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バルコニーから戻り、私はお目当ての人物を探し出し声をかけた。
「アリスティア様、ご機嫌麗しゅうございます。久しぶりにアリスティア様とお話がしたくて参りましの。よろしいでしょうか?」
「ローズ嬢!ごきげんよう。ええ、ありがたいわ!ちょうど壁の花をしていたところよ。」
アリスティア・レージャ・エスト様…昔レオとアレクと私の3人で初めての外交として接待をした隣国エストの姫君で私たちと同じ歳だけれど、やはり姫君と言うべきか、私がこれまでしてきた努力にいくら自信を持っていても、到底追い付けるものではないと感じさせる程の気品が溢れていた。
それでも、当時の交流がきっかけで私たちはお互いを知る仲となり、名前で呼び合うことを許し合い、こうしてお会いしたときにはお互いに近況報告のようなものをするほどの関係を築いていた。
「ローズ嬢、どうぞアリスと。」
「恐れ入ります、アリス様。」
『壁の花をしていた』と言った時の少し悪戯っぽい表情とうってかわって、優しく微笑みいつも通り愛称で呼ぶよう仰って下さったアリスティア様は、会場の隅に目を向け、眉毛を下げてしまわれた。
「レオニード様…アレクシア公子も…」
サランド伯爵令嬢を囲んで談笑するレオたちを見て、アリスティア様は悲しむとも哀れむとも違う、少し怒ったような表情を私に向けた。
「きっとお仕事の話をなさっているんだと思います。彼女のご実家の領地は貿易が盛んでして、国外のこともお詳しいんだそうです。」
「そう…お仕事の。けれどもし本当に外交についてのお話というならばローズ様もご一緒するべきですわ。」
─── 確かに、あんなに楽しそうにお仕事の話をする人はなかなかいらっしゃらないもね…
小さな声で『レオニード様は一体何をお考えなのかしら?』と呟くアリスティア様の納得のいっていない表情と言葉を受け、私はもう一度レオたちの楽しそうな様子を見て、小さく溜め息をついた。
「私、気分が優れなくて…少し休んでおりましたの。それにレオニード殿下とは別にご挨拶しなければならない方もいらっしゃいますし、何よりアリス様とゆっくりお話したいですわ!」
「ローズ嬢ったら、可愛らしいことをおっしゃるのね!体調はもう大丈夫ですの?もし何かあったら…私にも声をかけてくださいね?」
「お心遣い感謝いたします。」
「そうですわ!私、5日ほどこちらのお城に滞在させて頂くことになっておりますの。お茶にお誘いしても?」
「ええ、ぜひ!楽しみにしております。」
それから私たちはしばらくお互いの近況やエスト国で有名な宝石のことなどを話し、アリスティア様のお兄様で隣国の王太子であるファルファーレ・レリャ・エスト様がアリスティア様をお迎えにいらっしゃるまで話に花を咲かせた。
「お久しぶりですねローゼリア嬢、ご機嫌いかかですか?」
「ご機嫌麗しゅう、ファルファーレ様。本日はフォレセント王国にお運び下さりありがとうございます。」
ファルファーレ様のお手本の用な挨拶に、淑女の礼で返す。
「こちらこそ、お招きありがとう。それに、我が国の宝石を身に付けてくれているのですね。」
「ええ、このネックレスとても大好きですの。エストの宝石は宝石そのものはもちろん、加工技術も素晴らしく、どれも本当に素敵ですわ。」
エストの宝石を見留められたファルファーレ様に、エストの宝石へ賛辞の言葉を送ると、ファルファーレ様は宝石を見つめたまま固まってしまわれた。
「お兄様?横恋慕は駄目よ?」
「なにをっ、違いますよローゼリア嬢!私はただ、とても良く似合っていらっしゃると思って!」
「ふふ、そんなに慌てられなくて大丈夫ですわ。アリス様は相変わらず悪戯がお好きですね。お二人とも本当に仲がよろしいですね。」
「ローゼリア嬢も兄上と仲がよいではないか。今日は兄上は?」
「兄は─── 」
しばらく3人で会話をしたあと、私はファルファーレ様とアリス様に挨拶をしてその場を離れた。
──── 今日の中で一番楽しく有意義な時間だったわ。それにしても私ったら、ファルファーレ様にお会いする度にお洒落なお料理が食べたくなっちゃうなんて。
ふふっと思わず小さな笑いを漏らしながら、前世で読んだ料理本に出てきたファルファーレを使った料理を思い浮かべた。
「楽しそうですね、ご令嬢。」
「──?…あなたは?」
「これは失礼致しました。オストン王国第三王子ルーメン・レグルス・オストンと申します。ベイリー公爵令嬢のお話は常々レオニード殿下よりうかがっておりまして、ついお声をかけてしまいました。どうかご無礼をお許しください。」
「フォレセント王国ベイリー公爵家の長女、ローゼリア・リゲル・ベイリーと申します。こちらこそ、殿下のお話はよくうかがっております。ご尊顔を存じ上げなかったご無礼、どうかお許しください。」
突然話しかけられた聞きなれぬ声に一瞬怪訝な表情を向けてしまったことを後悔しながら、最大限の礼を取り謝罪すると『いえ私が先に失礼をしたのですから』とルーメン王子殿下が困ったように微笑み許してくださった。
オストン王国は、フォレセント王国とは大海を挟んだ向こう側にあり文化や生活には様々な違いがあるが航海術と軍事に非常に長けており、つい最近2つの王国は友好関係を結ぶ間柄となった。
「どうぞ、ルーメンとお呼び下さい。私もローゼリア嬢とお呼びしても?」
「寛大なお心に感謝いたします。ぜひローゼリアとお呼びください。」
「王国にはもう10年ほど滞在しておりますが、ローゼリア嬢にお会いしたのは初めてですね。誰かさんがローゼリア嬢を大事に隠しているから、なかなかお会いすることもかなわない。」
ルーメン王子殿下は、何かを思い出したかのように笑いながら話を続けた。
─── 友好関係を結んだばかりなのに、私のせいで亀裂が入らなくて良かったわ。
ルーメン王子殿下がこの王国にご学遊中だということは前から聞いていたけれど、本当に今まで一度もお会いする機会がなかった。そもそもこパーティーのような社交の場にいらっしゃることもなかったはずだ。
「殿下は私をからかっていらっしゃるのですね。誰も私なんかを出し惜しみいたしませんわ。殿下は王国の社交界にいらっしゃるのは初めて──」
「ルーメンですよ、ローゼリア嬢。誓ってからかってなどいませんよ。私は色々訳がありまして、今まで社交界には赴きませんでしたが、フォレセント王国の社交界についての話はよくうかがっておりました。今日あなたにお会いしてなるほど噂通りだと得心したところですよ。」
ルーメン皇太子殿下が私の話を遮った。微笑みを崩さないその姿に『レオやアレクに負けず劣らず美しい方だわ』とぼんやりと思った。
──── 今まで社交界に出てこなかった理由や今日出てきた理由を尋ねられたくないのね。それに私の噂ね…『冬の宝石』のことかしら。だとしたら、『春の宝石』もきっとご存知だわ。
私はなんとなく『春の宝石』の方を見た。
そこにはレオの姿はなく、アレクとサランド伯爵令嬢が寄り添ったまま私たちの方を見ていた。思わぬ視線にはっと目をそらした。
「曲が変わりましたね。ローゼリア嬢、私と一曲ダンスをいかがでしょうか?」
「ええ、よろこんで。」
思いがけないダンスのお誘いに一瞬驚いてしまったけれど、美しい所作で伸ばされた手をゆっくりととった。
─── よりによって、スローテンポなチーク曲…王太子の婚約者と他国の王子殿下が踊るにはちょっとまずかったかしら。それにしても、さっきから何故あの2人はこちらを見ているのかしら?
『春の宝石』サランド伯爵令嬢とアレク…レオも含め、今まで私が彼らを見ることはあっても、彼らが私の方を見ることはなかったのに、先程からずっとこちらを見ている。
『ルーメン様のせいだわきっと』と失礼なことを思いながら、なんとなく気まずさに負け、ただルーメン様の顔を見ながら躍り続けた。
─── 悔しいくらい、綺麗な方だわ。年上なだけあって落ち着いていらっしゃる。私もこんな方に恋をしたら、もう少し穏やかな気持ちでいられるのかしら…?──