三話 花冷え 後
「2ー7」と書かれた教室から、彼女の声は途切れることなく響いてくる。
今、二年生は六組まである。昔は七組まであったらしいが、子供の人口が少なくなり、やがて一つなくなったのだ。
使われなくなった七組は物置になり、そのうち物置としてすら使われなくなったらしい。数年前のものがごちゃごちゃと置かれた教室に入りたいという者はおらず、おそらくここ一年ほど誰も足を踏み入れていない。そう先輩は話していた。
四人はこそこそと扉に近づいた。盗み聞きはいけないことだとわかってはいたが、むくむくと湧き上がる好奇心には勝てない。
平凡な日常に、美味しそうな匂いがぷんぷんする出来事が放り込まれたのだ、食いつかないはずがない。
四人並んで扉に耳を押し当てる。怪しいことこの上ない行為だが、中央廊下から少し離れた教室なのでセーフのはずだ。二人の少女のくぐもった声が響いてくる。
「で、でも、もしばれたら? 瑠璃ちゃんまで怒られちゃう」
「大丈夫って何回も言ってるじゃん。怒られても私の自業自得だよ」
「……違う。悪いのは、私だけ。わ、私が、私が……」
「はい、それ以上は言わない。辛くなるだけでしょ」
「ご、ごめん。ごめんなさい」
「なんで華墨が謝るの。全部私がしたことなのに。それにしても、前はほんとにどうしたの?」
「お、思い出しちゃって」
「あの子のことを?」
「うん。あの子の友達がいたの。よく、あの子と一緒にいた子。だから、思い出して、怖くなって」
出水瑠璃と、泣き出しそう、というか泣き出している柊華墨の会話だ。
心臓がばくばくと高鳴っている。盗み聞きしているという後ろめたさ、自分たちだけが秘密を聞いているという高揚感、溶けたチョコレートのようにどろどろと形が崩れて消える理性。興奮した脳の感覚は鈍り、二人の声だけが頭に流れ込んでくる。
「私のせいで、あの子は」
「そんな顔しないの。華墨は嫌なことは全部忘れて、幸せになるべきだよ」
「で、でも……でも、蛍ちゃんはもう帰ってこないのに」
蛍。
それが人の名前だと気づいた途端、冷水を浴びせられたかのように、熱くなっていた身体が一瞬にして冷えた。
なんでお前の口からその名が出てくる。何か関係があるのか?何か知っているのか? なんで、なんで……。
動揺を悟られないように、絢音は大きく息を吸った。冷たい空気が鼻と喉をちくちくと刺激する。華墨がその名を出したためなのか、二人の会話は束の間途切れたようだった。
「……華墨、誰かが聞いていたらどうするの。ちゃんと用心しないと。壁に耳ありってよく言うでしょ」
その言葉に、まさに壁に耳を押し当てていた夏希とのぞみ、美湖はびくりと身体を震わせた。引きつった笑いを浮かべ、三人は顔を見合わせる。冷や汗が頬をつたっていた。だが、絢音は話の内容よりも声の様子が耳についた。
「あの子のことはもう言わないで」
瑠璃の口調は、咎めるような響きをしていた。優しくなだめていた先程までの声は消え去り、抑えようとしながらも抑えきれていない、冷たく震えた感情が滲んでいた。
「……ごめん」
「約束して。もう絶対に言わないって」
「うん、約束する。もう、言わない」
ほっと瑠璃が息を吐いた音が、壁越しに四人に伝わってきた。
「いい子」
甘い声。華墨の頭を撫でたのか、髪が揺れて擦れる音がした。
うつむく華墨の姿が見える気がした。
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