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前世の記憶を思い出した8歳のあの日から少し時が過ぎ、10歳の誕生日の二月後、私はフォレセント王国第一王子であるレオニード・アルマク・ロイ・フォレセント殿下と婚約をした。
数いる候補の令嬢の中から何故私が選ばれたのか、詳細は分からないけれど、王国近衛騎士団の第一騎士団長を勤めるベイリー公爵閣下のご令嬢という名は、家格とお父様の功績も相まって、王家にとっても、他の貴族にとっても、大きな影響力を持ったものであったのだろう。
否やを唱えるものは居なかったと聞いた。
お父様の休日に、お母様とお兄様と一緒に4人で本邸の薔薇園でお茶を楽しんでいる時に初めてお父様からこの婚約の話を聞き、私は正直戸惑ってしまった。
「私はね、忠誠を誓う主のことも国の未来も大切だけれどローズの方がもっと大事なんだ。だからローズがレオニード殿下のことを婚約者としてどう思っているか、私に聞かせてくれるかい?」
──── どう、と聞かれましても…
王家と公爵家という間柄、幼い頃からよく見知っているレオニード殿下のことは嫌いではなく、同じ年であるのに政への関心や考え、国や国民の安寧を思い、様々な知識や力を得ようと努力する姿には寧ろ好感を抱いてきた。
それに加え王妃陛下譲りの美しい顔立ち、国王陛下譲りの体格と金髪碧眼。彼は正に、絵に描いたような王子様だった。
私にとってはただそれだけだった。
お父様の問いかけに、「絵に描いたような王子様だと思いますが、どうとも思っておりません」と答えるわけにもいかず当たり障りのない言葉を返す。
「とても聡明で素晴らしいお方だと思います。」
淑女の笑顔を意識してそう告げた私の顔を、お父様はしばらく見つめ、大きく息を吐いた。
「正式に婚約をするのはデビュタントの後だよ。結婚は2人が学院を卒業してからだ。それまで、もしローズがこの婚約を辞めたいと思うことがあれば、私が全力でそれを叶えるよ。」
「ありがとうございます、お父様。王太子妃として相応しい者となれるよう全力を尽くします。」
「ローズ…君は本ばかり読んですっかり大人びいてしまったね。どうかまだ、私の小さなお姫様でいてくれ。」
お父様はそう言って私の方へ歩みより、頭に優しくキスを落としてくれた。
もう10歳なのにと思う恥ずかしさと、大好きなお父様からのキスを素直に喜ぶ気持ちが溢れ、お父様の頬に小さくキスを返した。
隣にいたお兄様も、『私もいつもローズの味方だ』と囁き頭にキスを落としてくれた。
それからお父様は、その様子を傍で見守るお母様にもキスを落とすとそのままお母様の肩に手を回して抱き寄せ、私の方を見て大きく頷いた。
──── お父様もお母様も子どもの前なのにまっまくもう…本当に2人は純愛小説の主人公のようだわ…とても幸せな家族。
私もいつか殿下とこうして愛し合える日が来るのかしら…前世の私は恋や愛を経験したのかしら…
記憶を探っても、読んでいたらしい数多の本のことしか思い出せない。
恋をした記憶はなく、愛し愛された記憶もこの公爵邸の中だけ。
普通の10歳はこの家族愛すら気づかないものなのかしら?
これも前世の記憶の影響かしら?
ぼんやりと考えを巡らせていた私に向かって、お母様が穏やかに言った。
「側にいて支え合う時間を重ねれば、おのずと愛情が芽生えるものよ。」
その日から私は、大好きな本を読む時間を捨て王太子妃となるために学んだ。
自国や周辺諸国の歴史について、言語について、それぞれの国のマナーについて。
公爵令嬢としてはそんなに必要でない国外のことを学ぶのは、いずれ王妃として外交を行うため。
外交や内政の時に感情を出しすぎることがないよう、柔らかな微笑みを顔に張り付ける練習、ダンスやお茶など淑女の嗜み…私は10歳のあの日から、王太子妃になるためだけに生きてきた。
勉強のために王城に上がる機会も増え、当然レオニード殿下とお会いすることも多くなった。
レオニード殿下の横にはいつも、現宰相であるイルベル公爵閣下の嫡男であり殿下と私と同じ年のアレクシア・ウェズン・イルベル様がいらっしゃった。
彼らもまた、未来の王、未来の宰相となるため学んでいた。
私たちは共に学び、支え合い、競い合い、練習し…
いつしか私たちははお互いを、レオ、アレク、ローズと呼び合い、歴史や言語については私が本から得た知識が役立ち、政に関してはレオとアレクから学び、デビュタント前はそれぞれがそれぞれのダンスのパートナー役を勤め、3人とも男性パートも女性パートも踊れるようになってしまった時には、我慢出来ずに笑いあった。
隣国の王妃が外遊にいらっしゃった際は、ご同行されていた王女様の接待を3人で任され、初めての外交実践に胸が踊った。
──── 私たちはきっと3人で、この国を担って行くのだわ。
そして14歳、レオとアレクと私は王家主催のパーティーにて正式に社交界デビューを果たし、今まで暗黙の了解だったレオと私の婚約を正式に公のものとした。
『側にいて支え合う時間を重ねれば、おのずと愛情が芽生えるものよ。』
──── お母様、あの言葉はこういうことだったのですね。
あの日薔薇園で、お母様がおっしゃった言葉を私は思い出し、そして未来を見つめ温かな気持ちに包まれた。
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──── 歯車が狂い出したのは、いつからかしら?
見知らぬ部屋で目覚めては微睡むわずかな時間のに、遠い日のことを想い返した────。