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駆け引き①




「さて馬車の旅はいかがでしたか?」


 揶揄いを含んだ甘い声。それに胃の奥がぎゅっとする。思わず眉間に皺を寄せるリディアの前で乗り込んできた人物はフードを落とした。


 青と銀色が基調の夜会服を着たオルダリア公爵が食えない笑顔でそこにいる。


 散々人を振り回した元凶が再び目の前に現れて、リディアは歯噛みしながら低い声であいさつをする。


公爵(ユア)……閣下(グレイス)


 ぎりぎりという音が聞こえそうなくらい歯を食いしばる彼女に、「堅苦しいのは無しだ」と正面の座席に座った彼がにやにや笑いながら背もたれに全身を預けた。

 だがそれも一瞬で、彼の被っていた仮面が剥がれ落ち、すっと薄明の瞳が冷たく細くなる。


「それで? 黒い羊の話と引き換えに君は何を望む」


 びり、と空気に静電気が混じる気がして、リディアは一瞬圧倒されそうになった。舞踏会で自分を振り回した相手とは全く違う様子に、苛立ちが込み上げてくる。


 だが呑まれては駄目だ。自分たちは依頼人と請負人という対等な立場にいる。向こうが一方的にこっちを切り捨てることができるように、こっちだって向こうを切り捨てることができるのだ。


 腹を据えて、リディアはふーっと長く息を吐いた。


 先程までの公爵は、リディアを試し続けていただけだ。こっちが本性。ならばこちらも切り替えるだけだ。そう考えた瞬間。かすかな手の震えがぴたりと止まった。


「言ったはずです、公爵閣下。黒い地平線を目指す羊の中に黒い羊がいますと」


 向こうが手の内を明かさないのに自分が馬鹿正直に答えるつもりはない。まずは依頼内容と同じ単語を使って説明すれば、公爵が気だるげに窓枠に肘を乗せ、手の指に頬を当てた。やや乱れた長めの前髪が彼の額と瞳の上を過る。


「……その羊を、君は知っていると?」


 低く冷たく、掠れたその声に彼女は心持ち胸を張った。


「お役に立つ自信はございます」


 きちんと膝の上に手を乗せて背筋を正し、堂々と訴えれば、公爵がすっと目を細めた。


「……その羊は何をしようとしている?」

「純白の羊たちを排除する気かと」

「どうやって?」


 傲慢にも見える態度で再び背もたれに身体を預ける公爵に、リディアはにっこりと微笑んで見せた。


「黒い羊は悪しき呪術に傾倒しております」


 途端、公爵の瞳の金色が濃くなった。窓の横に掛けられたランプの明かりに反射して、きらきらと輝くそれからリディアは目を逸らさなかった。逸らしたら負けだと本能が訴えるのだ。


「──……悪しき呪術。ね」


 ふっとせせら笑う公爵に、胃の腑が硬くなる。苦いものが込み上げて喚きたくなるが彼女は必死に堪えた。馬鹿な女のように感情的になってはいけない。それに、()()()()ことは予測していた。

 ただの伯爵令嬢……それも爵位を失った、単なる「ミス」でしかない自分の言葉を、ブルーモーメントの人間が信じるとは思えなかったからだ。


 ましてや目の前にいるのは先王を祖父に持つオルダリア公爵だ。彼が全てを鵜呑みにするとは思えない。


(話す順序を間違えなければ大丈夫)


 自分の依頼を受け取る相手が公爵だったことは想定外も外だが、ブルーモーメントの構成員に感情的ではなく、全ての益になるよう説明すべく何度も練習したし、相手が王党派だと信じて策を講じてきた。


 ぐ、と奥歯を噛み締め「女は度胸」と胸の内で叫ぶ。


「すぐには信じられないのも無理はありませんわ。私自身、黒い羊による呪術の被害者でなければ信じないところですから」


 計算された角度で目を伏せ、憂える表情を作り出す。それだけで、相手から放たれる冷気がもう一度、更に下がったのがわかった。


「…………君に呪いが?」

(食いついたわね)


 興味深そうな声に微笑みそうになるのを堪えて、リディアは顔を上げた。ここは真っ直ぐに、正面から訴える必要がある。


 真摯に。本当に困っているのだから信じてもらわなくてはならない。


「黒い羊は私を亡き者にして莫大な遺産を手に入れるつもりです。何故それを気が付いたのかといえば、私の手元に黒い羊と呪術師がやり取りした手紙が残っているからです」


 はっと、公爵が目を見張る。揺れるランプの明かりでもそれが手に取るようにわかった。押すなら今だ。


「ブルーモーメントへの私の依頼は、その黒い羊の排除です。私にかけられている呪いが発動する前に、あの男を消して頂きたい」


 言い切った後、しんとした沈黙がこの場に落ちた。果たして、彼はなんと返すだろか。表情にこそ出さず、真っ直ぐにその瞳を見つめ返して固唾を呑んでいると。


「……つまり、あなたに掛けられている呪術と同等のものを、黒の領地でも発動するつもりだと?」

「同じではありません。黒い羊は……その場に出現する魔物の強化を企んでいるかと」


 各家の騎士達では対応できないほど強力な魔物が現れれば、黒の領地の討伐戦は失敗に終わるどころか甚大な被害を出す。責任を追及されるのは指揮を任されていたオルダリア公爵となるはずだ。


(公爵も討伐戦で大怪我を負い、それを助けるのが聖なる力に目覚めた聖女、エトワールなんだけどね)


 聖女の力を借り、黒の領地から戻った公爵がコートニー伯爵を断罪するのをちゃんと読んだ。

 以降の展開は名前もない、キャラ紹介の一文にしか登場しない自分にとっては関係ないし、そもそも最後まで読む前に殺されてしまったし。


「黒の領地での敗戦は……避けたいのではありませんか?」


 うっすらと、微笑んで見せれば公爵の表情が抜け落ちた。それから沈思黙考した後、ゆっくりと目を上げた。




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