1
見慣れない、高い天井。
重いカーテンが引かれた薄暗い部屋。
隙間から射し込む僅かな光で、今は夜ではないのねとぼんやりと思う。
のどが乾いた。
身体中が痛い。
痛くて起き上がることも寝返りを打つことも出来ず、ただ天井に描かれた星の絵を見つめていた。
──── 歯車が狂いだしたのは、いつからかしら?
悲しみと恥ずかしさ、苦しさと喜び…
いろいろな想いが入り混ざった感情が一気に押しよせ、涙が溢れた。
──── 一体何故、こんなところで、こんなことに、なっているのかしら?
-------
フォレセント王国の4つの公爵家のひとつであるベイリー公爵家の長女として生まれた私は、ローゼリア・リゲル・ベイリーと名付けられ、家族や親しい間柄の人たちからはローズと呼ばれた。
幼い頃から本が大好きで、字が読めるようになる前はお母様や5つ上のお兄様、仕事中の公爵家使用人を捕まえては本を読んでとせがむ子どもだった。
字が読めるようになってからは、マナーや公爵令嬢としてのレッスンの時間以外は王国図書館に次ぐ蔵書数と言われる公爵家の庭に建てられた図書館で朝から晩まで過ごした。
8歳の時、いつものように自邸の図書館で次に読む本を探していると、ふと書棚の最上段にある「星の恋人」という本に目がとまった。その書棚は主にフォレセント王国の歴史について書かれた本が納めてあり、それに似つかわしくないタイトルの本に興味を引かれ手を伸ばした。
──── うーん、届かないわ。
侍女に頼んで取ってもらおうかと思ったけれど、歴史書のわりにどこか子どもっぽいタイトルの本を取ってとせがむのは8歳の私にはなんとなく気恥ずかしくて、近くにあった踏み台に乗って思い切り手を伸ばした。
──── あと少し…
背伸びした体をもっと、と書棚に近づけたとたん、私は足を踏み外し頭から床に落ちてしまった。
幸い、大きな怪我もなく自分で起き上がることも出来たのだけれど私は頭を打った衝撃であることを思いだし、その衝撃に呆けてしまった。
呼び掛けてもあまり反応を示さない私を見た侍女は慌てて両親に報告し、医者が手配されあれよあれよという間に頭に包帯が巻かれベッドに寝かされ、気がつけば私は自室のベッドの上で母からの叱責を受けていた。
「まったく!貴方という子は!本に夢中になると本当に回りが見えなくなるんだから!勤勉なことは良いことよ!ええ!でも限度と言うものがあるでしょう?私達がどれほど心配したと思っているの!?」
「…ごめんなさい、お母様。」
「まぁまぁエミリア、落ち着いて。踏み台から落ちたローズ本人が一番びっくりしているよ。」
「あなた、でも…」
「ローズも、同じことをしないように気を付けるんだよ。君が痛かったり苦しかったり悲しかったりすると、家のみんなも辛いんだよ?同じことを繰り返さない、それが一番大切なんだよ。」
「はい、お父様。本当にごめんなさい…」
「あなたはいつも子どもたちに甘いわ…特にローズには。」
「私はいつでも一番エミリアに甘いよ。」
「あなたったら、こんな時に!もう!しょうがない人ね。」
──── わぁ、この甘い会話!前世で読んだあの小説に似てるわ!
私の心配をして叱責するお母様を、お父様が優しい声で宥め甘いセリフを並べる様子を見て、さっき頭を打った衝撃で思い出した“前世”について考えを飛ばした。
どうやら、私には前世があるようだった。前世の私も本が大好きで、純文学からミステリー、恋愛小説、歴史書、エッセイ、ライトノベル、新聞 ───活字とあれば、何でも読み漁っていた。
それ以外の自身についてのことや、家族について、生きていた時代背景などは全く思い出せないけれど、とにかく本好きで、読んだ本の記憶からなんとなく、世界観や時代が今私の生きている世界とは違うような気がした。
──── これってやっぱり、転生っていうのかしら?
でも、転生ものって前世で読んだことがある小説の中の主人公とかに生まれ変わるものじゃなかったかしら?
私、本好きが出てくるこんな世界観の本を読んだ記憶がないわ…もし読んでいたら本好きの私が本好きの登場人物を忘れるはずないもの!
では、これは転生ではないのかしら…なんとなく思考が大人びいている気がするから、もしかしたら前世で死んでしまったのは今よりずっとずっと大人になってからなのかしら…
「ローズ!聞いているの?」
「はい!お母様!」
「まったく…とにかく今日はゆっくりお休みなさい。少しでも体調がおかしければすぐに呼ぶのよ?頭を打ったんだから…」
「ご心配をおかけしてごめんなさい、お母様、お父様も…」
「子どものことならどんなことでも心配するのが親心だよ。
ローズ、もうそんな顔をしないでゆっくりお休み。」
「ありがとうございます、おやすみなさい。」
ぼんやりと考えをごとをしていた私を見て、お母様はため息をつき心配そうに頭を撫でながらゆっくり休みなさいと言ってくれた。
お父様も、お母様の手に手を重ね微笑む。
そんな優しい両親にお礼と挨拶を告げ、ベッドの上から部屋を出るふたりを見送った。
───── 前世の記憶が戻った!というか、前世もやはり本好きだったんだわ!って感じだわ。転生であろうと何であろうと、あんなに優しい両親のもとに生まれてくることが出来たことに感謝だわ…
温かい気持ちに包まれて、サイドテーブルの本に手を伸ばしたときノックの音が響いた。
── コンコン
「はい!」
「僕だよ、クロヴィスだ。ローズ、入ってもいいかい?」
「お兄様!ええ、どうぞ!」
「頭を打ったと聞いたよ…大丈夫かい?」
「お恥ずかしながら…もう、大丈夫ですわ!ちょっと小さなコブが出来ただけですのに、あのお医者様ったらこんなに包帯をぐるぐる巻いて大袈裟ですのよ。」
ふふっと、小さく笑い声を上げてお兄様はお父様にそっくりな微笑みを浮かべながら私が座るベッドの横に置いてある椅子に腰を下ろした。
──── きれいなお顔…
「みんな、ローズのことが心配なんだよ。もちろん僕も。頭を打ったのだし、夜中に急変すると大変だ。今日は僕もローズの部屋で休んでいいかい?」
「そんな大袈裟ですわ!でも、お兄様と一緒に寝れるのは大歓迎です!ありがとうございます!」
「私も、今夜は隣の部屋に控えております。」
「私も扉の前で控えます故、何かあればお声かけください。」
私にいつもついていてくれる侍女のソフィアとお父様の部下である近衛騎士のヴァインが申し出てくれる。
「ありがとう。でもソフィアもヴァインも今日はもうお休みでしょ?無理しなくていいよ?」
「我々もお嬢様が心配で側に居たいのです。」
「みんなありがとう!」
お兄様が来てくださったことで子どもらいしい心を持ち直した私は、素直にお礼を伝え、その日はお兄様と手を繋いで眠った。
もちろん、頭を打ったことで容態が急変することも、前世の記憶について思い出したことで生活や性格が変わることもなく、ただただこんなにも優しい両親やお兄様、回りの人たちに囲まれて本当に私は幸せ者なのだわと実感した。