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駆け引き②




「全ては憶測にすぎないな」


 仮面のように凍り付いた表情で断言され、リディアはお腹の奥がぞわりと震える嫌な感触を覚えた。

 確かに、そう言われてしまえばそれまでだ。だが自分の手でオーガストを排除できないのだから、なんとしても押し通す必要がある。


「依頼を受けていただけるのなら、証拠となる手紙をお見せいたします」

「……先に手紙を確認させてくれ。話はそれからだ」

「申し訳ありません、公爵閣下。手紙は私の唯一の武器です。確約が取れない相手に見せるとお思いですか?」


 きっぱりと告げれば、かすかに公爵の仮面にひびが入った。舞踏会の時同様、面白いものを見たとでも言いたげに、彼の目元が緩む。


「平行線だな。申し訳ないが、確証を得られない限りあなたの依頼は受けられない。爵位を受け継いだ新しい貴族とはいえ……貴族は貴族だ。軽率な真似はできない」


 リスクがデカいと、言外に告げられる。突っぱねようとする態度に、しかしリディアは騙されなかった。


「──……公爵閣下、私だって考える頭があります」


 笑顔で告げられた最後通牒に、リディアも笑顔で応えた。


「今の情報で、あなたは黒い羊が何者なのか確証を得た。そして私の依頼を受けるまでもなく、その黒い羊を排除できる手ができたともお考えになったはずです」


 その指摘に、公爵の仮面に更にひびが入る。今度はもっと、強烈な、はっきりとした亀裂だ。


「閣下は私に三回、ワルツを申し込みました。それをあの場にいたほとんどの人間がそれを確認している」


 女性なら誰もが靡いてしまいそうな、最上級の容姿と爵位と権力を持った相手が、舞踏会のど真ん中で求婚でもしたかのように三回もワルツを申し込んだのだ。


 哀れな元伯爵令嬢はその事実に有頂天になっていると誰もが思っただろう。


「依頼を受けた際、あなたは黒の領地のことだと当たりを付けた。依頼人がコートニー元伯爵令嬢だと知り、令嬢が語る黒い羊が何者であれ、利用できるかもしれないとワルツを申し込み、あなたのアプローチに目が眩んだ元伯爵令嬢が何かをしでかしたとしても……そう、例えば黒い羊を排除したとしても……オカシクはないと」


 先程とは打って変わった沈黙が馬車の中を満たしていく。

 リディアは貼りつけた笑顔を見せた。


「公爵閣下。私は自分を殺そうとする相手を消したいだけなのです。そのためだけに、ブルーモーメントに依頼をした。なるほど、そちらは私を犯人に仕立て上げて自分たちは疑われることなく危険因子を排除できると考えたのでしょう。ですが、もしそのようなことが起きれば、私は法廷で堂々とワルツ三回申し込んできた公爵閣下が私をそそのかしたと証言します」


 何のとりえもない元伯爵令嬢をイケメン公爵が一目で愛して求婚したという話と、元伯爵令嬢を利用するために声を掛けたのだ、という話のどちらを人々が信じるだろうか。


 オルダリア公爵のスキャンダルとなれば誰もが食いつくだろうし、流言飛語が蔓延するに決まっている。それに旧宰相派が乗っからないわけがない。


「私を馬鹿な娘だと侮りましたね? お生憎様」


 にこにこ笑って両手を広げて見せれば、明らかに公爵が苛立つのがわかった。


(あんたの周りにいるような頭に花を咲かせるだけの連中と一緒にしないでよね)


 こちとら一回刺されて死んでんだよ。


公爵閣下(ユアグレイス)


 もはや仮面の意味もなく、苦々し気な表情を惜しみなく晒す彼を相手に、リディアは腹に力を込めた。


「依頼を受けてくださいませんか?」


 真っ直ぐに、日の出の金が滲む薄明の瞳を睨み付ければ、オルダリア公爵が長い長い溜息を吐いた。


「わかった。ただし()の条件は変わらない」

(口調が変わったわね)


 緊張に高鳴る鼓動を隠し、リディアは神妙に頷く。


「明日、君の滞在するホテルに馬車を寄越す。それに、手紙を持って乗り込め。それから契約の細部を詰めよう」

「わかりました」

「変な真似をするなよ?」


 礼儀をかなぐり捨てた公爵が、猜疑心に満ちた眼差しを向けてくる。変わらず、リディアはとぼけた表情で小首を傾げて見せた。


「こちらは依頼人ですよ、公爵閣下。報酬をお渡しする意志に変わりはございません」


 金まで払ってオーガストの排除を依頼するのだ。ぶち壊すような真似をするわけがないだろう。


(それにまだ私には切り札がある)


 原作を読んで得た知識をそう簡単に使うわけにはいかないが、使いどころはあるはずだ。


 ぎゅっと手を握り締めて姿勢を崩さないリディアを、公爵がその視線で頭のてっぺんから爪先までなぞる。それから不意に身を屈めあっという間にリディアの耳元へと唇を近寄せた。


「舞踏会での振る舞いといい……その度胸といい……気に入った」


 ぞくりと背筋が震えるほどの甘い声。


「君を殺そうと考えるコートニーが信じられない。俺ならもっと……」


 くすっと笑われて、慌てて身を捩って公爵と距離を取る。暗がりでよかった。恐らくデコルテまで真っ赤だろう。


「それでは明日」


 終始攻められたせいか、あたふたするリディアに満足したように、非の打ち所のない笑顔で爽やかに公爵が告げる。ランプを手に再び馬車を降りる彼を見送りながら、リディアはぎりっと奥歯を噛み締めた。


 やっぱりあの男、油断ならない。



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