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犯人は真実を知らない  作者: へおん
プロローグ
1/17

一話  事実と事実

はじめまして。本と猫をこよなく愛する女子中学生へおんです。

転生しませんし悪役令嬢も出てきませんが、それでも良ければ、読んでいただければ幸いです。

 夜、静寂が膜を張る。聞こえるものと言えば、点滅する電灯のジ、ジジジ、という音と、自身の足音だけだ。


 感覚のなくなってきた爪先で地面を蹴る。肺は空気を求めてのたうち回る。それでも、腹の中で暴れる感情に身を任せ、走り続けた。

 瓦の屋根と高い塀が見えたとき、心臓が激しく鳴った。目が熱くなり、世界が滲む。つきんと鼻の先が痛んだ。歯を食いしばり、目を閉じた。


 インターホンを鳴らす。指先には頼りない感触、簡単に沈む丸いボタン。

 平坦な同じ音が二度繰り返される。答えが返ってくるのを、息を詰めて待つ。永遠に続くように感じた時間も、本当はほんの一瞬だったらしい。


「――はい、どなたですか」


「わ、私です」


 返事が探し求めていた人物の声だったことに安堵し、なぜか咄嗟に敬語を使ってしまった。


「……え?」


 その声には、激しい動揺が滲んでいた。


「……ちょっと待ってて」


 そう告げる声は、機械越しだからか、ずいぶん無機質に感じられた。


 しばらく待つと、鍵があく音とドアノブが回る音がして、少女が室内から出てきた。


「何か用?」


 警戒心があらわになった目で、彼女はねめつけてくる。


「あの……は、話したいことが、あるの」


 しどろもどろに言うと、少女はひゅっと息を呑んだ。細く柔らかな喉がひくりと震える。たぶん、なぜここに来たのかに気づいたのだ。


「……外は寒いでしょ。とりあえず入って」


 走ってきたので、むしろ暑いくらいだったが、断る理由もないのでうなずいた。


 少女は家に招き入れてくれた。そっと靴を脱ぎ、かがみ込んで、ばらばらの方向を向いた靴を綺麗に揃える。彼女に悪い印象を植え付けたくなかった。


「ごめんね、汚くて」


 それは明らかに社交辞令だった。普段ならここで謙遜するが、今は何も言わなかった。本当に、この家は綺麗とは言い難かった。


 汚いというより、古臭いという言葉のほうが似合う家だった。台所は壁に張り付いており、料理をする人はリビングに背を向ける形になる。煤け、黒ずんだガスコンロには、青白い火が燃えていた。


 我が家のキッチンは、リビングにいる人と向かい合え、かつ料理している手元を隠せるような、まさに近代のキッチンだった。もちろんオール電化だ。この家は、奥に和室があり、破れた障子があるところも、昭和の家という雰囲気を強めていた。


「お茶淹れるから座って」


 無言でうなずくと、言われた通り椅子に座った。机にはシールを張って剥がした痕がある。中には剥がせず、そのままになっているものもあった。


 子供向けのアニメのキャラクターが、片目をつむってポーズをとっている。自分が可愛いことを自覚した、神に愛された容姿を持つ者特有の、あざとい笑み。それにわけもなく苛ついた。何度も剥がそうとしたようで、端のほうが白く色落ちし、変な形にめくれていた。


 まだ息が整わない。はあはあと荒く息を吐いたり吸ったりする。普段何も考えずにしている息の仕方がわからなかった。一生こうだったらどうしよう、と不安になったが、気がつけば呼吸はいつも通りに戻っていた。


 少女は盆に茶と菓子を乗せてやってきた。こちらの前には繊細な花の模様が入った硝子のコップを置き、自分の席にはプラスチック製の安っぽいコップを、まるで見せつけるようにわざとらしく置く。客人に対する、形だけの気遣いだった。扉が透明な食器棚を見ると、呑み口が欠けた陶器のものや、使い込まれて色の剥げたものしかなかった。


 煎餅が入った皿を机の真ん中に乗せると、少女はまた台所へと戻っていった。


「お煎餅しか家になくて。もっと別のものがよかった?」


「ううん、大丈夫」


 ここで別のものがいいと言っても、新しいものを出すことはあるまい。否定することが前提の質問に、自分の中のどこかが疼いた。

 その袋に手を伸ばす。端をぴりりっと破くと、二枚の薄っぺらい煎餅が出てきた。まんべんなくまぶされている半透明の粒は砂糖か、それとも塩か。


 香ばしい香りが漂ってくる煎餅を、少しだけかじってみた。乾いた音をたてて割れたそれは、ひどく甘ったるかった。舌打ちし、ほとんど噛まずに茶で流し込む。残った煎餅は袋ごとゴミ箱に突っ込んだ。

 舌打ちの音は、たぶん、彼女には聞こえなかったはずだ。


「突然来てごめんね。迷惑だったよね?」


 心にも思っていないことを、自らの意思で口にする。台所で作業をする少女の表情は、ここからは見えなかった。


「そんなことないよ」


 いつも通りを装ってはいるが、そこには計り知れない棘がある。嘘つき、と口にしなかっただけ、自分には理性があった。耳をいじくりながら、冷めた目で少女の背を眺める。ピアスの穴の感触を、意味もなく指先で辿っていく。


「ほんと大丈夫だから。全然気にしないで。一週間後まで親帰ってこないし」


「毎日ご飯作ってるの?」


「まあ、毎日ではないんだけど、週に一回くらいは。大体買い食い。あと二十分までに仕上げなきゃだから、料理しながらでもいい?」


「もちろんいいけど」


 少女は深呼吸をする。その背が少し硬くなった。


「それで、話って何?」


 なんでもないような口調で、彼女は話を切り出した。


 本当はわかっているくせに。


 喉元までせり上がってきた言葉を、すんでのところで呑み込んだ。

 ふつふつとこみ上げてくる感情を抑えようと、彼女の顔から目をそらすと、ちかりと反射する光が目に入った。


 ボウルやスプーンが、ザルの中に無造作に突っ込まれている。その中には、包丁もあった。


 無意識に立ち上がっていた。本当に、意識してしたことではなかった。


 少女は冷蔵庫から物を取り出すため、ザルの前から移動した。少女は近づいていることに気づいていない。調理器具に埋もれていた包丁は、思いのほか簡単にザルから抜けた。


 物音に気づいたのか、少女が振り返った。手に握っているモノにその目線が吸い寄せられる。


 少女は声を出さなかった。己の手で口を塞ぎ、何かを堪えるような、苦痛に満ちた顔をする。


こちらはまだ何もしていないのに。



 身を翻し、少女は逃げた。



無防備にさらされた彼女の背中。それを見た刹那、何もかもが消えた。


気がつけば、鈍く輝く包丁が手の中にあった。だから、仕方がないのだ。




甲高い声が耳朶を揺さぶり、そして――……ふつりと途切れた。


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