七話
篝火が焚かれ、月明りが窓から差し込む。
「この寝具はベッドというのか。で、あれがランプ。この小さな火種がライター」
「うるせえな。そうだよ寝ろよ」
娯楽は元気一杯に部屋を散策している。傷はまだ痛々しく赤い身を剥いて包帯を汚してはいたが、それだけといえばそれだけである。
「お前痛くないの?」
「痛いが、痛いと言っても痛みは消えないだろう」
「……そうかよ」
「なあ、きっぱ先生、この本なのだが」
「伸ばせ。キッパーだ。その本がなんだ」
それはキッパー医師が暇つぶしに読む雑誌だった。主にゴシップが、というかゴシップ満載の低俗なものだった。
「俺はなぜこれが読める」
「はあ?」
専門用語や所々にある意味のありそうな単語はわからない。例えば人名だとか、地名だとかがそれに当たる。だがそれを含めた文章は理解できる。
「セントラルが南方へ侵出。目的は鉱山だけではない。とあるが」
「それがなんだよ。うるせえな寝ろよ」
「ここは会津ではないのだろう。日本でもなさそうだ。それなのに、俺はこれが読めるし、にしゃらの言葉もわかる」
キッパーは不思議そうにまた頭をかいた。
「知らねえよ。私が聞きたいぜ」
すると娯楽は本から目を離して、キッパーをしげしげと眺めた。身長は娯楽と同じくらいで髪は短く、胸は薄い。
「私? なんだ、私などとかしこまって」
「あ? 誰がお前に気を使うかよ」
「……ならいいが」
自由で変り者の血が濃い彼である。他人の一人称をつつくのは止めた。何よりここは知らない世界だ。俺の方が馴染まねばと諌めたくらいである。
「変な野郎だ。私も寝るからお前も寝ろ」
あくびをしてソファの肘掛けを枕にして、キッパーはすぐ眠りについた。安静にと釘をさすのも忘れなかった。
「変なのは俺か」
苦笑して、回顧する。あのエングースとは何ものなのか。己を貫いた槍はどこにいったのか。ここは何処なのか。
そして会津は、家族はどうなったのか。
「守れなかったなあ」
篝火の上の丸い月、見下ろされると急に不安になって、すすり泣きを腕を噛んで殺した。
小鳥の囀りは、砲声。炊事の支度は、怪我人の手当て。入院患者用の寝台に移動した娯楽はそういう殺伐とした朝の空気を存分に味わった。
「俺の刀は……おお」
東郷から渡された父の刀。居間にあった真剣。かごに揃って並べらている。丁寧に畳まれた血塗れの着物もあった。まったくめでたくない紅白に着替えてから看護師に声をかける。
日課の素振りをしたいと言うと、看護師たちは当然ながら許さなかった。
「いや、これは習慣なのだ。お前たちも毎日することがあるだろう? これはそれなのだ」
必死に言い訳しても無駄である。なにしろ昨日までは瀕死だったのだから。
「ウィル先生が食事と睡眠以外するなと」
そう言われると納得し、しかしやはり諦めきれず、
「なあ先生。稽古くらいはしてもいいか」
と、この時は誰かの肩に埋まった弾丸を摘出していたのだが、その途中で声をかけた。
「ああ? どうせ言っても聞かねえだろうが。散歩くらいならいいけどよ、ここらも危ねえぞ。剣にはしばらく触るな馬鹿」
「痛え! おいキッパー、よそ見するんじゃねえ!」
「うるせえな。こうやるともっと痛えだろう」
阿鼻叫喚を受抜け出した娯楽、触るなと言われた刀を腰に差した。
「ちっと礼を言いに行ってくる」
いたずらっ子のように小声で伝えた。
家が数件あるだけの集落、見張りが点々といて、矢倉もあった。医療施設にしては物々しい。
「暮れるまでには戻るので、失礼」
痛む手足、のんびりと戦の臭いの濃い場所まで引きずった。
遠くに見える人の群れ。これも獣耳や獣頭が混ざった混合の戦場だった。
「柵があるな。馬もいる。だがあれがわからん」
大砲は見たことはないが、その威力を知っている。この音はおそらくそれだろう。
だが全くわからないものがる。火の玉が、氷柱が、はたまた晴天の雷が、荒野の空を飛び交っているのだ。
「恐ろしいところだな」
言葉とは裏腹に急ぐ足、視線の先には大声を張る男。それなりに上の立場なのか、指示を出している。
「そこのお主」
「あ?」
着物とは違うかっちりした服装だ。紋付きでもないし、これは会津攻めの敵が着ていたものに似ていて、国外のものだろうと考えた。
「あ、そうか。ここはもう俺の知る国ではなかったな」
ひとりごち、から笑い。
「誰かこいつを医者に回せ!」
「ま、待て! そこから来たんだ、戻されては困る」
すると男は娯楽の胸を見た。赤黒い染みで軽傷ではないとすぐにわかる。
「……こんなところで死んでも面白くないぜ」
「無論よ。ちっと用があってな。参らん……じゃなくて、まいらとかいう者はいるか? 姓名が逆順なようだからこれが名だろう」
「マイラ? だったらここよりもずっと先にいる。あいつ、今日中には制圧しちまいそうな勢いだぜ」
「強者か。心強いな」
「おう。ありゃあそこらのボンクラとは別格……じゃなくて。お前何しに抜け出して来たんだ」
娯楽はもう歩みを進めていた。ふらふらしていて危なっかしい。
「礼を言いにな」
「は? おい、待てって!」
呼び掛けて止まるようならここにはいない。娯楽は黙々と、しかし新しさに目を眩ませながら進んでいく。
「野郎……! おいお前ら、あの死にたがりを援護しろ!」
男の一声で集団が動いた。浅い堀から抜け出して突撃していく。
娯楽のすぐそばで火球が地面にぶつかり爆ぜた。爆風、そして熱波と土の破片が娯楽を襲い、呆気なく吹き飛ばされた。
仰向けで、焦げた腕なり足なりを感じながら、雲のない空に呟いた。
「布団で寝ていた方が良かったな」
のそりと起き上がってあぐらをかき、進路に目をやる。
「帰ろかな。進もかな」
彼にしては珍しく弱音を吐いた。すると後ろから歓声のような雄叫びがする。怒涛のように雪崩れるさっきの男を先頭にした人の群れだ。
「お、あれは」
群れが通りすぎた。全員が全員、勝利を信じていた。
「よう。あんた無茶するなあ」
「にしゃらが来なければ、帰っていたかもしれん」
正直に告白し、火傷した腕をぶらぶらと振った。
「ひでえな」
「おう、ひどいがしょうがない。それよりマイラはどこにいる」
男は「無茶するなあ」とまた言った。
「いいから帰ろうぜ。なに、礼はすぐできる」
男の腰にある小さな箱から声がする。それを口もとにもっていって、一人で会話を始めた。
「シャドだ。なんだ、もう終わったのかよ。……ああ、それで……」
目を丸くしながらも、世界は広いと頷く娯楽を見て、男は笑う。
「客が来てるぜ。あんたにだよ」
箱を収めた。キャンプに戻ろう。そこから来たんだろ。男はそう言って娯楽に肩を貸した。
「怖いキッパーがあんたを待ってる」
「……そうだろうなあ」
気が重い娯楽、また男は笑った。