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はっと息を飲む音がした。
「アカリ嬢も、『星の恋人』をご存知なの?」
今度は私がはっと息を飲んだ。
───── やっぱり、彼女は転生者…
「アカリ嬢は読んだことがおあり?」
──── え?読んだこと…?なにを?
「恥ずかしながら私、小さい頃に我が家の書庫で『星の恋人』を見つけ手に取ろうとした時、踏み台から落ちてしまったの…それ以来、踏み台に乗るのが少し怖くなってしまって、結局『星の恋人』は取れずじまい、読まずじまいなの。」
──── 書庫ということは本の話?『星の恋人』の世界に、『星の恋人』というタイトルの本?これは偶然?
「背が伸びた今なら、踏み台なしでも届くのでしょうけど、何かと忙しく最近は書庫へ足を向けられず…そういえば!私、アカリ嬢をお見かけする度に、『星の恋人』を思い出していたのよ!まさか、アカリ嬢があの本をご存知だなんて!もうお読みになった?少しだけどんな内容か教えて下さらない?」
先程までの完璧な淑女の姿から少し変わり、わくわくした少女のような表情を浮かべるローゼリア公爵令嬢。
──── どういうことかしら?とても、嘘を仰っているようには見えないけれど…彼女は転生者ではないの?
「いいえ…ローゼリア様、私も読んだことはないのです。もしかしてローゼリア様ならご存じかと尋ねてみただけですわ…」
「あら、そうなのね!あの本は歴史書の書棚に入っていたから、きっと歴史書だと思うのだけれど、タイトルがタイトルなだけに凄く気になっていたのよ。」
少し残念そうにしながらも、柔らかく微笑むローゼリア公爵令嬢は、やはり嘘をついているようには見えない。そうだとしても、『星の恋人』というタイトルの本が、この世界に無関係であるはずがない。
「ローゼリア様のお邸に『星の恋人』があるのですか?」
「ええ、本邸の庭の隅に作られたちょっとした図書館に。」
「もし、よろしければ、その本を私に読ませて頂けませんか?」
「え?それは、我が家へアカリ嬢をお招きしても良いということかしら?嬉しいわ!ぜひいらして!」
「!?」
思わぬ展開に固まってしまった。『星の恋人』という本に気をとられ、私は私自身がシナリオから大きく外れる発言をしたことに今さら気づいた。
そもそも、ヒロインと悪役令嬢が友だちになるというシナリオなんてないのだ。ゲーム内ではプライドの高いローゼリア公爵令嬢は、アカリの存在を認める事が出来ず、徹底的に排除しようとするのだから。
それなのに私は、彼女の本心を探りたい為に友人となり、『星の恋人』が気になるばかりに、彼女の館へ出向くことになろうとしている。
──── どうしよう?これは正しい判断なのかしら?
「では、夏期休暇で決まりね!楽しみにしているわ!」
「え?」
私が考え事をしながら、ぼんやりと相槌をうっているうちに、話が纏まってしまったらしい。
「ふふ、少し強引だったかしら?でも本当に楽しみにしているのよ?」
強引だった自覚はあるらしく、少し悪戯っぽく笑うローゼリア公爵令嬢は、私から見ても可憐そのもので心臓がドキリと跳ね上がるほどだった。
「いいえ、大変光栄ですわ、ローゼリア様…」
あまりの急展開に脳内処理が追い付かない。焦りと緊張で目眩がし変な汗をかく。
──── 私、間違えてるんじゃないかしら…こんなのシナリオ通りでないわ…
「アカリ嬢?大丈夫?顔色が良くないわ。」
「ええ、大丈夫です。少し日に当たりすぎたみたいで…」
「まぁ、私が東屋などにお呼びしたせいね!ごめんなさい、すぐに医務室へ行きましょう。」
そう言って、ローゼリア様は立ち上がり私の方へ歩みより、私の首筋に手を当てた。
──── ひんやりして気持ちいい…
「ふふ、私の手、冷たいでしょう?私は『冬の』だから…」
自分で自分を宝石と例えることを躊躇われたのか、『冬の』としかおっしゃらなかったローゼリア公爵令嬢のお顔は、どこか悲しそうな雰囲気を纏っていた。
「なにをしているの?」
「ありがとうございます」と告げようとした時、私の少し後ろから最近では良く聞きなれた、レオニード殿下の声がした。