人生が2度同じ道を辿るとは限らない
自分は、自らの人生においての反省と称して、タラレ
バをよくよく垂れ流してその日その日を生きている。
自分の人生の汚点を見つけてはありもしないもう一度
を夢見てしまう、この救いようのない性格をすっぱりと捨ててしまえたら、と思ってもキリがないので、やはり、この生まれながらの自分の性分を認めて共に歩んでいかなくてはならないのだと諦め諦め、今日もまた過去を顧みるのである。
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自分はずっと孤独だった。
それが誰のせいなのかは、ずっと前から見当がついて
いたつもりだった。
友達と呼べる関係はとうとう作ることのできないまま、学校を卒業した。
自分の周囲には善人ばかりが集まった。
だからこそなのだろうか、自分には、彼らが自分に接
触を図ろうとするのが、単なる憐憫からくる行動にしか思えなかった。
実際そうであったのだと思う。
ついに、自分は誰の趣味も、誕生日さえも知ることが
なかったのだから。
歩み寄ろうとする社会性、会話を成立させようとする
能力が欠如していたのだろう。
結果として、今になっても自分は親のことさえよく分
かってはいない。
次に、自分は努力ができなかった。
人生の転機、落としたらもう取り戻せない時間の塵芥、周りからの信頼、全て失うべくして失った。
これもひとえに自業自得なのはきちんと理解できてい
る。
2歳の頃、自分は箸がもう使えた。矯正は必要なかっ
た。テレビ番組を親と見ていて勝手に覚えたらしい。
これは、自分に自信をつけてやろうと彼らが話に脚色
した可能性も否定できないが。
保育園に入ってすぐ、九九を暗唱できた。これは特に
理由もなく出来た。本当にどこかで教わったでもなく、本やらテレビやらでも見た記憶が一切ない。
小学校に入学してからのテストはいつも満点だった。
自分の人生はここで間違った方角へ展開していった。
今まで、ある程度のことが努力しないで出来てきた自
分は、出来ないことを実行するということにやたらと消極的だった。
まずやってみるということが耐え切れず怖かった。失
敗したくなかった。
だから、その時にはまだ多数あった、自分に出来るこ
とばかりをやり続けた。
中学に上がってから、自分の愚かさを悟ってしまった。
自分は不得意なものが多々あるということに気づいて
しまった。大海を知らなかったのだ。
自分は蛙ですらなく、そこでもがくことすらできなか
った。
諦めるべきこと、というリストがどんどん書き足され
ていった。
それが、自分の今現在だ。