見せてもらえないかしら?
ひなっちとカフェを出た後、中町コンフォートと言う高層マンションの地下にあるスーパーマーケットで買い物を済ませた。
一緒に買物をしているせいで買ったものはほぼ同じ。
恐らく、今日明日の献立は同じものだろう。うちは明後日になればサロンが休みなので母さんが買ってきてくれる。
ひなっちのところは常に父親がいるから、うちほど買わなくても良いんだろうけどね。
そうして、連休は終わり、日常が戻ってきた。
学校生活もサロンも何事も無く順調で、俺の今までの人生で最も穏やかに過ごしている。
前回までと同じく同じクラスの依莉愛と一学年下で幼馴染の柚咲乃と一緒に勉強をして中間テストに挑んだ。
三人で勉強した甲斐があって、依莉愛はあともう少しで学年順位で一桁台と検討を見せたし、柚咲乃も「三十位台になった!」と喜んでいた。
俺はいつも通り。
放課後。
サロンは休みだからとゆっくり帰り支度をしていたらクラスの女子に呼び止められた。
日野山羽流音と日下部愛紗。
「紫雲くん、お話があるの。時間、良いかな?」
細身中背おかっぱと言う真面目そうな見た目の日野山さん。
断りたいけれど、断る理由がないんだよな。そしてこんな時に限って柚咲乃は来ない。困った。
「んーー……時間は良いんですけど……」
少し間を置いて答えると、日下部さんが言う。
「ここでは話しづらいかもれないわね。学校を出てお話をしましょう。よろしくて?」
柚咲乃と同じくらいの背で似た体型の日下部さん。髪がうねうねしている。癖の強い毛だ。手入れにさぞ気を使ってることだろう。
「わかりました」
「ありがとう。じゃ、行こう」
俺が同意を示すと日野山さんがニコリと愛想笑いして、移動を促した。
俺が教室を出るまでの間、依莉愛からキツい視線を浴びていたのは言うまでもない。
二人に連れて行かれたのは学校にほど近い小さなカフェだった。
「ごめんなさいね。ここしか見付けられなかったのよ」
何故か謝る日下部さん。
「本当は商店街に行ければ良かったんだけど、ウチの高校の制服を着ていると出禁だもんね」
日野山さんは言った。
「私が伺ったところだと今の一年生が卒業するまでは出入り禁止を解くことはないそうよ」
「ほえー……後輩たちも大変だねー」
「ええ、本当に……」
日下部さんは、一呼吸置いてから、コーヒーカップを手に取った。
カップに艶やかな唇をつけてコーヒーを口に含むと音を出さずにゆっくりと飲み込む。
カップソーサーにカップを戻すと、日野山さんを一瞥して──、
「早速……本題に入らせてもらうわね」
と言った。
「これを見てほしいの」
日野山さんがテーブルに紙を置くと、日下部さんもそれに続いた。
テストの得点結果だ。平均と得点、順位が書いてある。
日野山さんは2位、日下部さんは3位だった。
「紫雲さんのも見せてもらえないかしら?」
鋭い眼光を俺に向ける日下部さん。この娘、強いッ!
いや、堂々としているから応じなければならないと思わせてるのか。
俺はカバンに手を突っ込んで、恐る恐る、その紙を取り出してテーブルに置いた。
「紫雲さん……あなただったのね……」
「やっぱり、紫雲くんだったんだね」
どうやら彼女たちは学年一位を探していたらしい。
「私、一年生のころからずっと二位で誰が一位が気になってたんだよね。これでスッキリしたー。そっかそっかー。紫雲くんかー。頭が良くて綺麗で勉強も出来る!スゴい」
何故か嬉しそうな日野山さんは、アイスティーが入ったグラスのストローを咥えて一気に飲み干した。
ズズズズズズ……と音を立てているのを横目に見た日下部さんが怪訝な顔をする。
それを「羽流音、はしたないわよ」と注意する日下部さんが続いた。
「私たち、一年生の頃から学年二位と三位なの。羽流音とは二年生で同じクラスになってお互いの順位を知ったのだけど……」
ゆっくりと瞼を閉じて、考えを整理したのか、少し間を置いて日下部さんは言葉を続ける。
「この学校って学年の順位を発表しないじゃない?三年生になれば上位何人かは分かるけど、私は入学式の時に首席として挨拶させていただいたのに学年ではずっと三位だったわ。それって不思議に思うじゃない?ずっと気になってたのよね。一位が誰だか分かって私はスッキリしたわ」
ふうっと息を吐いて表情が落ち着いた日下部さんは、正面に見るとやはり上品さというか気品のある感じだ。
母さんみたいに厚ぼったい上下の唇は気品さを損なわない程度に淫靡さを主張して情欲を駆り立てる。
日下部さんに見とれていたら日野山さんが日下部さんに続いた。
「私は受験の時に一位にならないように調整したけど、紫雲くんもそうしたの?」
「いや、俺は受験は手を抜きませんでしたよ。通知表の成績がよく有りませんでしたから満点近く出ないと合格ラインに届かなかったと思うので……」
恐れ多くて声を小さくしてしまう。最後の方はボソボソしていたことだろう。
「ああ……紫雲さんは酷い扱いを受けてらしたものね。それも中学の時からと伺ってたけど、教員の方々も生徒と加担していたということなのね……」
「そうですね。いろいろあったので……」
あまり詳しく言いたくはない。
ただ、二年生の時に大量の退学者と同時に教員の処分もあったことから、特進クラスに選ばれる頭脳があれば言わなくても分かるはず。
「まあ、良いわ」
日下部さんはそう言って背もたれに背中を預けて姿勢を取り直すと「聞きたいことも聞けたから、今日はここまでで良いわよね?」と日野山さんに確認をする。
「そだね。聞きたいことは聞けたし私ももう良いよ」
「ん。それでは、お開きにしましょう。でも、その前に」
日下部さんが鞄からスマホを取り出して「連絡先を交換しましょう」と言った。
俺のスマホに二人の電話番号が増え、メッセージアプリのアカウントも交換する。
それから、自分が飲んだもののお金を支払ってカフェを出た。
「それじゃ、私たちはこっちだから」
日野山さんがそう言って日下部さんと帰ろうとすると
「私、個人的なお話があるから先に帰ってもらえる?」
日下部さんはその場で言う。
それを聞いた日野山さんは口端と釣り上げた厭らしい笑みを日下部さんに向けて
「あ、もしかして?」
と言って口を手で抑えた。
「違うよわ。そういうのじゃないわ。ちょっと家庭の事情というものよ」
「へー……そうなの?どんな?って聞いちゃ不味いか……」
「ええ、おおっぴらに言えることじゃないわね」
「わかった。じゃあ、私は帰るね」
日野山さんは「バイバイ!また明日」と帰って行った。
「というわけで、もう少し私に付き合ってくださる?」
日野山さんが見えなくなると日下部さんが俺に言う。
「良いけど、場所は俺がいつも使ってるところで良いです?」
「それは構いませんよ」
日下部さんの同意を得られたので、俺は昨年のクラスメイトだった野々原さんを連れて行ったレストランへと向かった。
カフェから歩くこと数分。
レストランに着いた。
「いらっしゃい。あ、和音くんじゃない。こんにちは」
「こんにちは」
母さんより年上の女性でこのレストランを旦那さんと切り盛りしているお姉さんが、俺を見つけるとパタパタとやってきた。
「あら、日下部さんのお嬢さんじゃない?」
「こんにちは。ご無沙汰してます」
「いらっしゃい。ウチは今、和音くん以外の東高の生徒は出禁なのよね。でも和音くんと一緒なら大丈夫よ」
「ええ。伺ってますから大丈夫です」
「ごめんなさいね」
頭を下げるお姉さんに笑顔で「いいえ」と日下部さんは返した。
それにしても日下部さんも知ってたんだね。この口ぶりだと俺や母さんよりも付き合いが長そうなのに。
「和音くん。席はいつものところで良いかしら?」
「はい。いつものところでお願いします」
俺と日下部さんはお姉さんの先導でホールの奥にある個室めいた座席に案内された。
席に座るとお互いに飲み物を注文した。
俺も日下部さんもホットコーヒー。食べ物は頼まなかった。
「では、早速お話をさせてもらっても宜しくて?」
日下部さんはコーヒーを待たずに口を開く。
俺は「良いですよ」と答えると日下部さんが続けた言葉に俺は驚いた。
「私と紫雲さんは遠い親戚なのよ」
「親戚……ですか?」
「ええ。私の母方の祖母と紫雲さんの母方の祖母にあたる女性が再従姉妹で、貴方に会うことがあれば是非、家に連れてきなさいと伝えられているのよ」
「俺の母を……ですよね?」
「そうね。紫雲さんと貴方のお母様の二人じゃないかしら?」
「俺もか……」
「それと、これだけは伝えてほしいと言われていることがあって……」
このタイミングでコーヒーが運ばれてきた。
「ごゆっくりどうぞ」
お姉さんはそう言って去る。
日下部さんはテーブルの上のコーヒーを砂糖もミルクも入れずに一口含んでコクリと飲み込むと言葉を紡いだ。
「私の祖母は貴方のお母様を引き取ろうとしたのだけど、後見人になれなかったのと祖父が引き取りに反対されたので叶わなかった。祖父の手前、会いに行くこともできず申し訳なかった──と」
「そうですか……」
俺はコーヒーを飲んで一旦落ち着かせる。
「突然親戚と言われてもあまり実感がないんですよね。母さんには伝えておくけど返事は期待しないでください」
「そこに関しては私も分かるわね。6親等までが親族と言われますけれど紫雲さんは私から見たら10親等。ここまで来ると他人よね」
とは言え、目の前の日下部さん。母さんの唇と日下部さんの唇は同じ形で同じ色なんだよな。
それにしても、日下部さんはノーメイクでこの見た目。手入れもそれなりにしているのが伺えるけれど美人だ。
背が高いのも遺伝なのかも知れない。
「ところで、私の唇になにかついてるのかしら?」
俺の目線に気が付いた日下部さんが俺に問い質してきた。
素直に答えるか。
「いいえ。母さんの唇とそっくりだと思いまして……」
「似てるところがあったのね。拝見させていただくのが楽しみになったわ」
嫋やかに微笑む日下部さんの唇は、上下ともに厚ぼったくて色香が強い。
口紅やリップを塗っていないのは色を着けると悪目立ちして品を下げることを嫌っているんだろう。
母さんも昔、そんなことを言っていたからね。
でも、唇が厚いからこそちょっとの表情の変化でも訴求力があるし、何より俺にとっては魅力的で胸の奥から込み上がるものがある。
母さんと同じくて、日下部さんの唇に吸い寄せられそうになるんだ。
それにしても、毛量が多くて癖の強い日下部さんの髪の毛。めちゃくちゃ気になる。
彼女の髪の毛を何とかしてみたい。
そうしていると、お姉さんがやってきて俺と日下部さんにパンケーキを一つずつ持ってきた。
「これはね。サービスよ。日下部さんのお嬢さんと和音くんにね」
母さんよりずっと年上だというのに、動作はとても若々しくて可愛らしい。
「良いんですか?」「宜しいのですか?」
俺と日下部さんの言葉が重なった。
「良いのよ。お二人とも常連さんのお子さまだからサービスくらいはしておかないとね」
そう言ってテーブルに置くとパチっとしたウィンクを向けてトレーを持って下がっていく。
いただいたパンケーキを美味しく食べ終えると、コーヒー代はそれぞれで支払いレストランの外で分かれる。
時計を見たらもう午後五時を指していた。




