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短編

【短編版】契約結婚、夫は居ないものとして扱っていいそうです

 少したれ目がちな瞳に泣きぼくろ、分厚めのぷるんとした下唇、豊満な胸にくびれたウエスト。

 男受けのする容姿。そんな自分になりたくてなったわけじゃない。


 いつしか男なんて大嫌いになっていた。

 下心ばかりで私をそういう目でしか見てくれない。

 結婚なんて一生する気は無い。


 だけど━━━━






  * * *






「エミリア喜べ。お前にとっていい縁談が来たぞ!」



 畑で野菜を収穫していると、父がにこにことしながら軽やかな足どりでやって来て、そうのたまった。


「……お父様、縁談という時点で、いいもクソも無いと思うのですが」


 私はギロリと睨みつける。人の悪意に鈍感な父は顔色一つ変えずに言葉を続けた。


「こらこらエミリア、クソだなんて汚い言葉を使ってはいけないよ。そんな事言わないでほら、取り敢えずはこれを読んでごらん」


 にこやかにそう言って差し出された紙を、私はしぶしぶ受け取り目を通す。

 そこには、婚姻を結ぶにあたっての条件なるものが記載されていた。


 ふむふむ、え、何だこれは。


 堅苦しい言い回しで書き連ねてあるけれど、要約するとこうだった。


『結婚後、夫婦間の閨事、スキンシップは一切無し。公の場でのみ接するだけに留めること』


『前妻の忘れ形見である息子を愛情を持って育てること』


『上記を厳守できるのならば、持参金は不要。借金返済の為の援助をする』



 何だろうこれ。こんな婚姻条件あり得ないでしょう。



「━━━━お父様……」


「ああ、エミリア」



 私と父はガシッと熱く握手を交わす。



「素晴らしいですわお父様、ポンコツなだけだと思っていたのに、こんなに好条件な縁談を見つけて来てくださるなんて!」


「こらこらエミリア、父に向かってポンコツだなんて言ってはいけないよ」



 いやいや、あなた、ポンコツ以外の何物でもないでしょう。


 早くに亡くした母の分も愛情を持って育ててくれたことには感謝している。


 けれども、お人好しにも程があり、騙されお金を奪い取られた回数は数えきれないほど。

 このポンコツのせいで、我が子爵家の家計は火の車だ。


 幸い、領地は肥沃な大地と温暖な気候に恵まれていて、農作物の収穫も家畜の飼育も良好、領民の暮らしは安定している。

 ヒーヒー言っているのは、我が家だけに留まっている。

 兄が早々に父の跡を継いで子爵となり、何とか借金返済に駆けずり回る毎日。


 そして私は二十歳になっても結婚する気もなく、メイドの仕事に明け暮れている。少しでも家計の足しにする為だ。


 男なんて大っ嫌い、だから結婚なんてする気は無いのだけれど、実は子供は欲しかったりする。

 養子を貰うという手もあるけれど、女手ひとつで養っていけるとは到底思えず。半ばあきらめていた。

 

 まさかの好条件に思わず飛び付きそうになる。

 でも待てよ、これはポンコツの持ってきた縁談ではないか。

 そもそも信用してはいけないのではないか?

 そう、これはきっと、

 

「お父様、これは詐欺では?」


 契約したが最後、私は隣国にでも売り飛ばされるのではないか?

 もしくは娼館とか。


「こらこらエミリア、これはオースティン侯爵からの縁談だよ。そんなことを言ってはいけないよ」


「オースティン……侯爵!?」



 オースティン侯爵。噂で聞いたことがある。

 確か奥さまとは数年前に死別したとか。

 社交界では孤高の美丈夫だと言われているとか。

 私は社交界からは離れているので、会ったことは無いけれど。


 なぜそんな方との縁談が!?


 父によると、オースティン侯爵は大の女嫌いらしい。だけれど世の女性達が独身となった彼を放っておく訳もなく、我こそを後妻に!という申し出が後を断たず困っているそうだ。


 彼には四歳の息子がいるので、妻はいらないけれど、新しい母親は欲しいと考えていたそうだ。

 つまり、私にとっても相手にとってもこの縁談は利害が一致するもの。


 私は、オースティン侯爵と愛の無い契約結婚をする事に決めた。





  * * *





 書面でのやり取りを幾度か交わし、代理人とご子息との顔合わせを何度か済ませ、婚前契約書にサインをした。

 婚姻も済ませ、あっけなく私はオースティン侯爵夫人となった。


 侯爵邸への荷物の運び入れを終え、今日からここ侯爵邸が私の家。

 実にあっけない。結婚ってこんなものなのか。



 ここまで、まだ夫となった侯爵本人には会っていない。

 本当に女嫌いなようだ。



 自室となる部屋の整理をしていると、侯爵の代理人として顔合わせをしていた老執事のダフマンさんが部屋を訪れてきた。



「エミリア様、今よろしいでしょうか?居間にてデューク様とシリル様がいらっしゃいまして、ご挨拶をと仰せです」


「はい、かしこまりました」


 ついに来た。

 侯爵様との初対面の時が。さすがにちょっと緊張する。


「失礼します」


 ドキドキしながら居間の扉をあけ、入室する。



「エミリア!」


 私の姿を見てすぐに立ち上がり声をかけてくれたのは、オースティン侯爵のご子息のシリル様。

 あ、もう書類上は私の息子になったのだから、ご子息ではないのか。何だか照れる。


「こんにちは、シリル様」


 笑顔で話しかけると、すぐに駆け寄ってきて私に抱きついた。ふんわりとした銀色の髪を優しく撫でた。


「エミリア!今日からいっしょにくらせるんだよね!」


「はい、よろしくお願いいたしますね」


「うんっ!」


 数回会っただけなのにこんなに懐いてくれて、可愛くてたまらない。ぎゅっと抱きしめたいけれど、まずは侯爵様に挨拶をしないと。



「お初にお目にかかります、侯爵様。モートン子爵家が長女、エミリアです。この度は━━━━」


「ああ、堅苦しい挨拶は結構だ。私はデューク・オースティン。書類上は君の夫となったが、私のことは居ないものとして扱ってくれ。君はシリルのことだけを考えていてくれたらいい。できるだけシリルの要望に沿うよう努力をしてくれ」


 椅子から立ち上がった銀髪の美丈夫が、冷ややかな目をして冷ややかな声で言い放った。



「……そうですか。かしこまりました」


 ある程度は関わらないといけないと思っていたのに、それすらも必要ないのか……



 なんて有難い!


「ではシリル様、今から一緒に遊びましょうか」


 目の前の天使にだけ愛情を注げばいいなんて、ここは天国かな?


「わぁい!それじゃ、おにごっこしよっ!」


「はい分かりました。ではシリル様、お着替えしてきますので、少しお待ちくださいね」


「うんっ!まってるー」


 自室に戻り、動きやすいパンツスタイルに着替えた。


「お待たせしました。では遊びましょう」


「わぁい!」


 侯爵家の広い中庭をシリル様と駆け回る。

 小さな体のシリル様はどんなに狭い隙間でもするりと通り抜けていくので、私はちょっと大変だけど。


 一時間は遊んだかな、というところで、メイドのマーシャさんが飲み物を用意してくれたので、テラスに向かった。


 丸テーブルをシリル様と囲って休憩する。


「エミリア!つぎはね、かくれんぼしようね!」


「はい、その為にはしっかり水分をとって休憩しましょうね」


「うんっ!」


 そう言ってグラスを両手に持ち、勢いよくジュースを飲んだ。


「━━っごほっごほっ」


「ほらほら、ゆっくり飲みましょうね。かくれんぼは逃げませんよ」


 むせた小さな背中を優しくトントンとし、べたべたに濡れた口元をタオルで拭う。


「こほこほっ、うん、えへへ」


 ちょっと恥ずかしそうに笑うシリル様に、私のみならず、マーシャさんもダフマンさんも心を鷲掴みにされた。



 休憩後も元気いっぱい遊んだシリル様は、電池が切れてダフマンさんの腕の中だ。


「ダフマンさん、シリル様が天使すぎて幸せすぎるんですけど、ここ現実ですよね?」


「現実ですよ。エミリア様は本当にシリル様がお好きですね。本日はデューク様にもお会いになりましたが、いかがでしたか?」


 いかがでしたかと言われても、一度しか言葉を交わしていないから、いかがも何もないんだけど。



「そうですね、噂通りの孤高の美丈夫という感じでしたね。本当に女性がお嫌いのようで安心しました」


「くっ、くくくっ……そうですか。それはようございました。くくくっ……」


 何かがダフマンさんのツボに入ったようだ。肩を震わせているけれど、シリル様を落とさないかと不安になった。




 夕食時になった。

 夕食は一応家族で取るらしく、デューク様、私、シリル様の三人で長テーブルに着いた。


「ちちうえっ!ちちうえっ!今日はねっ!」


 シリル様が今日あった出来事をデューク様に嬉しそうに話している。

 デューク様は、私に向けるような冷ややかな目ではなく、優しく目尻を下げて話を聞いている。

 ちゃんと父親としては優しいようで安心した。


 私には一切話しかけずに、冷ややかな目線だけれど。


 うん、問題はない。実にストレスフリーな空間だ。



 湯浴みを済ませ就寝の準備を終えると、ベッドにごろんと仰向けになった。

 分厚いマットレスに広いベッドは実に快適で、今までのことをぼんやりと考えた。



 学生時代は私も人並みに恋をした。


 仲良くなったクラスメートの男の子に連れられて行った空き教室では、急に胸を触られて、思い切り頬を叩いた。


 憧れていた先輩と観劇に行けば、暗がりでスカートの中に手を入れられて下着に手をかけられ、足を思い切り踏んづけてから頬を叩いた。


 夜会で話しかけてきた男性にはジュースだと言ってお酒を飲まされ、密室に連れ込まれそうになった。何とか股間を蹴り上げ難を逃れたけれど。


 その他にも、数え上げればキリが無いほど。ろくでもない男達にひどい目に遭わされかけてきた。


 そして皆が皆、私の方から誘ってきたんだろう、そんなエロい体をしているのが悪いんだ、どうせ何人もの男と経験済みだろう、あばずれのくせに勿体ぶりやがってと言った。


 何を言ってるんだ。私はまだ処女だっての!


 そう声を大にして言いたかった。さすがに恥ずかしくて言えないけど。


 素敵な男性と出会って結婚して、その人に私の初めてを捧げる。

 そんなことを夢見ていた自分はもういない。


 男なんて大嫌いだ。





  * * *





 次の日からも、デューク様とは食事時に顔を合わせるのみ、会話は一切無し。

 たまに廊下でばったり会っても、私が会釈している間に彼は通りすぎていく。


 なんて快適なんだ!



 ……とか思っていたけれど、そんな様子を変だと感じ取った四歳児が、不安げに眉を下げて質問をしてきた。


「ねぇエミリア、エミリアとちちうえは仲良しじゃないの?」


「えっ?そうですね……」


 え?何て答えればいいの?

 ダフマンさんに視線で助けを求める。


「シリル様、エミリア様とデューク様は恥ずかしがり屋なのですよ。だから皆の前では仲良くできないのです」


 おお、さすが!さらっとそれっぽい返答で誤魔化してくれた。


「そっか、そうなんだ。ほんとは仲良しなんだね!」


 シリル様は安心したようで満面の笑みになった。


「そっ、そうなんです、えへへっ」


 ううぅ、心が痛い。天使に嘘をつかないといけないなんて。



 心を痛めつつも、シリル様と遊んだ。

 今日も全力で遊んだシリル様は、ダフマンさんの腕の中だ。


「シリル様の前でだけは最低限の会話をした方がいいのでしょうか……」


「そうですね。デューク様にも聞いてみましょう」


「お願いします」



 次の日からは、一言二言だけ、デューク様と会話をするようになった。

 いい天気だな、とか、今日は何をしたんだ?とか当たり障りのない会話だ。


 相変わらずそっけないけれど、シリル様の為にも何とか会話をしようと努める彼は、私の事を下心のある目では決して見ない。

 それは少し嬉しかった。



 彼は、私とシリル様が遊んだり一緒に過ごしたりしているところを、たまに遠くの方から眺めるようになった。

 ちゃんと二人のことを見守っているよというアピールだろうか。

 シリル様はそんなデューク様を見つけると、すごく嬉しそうに手を振る。


 こんな家族の形も何だか良いな。





  * * *





「ああっ!」


 シリル様と紙飛行機を飛ばして遊んでいると、風にさらわれて木の枝に引っ掛かってしまった。

 彼が小さな手で一生懸命折ったものだ。


「大丈夫ですよ、待っててくださいね」


「ええっ?エミリア様?」


 狼狽えるマーシャさんを横目に、私はするすると木に登っていく。ど田舎な子爵領で育った私には、木登りなんて朝飯前だ。

 今日もズボンとシャツを身につけているので、軽々と登って行き、無事紙飛行機を救出する。


「エミリアすごーい!」

「シリル様、落としますよ」

「はーいっ!」


 下で両手を差し出すシリル様に紙飛行機を落とす。


「わっ、わわっ!」


 ひらひらと落ちてくる紙飛行機を、ぱしっと無事に受け止めた。


「エミリアー!とれたよー!」

「はい!上手に受けとれましたね」

「えへへー!」


 受け止めたのを確認すると、するすると下に降りていく。

 地面に足を着けてくるりと振り返ると、目の前にはなぜかデューク様の姿。


「えっ?なんっっ」


 何でいるの?という言葉を何とか呑み込んだ。

 自分の家の敷地内だからいてもおかしくないからね。


 それにしても、何で目の前に?

 シリル様の側ならまだしも、なぜ私の目の前にいるのだろうか。



「……大丈夫みたいだな」


 一言だけぼそっと呟くと、そのまま屋敷の方へと戻って行った。


 デューク様は息を切らしていた。ここまで走って来たのだろうか。

 大丈夫というのは、私が木に登っていたから?


 もしかして心配して来てくれた?



 ……そうだとしたら、ちょっと嬉しいかもしれない。





  * * * * *





 公爵家の三女と半ば強引に婚約させられ、そのまま結婚したのは今から五年前のこと。

 不特定多数の男と関係を持つようなふしだらな女だった。


 義務的に閨を共にし、すぐに彼女は懐妊した。私の子供かと懐疑的だったが、生まれた子は銀色の髪に緑色の瞳を持つ私にそっくりな男児。

 跡継ぎを産んでくれたことには感謝した。

 しかし結婚後も男と関係を持つことを止めなかった女は、痴情のもつれにより命を落とした。


 シリルがまだ一歳にも満たない頃だ。

 表向きは病死として処理し、私は独身となった。


 喪が明けるとすぐに、我こそを後妻にと望む女性達からのアプローチが始まることとなり。

 正直、どう接すれば良いのかも分からず狼狽える日々。


 一対一でも会話を成り立たせるのに苦労するというのに、四方八方からアプローチされ、頭が混乱し、とにかくテンパった。


 しかし私は元々、感情が顔には出にくいタイプな為、表面上は全く動じていないように見えるようだ。

 言葉を返せなくても、クールで隙がないと皆が勝手に勘違いをしてくれた。


 新しい妻なんて必要ではない。毎日顔を合わせて会話をするなんてことは苦行でしかない。何を話せば良いのかと胃痛になるだけだ。

 実際、前の妻がいた時はそうだった。


 私には可愛いシリルがいる。それだけで充分だ。


 しかしシリルは絵本で母親という存在を知り、自分にはどうして母親がいないのかと問うようになった。


 私は妻という存在を必要としていないけれど、シリルには母親という存在を与えてあげたい。


 どうしたものかと、父に相談をしてみた。本当に何となく悩みを言ってみただけ。

 まさか条件を満たす女性を見つけてくるなんて思いもしないから。


 その女性は、父の友人の娘。

 男嫌いな為、結婚はしたくない。だけれど子を持つ願望がある。養子を迎えるにしても、女手ひとつでやっていく自信は無いから、半ば諦めていると言う。


 私と利害が一致するではないか。


 さっそく契約内容を記載した書類を作成し、その女性の父親に託した。

 いい返事をもらえたので、さっそくダフマンに代理で面談を頼んだ。


 ダフマンから見て、女性は好印象だったということなので、次の面談時にはシリルにも同席をさせた。

 シリルとの相性が悪ければ、婚姻する意味は無い。


 シリルは女性を気に入ったようだ。

 一度しか会っていないのに、『エミリアにまたあいたい!』と言った。


 二度目の面談にもシリルを同席させた。


『エミリアとおえかきしたんだよ!絵本よんでくれたんだよ!』


 シリルが嬉しそうに話す。

 エミリアという女性は本当に子供好きのようだ。


 三回目の面談の後、シリルに問いかけた。


『彼女と一緒に暮らしたいか?母親になってほしいか?』


 シリルは曇りのない眼で大きく返事をした。

 そして私は、一度も会ったことのない女性を妻として迎え入れることに決めた。



 居間にて初対面を果たした女性は、何とも妖艶で美しい人だった。

 ダメだ。緊張してまともに会話出来る気がしない。


「お初にお目にかかります、侯爵様。モートン子爵家が長女、エミリアです。この度は━━━━」


「ああ、堅苦しい挨拶は結構だ」


 私のことは居ないものとして扱ってくれ、そう冷たく言い放つ。

 自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきた。

 そのおかげで、日常会話も必要無いと、最初に牽制することができた。

 だって出来る気がしないから。


 彼女は少し驚いた顔をしつつも、分かりました、と言いすぐにシリルに向き合う。

 そして、本当に私のことは居ないものとして扱った。


 私はホッと胸を撫で下ろした。


 夕食時にも、彼女は私の顔を見ると会釈をするのみ。

 嬉しそうに今日の出来事を話すシリルをいとおしそうに見つめていた。

 私のことは一度ちらりと見ただけだった。


 ちゃんと私の言ったことを実行してくれているようだ。本当に助かる。



 夕食後の執務室にて、ダフマンより今日の報告を受ける。


 今日一日、彼女とシリルは本当に仲良く楽しそうに過ごしていたという。

 シリルと全力で遊んでくれたようだ。本当に有難い。


 私のことを何か言っていたかと尋ねれば、いえ全く、と返事が返ってきた。

 その肩は震えていたように思う。



 彼女がこの家に来て一週間が経った頃、ダフマン経由で彼女からの要望を聞いた。

 侯爵夫人として、何か仕事は無いのかという要望だった。


 シリルと遊んで過ごしているだけでは、居た堪れなくなってきたとか。


 何ができるのかとダフマン経由で聞いてみると、経理関係なら一通りの知識はあると返事があったので、試しに私の仕事の一部を任せることにした。


 彼女の仕事は完璧だった。集計を頼めば全て正確で、書類の纏めを頼めば分かりやすく作成してくれた。

 ダフマン情報によると、父親があまりにも無能過ぎた為、若い頃より兄と共に父の仕事を分担して何とかやりくりしてきたとのこと。

 苦労してきたのだな。


 彼女のお陰で仕事をスムーズにこなせるようになり、夜遅くまで執務室に籠る必要も無くなった。

 シリルとふれあう時間が増える!


「シリル、今日は久しぶりに一緒に寝ようか。絵本を読んであげよう」


「ううん、エミリアとねるからいいのー!」


「……そうか」


 まさか断られるとは思わなかった。その日はショックで枕を濡らした。



 それからも、時間ができたので遊ぼうかと尋ねれば何度か断られ、食事時もたまにシリルは彼女にだけ話しかける日も出てきた。


 何だろう、すごく寂しい。二人の会話に参加するなんて高度なことは私には無理だけれど。



 ダフマンから、シリルが、私と彼女が不仲だと心配しているから、少しでも会話をした方が良いのでは?と提案があった。


 そうか、シリルが不安がっているのならしょうがない。シリルの為だ、少し会話をすることにしよう。


 なぜか弾む心。

 緊張してまともに会話なんてできないと分かっているのに、彼女と話がしたい。そんな気持ちが芽生えていた。


 次の日から、挨拶や差し障りの無い会話をするようになった。

 頑張って捻り出した『今日はいい天気だな』という言葉に、彼女は笑顔で『そうですね、とても気持ちがいいです』と答えてくれた。


 いつもシリルにのみ語りかけていた彼女が、私にも語りかけている。

 ただそれだけの事なのに、何だか心が満たされていった。



 空いた時間に、遠くからシリルと彼女を眺めるようになった。

 すごく楽しそうだ。本音を言えばもっと近くで見ていたい。何なら私も混ざりたい。


 けれども自分から、私は居ないものとして扱ってくれと言い放ち、スキンシップは一切無しと契約した手前、近づくことを躊躇ってしまう。


 そして近づいたからと言って、上手くコミュニケーションが取れる自信も無い。

 何とも言えない孤独感に苛まれる。




 今日も遠くからシリルと彼女を眺める。


 ふと彼女が大きな木に近づき、あろうことか登りだしたではないか。

 何をやっているんだ!?


 気付けば私は彼女の元へと走っていた。

 木の下までやって来ると、彼女が無事に降りてくるのをハラハラとしながら見守っていた。


 無事足を地面につけ、振り返った彼女は目を丸くさせた。

 目の前に私がいたからだ。

 しまった、近くに行きすぎた。



「……大丈夫みたいだな」


 そう一言だけ何とか言葉を絞り出し、その場を後にした。





  * * * * *





 私がお仕えしているのは、オースティン侯爵家の当主、デューク様。


 銀色の髪にエメラルドのように美しい切れ長の瞳。すっと通った鼻筋にシャープな輪郭。そんな整い過ぎた容姿でおまけに長身ときた。


 結婚後二年足らずで独身となり、まだ二十六歳。そんな彼を世の女性達が放っておく訳もなく。

 夜会に出ればさながら猛獣達に追い詰められた小動物のような有り様だった。

 そっけない態度で躱しているように見えたが、何を隠そうデューク様はコミュ障である。


 周りは、無口で孤高な美丈夫と勘違いしているけれど、その実は大勢に囲まれてテンパっているだけなのである。


 そんなデューク様が、父君の紹介する女性との再婚を考えているという。


 私はデューク様の代理として、その女性と面談することとなった。



「初めまして、オースティン侯爵家の執事をしております、ダフマンと申します」


「初めまして。エミリア・モートンと申します」


 面談場所である喫茶店の個室にやって来たのは、何とも妖艶な美女だった。

 艶やかな長い黒髪に琥珀色の瞳。目元の泣き黒子が何とも色っぽい。


 話を聞くと、その見た目ゆえ、ろくでもない男に何度もひどい目に遭わされかけ、罵声を浴びせられたりしてきた為、男という生き物にはほとほと愛想が尽きてしまったそうだ。


 そんな彼女は大の子供好きだと言う。


 次の面談に同行してきたシリル様に、一目で胸を撃ち抜かれたようだ。

 シリル様も彼女を気に入ったようで、三回目の面談ではもうすっかり仲良しになっていた。


 デューク様に報告を済ませ、諸々の手続きが行われた。


 そして、二人は一度も顔を会わすこと無く、無事夫婦となった。



 デューク様はエミリア様に会うときっと固まってしまうだろうな。ただでさえコミュ障なのに、美しすぎる女性相手ではまともに話せないだろう。


 そう思っていたのに、彼女の前でデューク様はスラスラと話している。テンパりすぎるとこうなるのか。


 デューク様は、私のことは居ないものとして扱ってくれ、と牽制をした。

 

 端から見れば、女性にうんざりとしていて、最低限接することも煩わしいというような色男だ。


 その内心は、これで緊張しながら会話をする心配も無くなるだろうとホッとしているに違いない。



 そんな彼が、段々とシリル様とエミリア様の事を羨ましそうに眺めるようになった。

 何だか仲間に入れて欲しそうに見える。何とも嘆かわしい。


 エミリア様に、自分からも何とか話しかけるようになった。すごい成長だ。



 オースティン侯爵家の執事として、これからもコミュ障な主と男嫌いな夫人の恋の行方を見守っていこう。


 いつかは心を通わせられる日が来ることを、切に願う。








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― 新着の感想 ―
[良い点] とても楽しく拝読しました! 絶妙なすれ違いにニヤニヤが止まりません(・∀・)ニヤニヤ ぜひ連載してほしいです……!!
[良い点] 続きが読みたいです! とても幸せな気持ちになりました。 続編を切に切に望みます。
[一言] えぇ! これで終わり!? めっちゃ面白かったです。
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