気分はいい日旅立ち
怒涛の金曜日が終わり、帰宅して泥のように眠った私は、浮腫んだ顔を擦りながら目を覚ました。
午前十時半。
六畳のアパートは否応なしに日が入って、寝ぼけ眼にはお日様の光が目に凍みる。
取りあえず起き上がって冷蔵庫まで行くと、しぱしぱする目を擦って冷蔵庫からお茶を取り出した。
「・・・・・はあ。生き返った・・・・。」
作りおきの玄米茶が喉に染み渡っていく。これぞ幸せ。
「うーん。奮発して買った甲斐があったな!このお茶!旨い!」
早くも幸せな気持ちになってカーテンを開ける。
窓の外は冬の寒さを感じさせない程陽光に溢れている。小春日和だ。
私はにんまりするとカーテンを閉めてクローゼット代わりの押し入れへ直行した。
「はあ。最高のお散歩日和だねえ、梅ちゃん・・・・・。」
梅ちゃんと呼ばれた相棒の盆栽、うめもどきちゃんは、私の腕のなかでしっかりと頷いた(気がした)
私が住んでいる深川から会社がある西新宿までは通うにはちょっとしんどいけれど、私はこの町が気に入っている。
田舎から出てきた私としては、商店街もあるし、ちょっと歩けば公園も沢山あるし、富岡八幡宮の深川八幡祭りも活気があって賑やかだし、と何とも肌に合う。
それにお寺も多くて、のんびりとした雰囲気と、歴史が感じられる所が大いに気に入って、入社以降ずーっと深川に根付いている。
そして、私が一番深川を気に入ってるのは―・・・。
深川は銭湯が多いのである。
銭湯なんてものは日本全国どこにでもあると言われればそれまでだけれど。
「歩いて銭湯まで行けるっていうのは贅沢だよねえ・・・・!」
私の田舎は全国でも有名な温泉地で、温泉そのものの値段も安く、実家から歩いて温泉まで行けるのが当たり前だった。
兄妹や幼馴染みや近所のおばちゃんやお婆ちゃん達と一緒にお風呂に入って、上がったらほかほかの体でジュースやアイスを食べながら家まで帰る・・・・。
それが幸せ・・・・・。
思い出しノスタルジーに浸っていた私は、お目当ての場所までやってきて暖簾を潜った。
庚寅湯。アパートの一階にひっそりとある銭湯だ。
「おばちゃーん。おはよお。」
つるつるの木張りの床を踏んで中に入る。
「あら、美愛ちゃん、こんにちわ。また昼からお湯入るの?」
「ふっふっふ。贅沢でしょ。」
梅ちゃんを木のテーブルの上に置いて券売機へ向かう。
「それで昼から焼き鳥とみかんサワーってね!これが私の生きる道だよ!」
「わはは!随分おっさん臭い生きる道だねえ。」
券を渡す。おばちゃんはちゃっちゃと鍵を出しながら、
「初めて美愛ちゃん見た時には、芸能人が来たかとビックリしたもんだけどねえ。それが今じゃあ、デートの一つもせずに真っ昼間っから一人でお湯に浸かってるのを見るのも慣れちゃってねえ。」
そーでしょうな、そっちが本物です。
「デートなんてしないよお。相手がいないもん。」
「そうなんだろうねえ。前ならそんなこと言ってなんて思ってただろうけど、今の美愛ちゃん見てたらねえ。べっぴんには違いないけど、男っ気はないよ。」
そうなんです。紅緒美愛、人生二十六年。男っ気は一向にないんです。
「気になる人も居ないのかい?」
「いる!おばちゃん聞いてくれる?!」
私が食い気味に振り返ると、おばちゃんは大笑いして、
「そんじゃあまあ、ジュースでも飲みながら聞いたげるからさっさと湯に浸かってきな!」
と言った。
そんなに可笑しかったのか、おばちゃんはまだ笑っている。
「入ってくる!」
と脱衣所に急いで、私はこの世の極楽へ向かった。
銭湯っていいよね、の回です。
個人的にスパ銭も温泉も銭湯も、それぞれにそれぞれの良さがあるけど、家で昼間っから湯船に浸かって飲むオレンジジュースほど美味しいものはないと思う。格別。