねー、というのが絢音の評価だ。


 その悪趣味な筆記用具の中に、一冊のメモ帳が紛れているのがはっきりと見えた。


 絢音はそっと手を伸ばし、メモ帳をポケットに突っ込んだ。


 心臓がばくばくと早鐘を打っていたが、楽しげに駄弁っている三人には、こんなにも大きく響いている心臓の音が、少しも聞こえていないようだった。


 人のものを盗ってはいけません。道徳の教科書で習う、周りの大人に教わる、考えなくてもわかる簡単なこと、のはずだった。


 いつものように鍵を回し、いつものように自転車に乗り、いつものようにぐっとペダルを踏んで漕ぎ出す。学校についてからも、絢音の行動は普段通りだった。


 ただ、これまでハンカチさえ入れていなかったポケットには、ぼこりと四角い感触がある。





 美湖が主人公で、のぞみは友達で、夏希はよきライバルだとしたら、絢音はきっと、ただのモブ。


 あるいは、三話目くらいに登場し、ほとんど何もせずあっけなくやられる、道化のような悪役だった。

「春陰」は、曇りやすい春の天気のこと。

私は曇りも嫌いではありませんが、やっぱり晴れだと気分がいいですよね。

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