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婚約式②




 リディアの憂鬱などどこ吹く風で婚約式はつつがなく行われた。


 王党派の貴族が招待され、整列する騎士達に忠誠を誓われ、リアージュに引っ張りまわされて談笑を繰り返す。その間に何か不測の事態が起きるかと気が気ではなかったが、オーガストは姿を見せず、真っ赤な夕日が空を金赤色に染め上げる頃になっても何も起きなかった。


 広々とした庭園の、噴水池の傍に避難してきたリディアはベンチに腰を下ろすとおとぎ話に出てくるような薔薇の茂みや鏡のように透明な池、そこに浮かぶ蓮、噴水の柔らかな水音、足元を流れる人工の川なんかを見つめて溜息を吐いた。


 赤からじわじわと緑、青、紺へとグラデーションを描く空を見上げ、そこに輝く一番星に自分の左手の薬指を重ねてみる。


 そこには、実際の重みよりもずっと重く感じる銀の指輪が嵌っており、中央には一際大きく輝くサファイアが。一体いくらするのか……。


(あとで返そう)


 自分のものでもないこれを終始指にはめておけるほど肝は据わっていない。


 手を下ろし、リディアは膝を抱え込むと飛沫を上げて落ちる噴水をじっと見つめた。


 国語の授業で習った「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という一説が脳裏を過る。


(全くその通りね)


 自分の人生……というか魂は一体どこへ流れていくのか。このままここに留まることは許されない。何故ならリアージュの婚約者はエトワールだからだ。


(婚約破棄したあとはどうしようかな……)


 ていうか、それはいつになるのか。オーガストは諦めたのか。諦めたとして黒の領地での魔物強化事件は起きないのか……。


(……でも、その騒動が起きないとリアージュが怪我をしたり聖女が力に目覚めたりしないんじゃ……)


 そもそも、リディアはその頃には死んでいたはずだ。オーガストが旧宰相派の連中に自分の力を売り込むのに呪術師に頼んで魔物を強化させた。その資金はリディアの遺産から支払われたはずだ。


 だが現在リディアは生きている。その所為で……なにもかも変わってしまったのだろうか……。


 噴水が流れ込む池と、そこからゆっくりと水路を流れる清水を見つめて物思いに沈んでいると、日没を察知した魔法燈が点灯し、周囲に柔らかなオレンジの光が満ち始めた。金の真珠のように零れ落ちる噴水の飛沫が綺麗で見惚れていると、「リディア!」という切羽詰まった声がした。


 振り返ると、庭園に続く小道を偽の婚約者が駆けてくるのが見えた。


「リアージュ」

「探したぞ!」


 はあはあと息を切らし、伸ばした手がむき出しのリディアの腕に触れる。夏の夕暮れの空気は生暖かく、寒いどころか汗ばむくらいだ。その肌にひんやりしたリアージュの掌を感じ、リディアはぞくりとしたものが腰から這い上がるのを覚えた。


「勝手にいなくなるな」


 オレンジの明かりを受けて、薄明色の瞳が光る。


「ごめんなさい」


 真剣な口調と眼差しに呑まれて素直に謝れば、彼は掴んだ腕を離してリディアの隣に腰を下ろすと、彼女の身体を両手で確かめ始めた。


「ち、ちょっと!?」

「怪我はないな? 変な術の痕跡は?」


 振り払おうとするリディアの手をものともせず、男は彼女の頬を両手で包み込むとじっと瞳を覗き込んだ。


「目は濁ってないし……正気だな?」

「私は大丈夫ですッ」


 思わず声を荒らげれば、じーっと顔を覗き込んだ後、リアージュは満足そうに息を吐いた。が、次の瞬間には、がしっと二の腕を掴んで怖いくらいの笑顔を見せた。


「わたしに何も言わずに唐突に姿を消して、こんな所で何をしてらしたんでしょうか?」


 馬鹿丁寧な物言いが怖い。先程のぞくぞくとは別の、胃の腑を震わせる恐怖にリディアは喉を引きつらせる。


「ち、ちょっと考え事を……」

「どんな?」


 顔を近寄せられて、軽く身をのけ反らせる。視線を合わせる勇気はなく、リディアはとっさに近くの魔法燈へと視線を遣った。


「え~……その……今後のことを……」

「今後?」


 怪訝そうなリアージュの声に、リディアは溜息を吐くと観念した様に唇を引き結んで彼を見た。


「今後は今後ですよ。この先のこと! 婚約を破棄したあとのことです!」


 真剣な眼差しで訴えれば、奇妙な沈黙が落ちた。ぐっとリディアの腕を掴む手に力がこもり、翳ったリアージュの瞳がリディアを映して揺れていた。


(……ん?)


 なんとなく様子がおかしい。とりあえずフリーズしている彼を押して、距離を取って座り直そうとする。それを察知したのか、不意に動いたリアージュがおもむろに顔を近寄せ、額に額を押し当てた。


「ちょっと!?」

「たった今婚約したばかりだというのに、もう破棄の話とは」


 じとっと半眼で見つめられ、リディアは唇を噛む。実際二人の婚約は『そういう前提』なのだから仕方ない。


「……申し訳ありませんが、閣下。私達の婚約はそもそも閣下がワルツを三回申し込んだことに端を発しております。お忘れでしょうが、もともとは社交界をだまくらかして私をオーガスト殺害の容疑者に仕立て上げることだったんですよ?」


 そっちが元凶だと半眼で睨み上げれば、彼は片眉を上げて首を傾げた。


「そうだったかな?」

(とぼけるな!)


 まるで用が済んだらさっさと男を捨てる悪女のように言われて黙ってなどいられない。


「私はきちんと、ブルーモーメントの作法に則ってエメラルドのセットを提示しました」


 怯まず、彼の薄明を睨み返せば、数度瞬きをした後、リアージュがふっと小さく笑う。そのどこか……楽しそうな表情にどきりとした。


 魔法燈が作り出す淡いオレンジ色が、彼の端正な顔立ちを照らし出し、薄明色の瞳を妖しく輝かせている。思わず目を奪われ、リディアは頬の内側を噛んだ。間抜けにもぽかんと口を開けてうっとり見上げている、なんて状況はおかしすぎる。咄嗟に唇をすぼめて不満顔をするリディアに、リアージュが思わず吹き出した。


(わ……)


 可笑しそうに笑う姿が、何故か心臓を直撃し、白い手の影響では全くなく胸が痛んだ。


「全く君は……俺の虚栄(プライド)をことごとく壊していくな」


 笑いながら言われ、リディアは思わず奥歯を噛み締めた。


「なるほど、公爵閣下は顔面偏差値がお高いので、微笑みかけただけで老若男女問わず落とせると本気でお考えだったようですわね」


 ふん、と鼻で笑って苦々しく告げれば、憎たらしい顔で彼が片眉を上げるのが見えた。それが人によっては信じられないくらいかっこよく見えるのだという事実が、更にリディアの苛立ちに拍車をかけた。


「そのうち後ろから刺されますよ」

「返り討ちにしているから問題ない」


 実際に起きてるのかよ。


 誰もが羨む花婿候補。イケメンで歳の若い公爵なんて数えるほどしかいない。その隣に並ぶのは自分だと……夢見る人も多いだろう。


(でも残念。彼にはもうすでに決まった……運命の相手がいるのよ)


 再びずきりと胸が痛み、リディアは今度こそリアージュを押しやった。とにかくこのような接触は自分達には不要なのだ。リディアとリアージュが愛を確かめあうエピソードなんて小説のどこにもない。ていうか、ヒーローを自分のものにする脇役なんて……読者からヘイトを集めるキャラにしかならないだろう。



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