噓とエッセイ#6『爆弾』
未だ続くコロナ禍は、少しずつ終息に向かっているとはいえ、私たちを家に押しとどめようと、躍起になっている。
馬鹿の一つ覚えみたいに、ステイホームが叫ばれた中で、人々は何をしたか。本を読んだり、テレビを見たり。SNSや生配信に夢中になったり。一向に効果の出ない筋トレに、取り組んだ人もいるかもしれない。
そんな中、暇を持て余した人々のオアシスとなったものの一つに、私は動画配信サービスがあると考える。Netflixに、Amazon Prime Video。HuluにU-NEXTやその他諸々、有象無象。
いくつもサービスをかけ持ちすることは珍しくなく、請求のメールが来るたびに「ああ、このサービスにも加入していたな」と思い当たる人もいるはずだ。というか、私がそうだ。
だけれど、私はあまり動画配信サービスで、映画やドラマを見たいとは思わない。私はⅰPadなどといったタブレットも持ってないし、もちろん、ホームシアターなんてこんちくしょうな成功者が持つ施設なんてあるはずもない。
スマートフォンの小さい画面で見るしかなく、あまり気分が乗らないのだ。例えるなら、せっかく展望台に上ったのに、霧が深くて景色が全く見えないといったような。普段、映画館のスクリーンで映画を観ることに慣れてしまっていて、スマートフォンでの鑑賞に満足できないのだ。
あと、基本寝転がっているから、途中で寝てしまう。
なので、私は毎週レンタルビデオ店に通うことにしている。平成一桁生まれとしてはありえないほどの、オールドな慣習だ。実際、この前も借りた円盤をツイッターにアップしたら、「久しぶりに見た」とか言われた。
スーパーで夕食を買うついでにというエクスキューズを得て、私は夜な夜な近所のGEOに自転車を走らせる。やりすぎなほど明るい店内に、アルマゲドンいくつとかよく分からないビデオオリジナル作品。新作旧作人気作。
基本的には地方だから、あまり利用者もなく、観ようと思った作品は大体借りることができる。
先週、借りた映画はたしかこんな映画だった。主人公はある秘密組織のエージェント。心臓に爆弾を埋め込まれていて、毎日連絡をしなければ死んでしまうという突飛な設定だ。
癖の強い役を演じることが多く、ネットでもいじられている俳優が、ニューエネルギーの情報を掴むため、相棒と奮闘する。果たして、主人公は無事に組織に情報を届けられるのか、といった映画だった。
正直、そこまで面白くはなかった。ストーリーも平坦だし、アクションも見ごたえがないし、あと何を言ってるかよく分からない。
だけれど、私は主人公が抱える苦悩が他人事だとは思えなかった。
だって、私の心臓にも爆弾が仕掛けられているのだから。それは、生まれたときから備わっていて、三〇歳になった瞬間に爆発するように設定されている。
つまり私の命は、あと二年半ほどだ。余命ものの映画なら、いまいち盛り上がらない長すぎる残り時間だ。
これを読んでいるあなたは、私が血眼になってでも爆弾の解除方法を見つけるべきだと、言うかもしれない。
だが、残念なお知らせ。この爆弾の解除方法は現時点で、全く見つかっていない。
赤や青のケーブルも、暗証番号もない。手術をして取り出そうとしても、爆弾は心臓の外側に張りついているため、心臓を傷つけずに切除するなんてことは不可能だ。
私は三〇歳になった瞬間に死ぬ。それは不可避だ。二階から生卵を落とすと、必ず割れるくらい不可避だ。
また、私は心臓と一緒に鼓動を刻むこの爆弾を、解除したいとも思わない。
だって、人はいずれ死ぬのだ。それが早いか遅いかの違いではないか。
仕事は最低賃金。友人はゼロ人。彼女いない歴イコール年齢。何の才能もないし、何も手をつけようとしない、無能で、臆病で、面倒くさがりの生きるゴミ。それが私なのだ。
この先生きていて、いいことがあるだろうか。いや、ない。
本当は今すぐにでも爆発四散して、この世を去るべきなのだ。これを書いている今、この瞬間にも。
だけれど、私には勇気というものがひとかけらも備わっていない。まるで神様が生まれたときに、抜き取ってしまったかのようだ。それはつまり、爆発前に自分で幕を引くことができないことを意味する。
この三階の窓から飛び降りることも、家に一本しかない包丁で、頸動脈を切断することもできないのだ。
理由は決まっている。痛いからだ。成長するために必要な痛みからことごとく逃げてきた私は、死の瞬間でさえ、痛みを拒絶する。
だから毎晩、寝るときには、このまま二度と目を覚まさないのが理想だなと思って目を瞑る。なんとも情けない。
それにあと二年半で、何かを成し遂げることができるだろうか。こんな長所も美点も特徴も何もない私が、何かを残すことができるだろうか。世界は甘くないというのに。
だから、私は努力を放棄する。改善を放棄する。どうせあと二年半で死ぬのだ。何もできないまま死ぬのだ。
これを読んでいるあなたは、ずいぶん厭世的な価値観だと思うかもしれない。
だけれど、たった二十数年ほど前には、多くの人が何をしても意味がないと思っていたはずだ。
ノストラダムスの大予言。
恐怖の大王が降臨して、地球は滅亡するというでっちあげは、当時多くの人々をパニックに陥れたことだろう。私はその頃、
まだ指をしゃぶっているような子供だったから覚えていないが、漫画で読んだことがある。ノストラダムスの大予言を信じた主人公が、どうせ一九九七年の七月に地球は滅亡するのだから、それまでは好き放題、楽に生きると宣言して、周囲を困らせる話だ。
最終的に彼女は、親から怒られて目を覚ましたが、私の悪夢はまだ醒めていない。爆発するまでずっと続くのだろう。息をするのでさえ、嫌になってきそうだ。
さらに、問題はある。気が早いかもしれないが、爆発したときのことだ。果たしてその規模はいかほどか。
私が見た映画では、たしかざっとTNT二〇トン分くらいの威力はあった気がする。私の爆弾も同程度の威力だとすると、街中で爆発したら、人を巻き込むこと間違いなしだ。
もちろん死ねばそれで終わりだし、責任を被せられることがないので、渋谷のスクランブル交差点にでも行くことも、選択肢としてはあるかもしれない。
だけれど、多くの日本人はそうだろうが、私も例に漏れず、人に迷惑をかけるなと教え込まれている。
だから、私が爆発する場所は、だれもいない小高い丘の上か、海に浮かぶちっぽけな船ということになるだろう。
しかし、そこで暮らす動植物はどうしても傷ついてしまう。今は持続可能なSDGsの時代だ。環境に負荷をかけるような真似はご法度だろう。
とはいえ、ここでひとつ懸念がある。それは私が誰も見ていないところで、爆発するということだ。
もちろん、死ぬときは一人だし、孤独死は現在、山手線の本数に匹敵するほどに起きている。私も孤独死まっしぐらだ。
だけれど、今流行りの漫画の主人公ではないが、私だって大勢に看取られて死にたい気持ちは持っている。
じゃあ、どうするか。爆発する瞬間をドローンで撮影して生配信でもするか。
しかし、私が生配信をしたところで、立ち上げたばかりのアカウントを見てくれる人の数なんて、たかが知れている。現実では、そう簡単にバズは起こらないのだ。
となると、浮かんでくるのは幾千回とフィクションで使われた常套句。「あなたを殺して私も死ぬ」だ。
別に私には殺したいほど憎んでいる人間はいない。殴りたいほどうざったく感じる人間はいるけれど。
本当に誰だっていい。多くの加害者が言う「誰だっていい」は主に女性や子供に限定されるけれど、私の場合はボクシングの世界チャンプでもヤクザでも別に構わない。
だって同時に私も死ぬのだから、報復の心配がいらない。怯えることも何もない。ただ、人の集まるところに行って日付が変わった瞬間にバーン。簡単なことだ。
そういえば、先日電車で放火と、殺人未遂を犯した彼は、死刑になるのだろうか。
確か「死刑になりたかった」と供述したというニュースを見たことがある。それを目にして、思わず私は「分かる」と呟いてしまった。
だって、私もまた自殺する勇気がないのだから。誰かが、私の場合は爆弾に仕掛けられた時限装置だが、手を下してくれるなら、こんなに楽なことはない。
死ぬ日時がはっきりしている今の私は、まるで死刑囚の気分だ。一日一日を牢屋のような家と、監獄のような会社の往復で潰している。刑務所暮らしの方がまだましな日々だと思う。
そもそも今の私だって、半分税金で生かしてもらっているようなものだから、その割合が変わるだけだ。
たぶん、何があっても私の暮らしは死ぬまで変わらないだろう。仕事は毎日あるし、睡眠も一日十時間ほど取れている。
最近、選挙があって、喧々諤々の選挙戦が繰り広げられた後に、結局政権交代はしなかったけれど、誰がこの国の実権を握っても同じなんだろうなと思う。
急に日本が戦争するようになれば話は別だけれど、憲法を変えるのだって、どう少なく見積もっても二年半以上はかかるだろう。
支給されている税金を取り上げない限り、私の生活は変わらないのだ。
コロナだって、ワクチンとマスク以外は、私の生活にびた一文影響を与えなかったし。
ああ、こんなまとまりのないゴミみたいな文章を書いているうちに、気づけば日付が変わってしまった。また何の生産性もない一日を過ごして、残り時間をまた一日削ってしまった。
きっと死ぬまでこれの繰り返しなんだろう。食べて、クソして、オナニーして。動物園のサルだって、もっとまともな生き方をしている。
たぶん、人生最後の日も、オーロラを見るとか、高級フレンチを食べるとか、そんな素敵なことはせずに、ボーっと過ごして、最後にオナニーしてドカンなんだろうな。
まったく無駄な人生だ。
普通の、どうしようもない人生だ。
(完)




