六話
「お湯を持ってこい! もっとだ!」
「傷口押さえて! それと止血剤を!」
娯楽の耳に入ってくる言葉。郷里の訛りがなく、しかし違和感といえばその程度で、ぼんやりした頭では他になにもわからない。
「せ、先生、患者の意識が戻りました!」
「冗談はあとだ、死んでいてもおかしくないんだぞ」
拳を握る。足を曲げる。五体満足だが、やたらと喉が渇いている。
「……水をくれ」
「うぇ、マジか、喋ったぞこいつ。ちょっとあんた、動くなよ。傷が開いたら死ぬぞ」
視線だけを移動させると、確かに胸や腹から血が垂れている。
「俺は怪我を……?」
「痛み止めが効いてる。普通ならショック死、こんなの激痛なんてもんじゃないぞ。頼むから寝ていてくれ」
脅されたからではなく、事実娯楽は眠かった。そうなると素直な男で「わかった」と睡魔の鎌に身を委ねる。
「平常心過ぎるだろ、こいつ」
「先生、血が! 傷口開いてます!」
ここは病院、ではあるがろくな医療具もないのでただの掘っ建て小屋ともいえる。その中で一人の傷だらけを囲んだ医師たちがてんやわんやになっている。
「回復魔法がなきゃあくたばるぞ! 急いで魔術師を呼んでこい!」
「呼ぶったって、みんな前線の連中にくっついてますよ! あんた、ここから五キロも十キロも走れるか!」
寝台から流れ落ちるおびただしい命の水。いまだに死んでいない娯楽は医師たちから気味悪がられた。
「前線……」
眠ったはずの娯楽の口が動いた。治療中の体をむくりと起こし、制止も無視して首を左右に鳴らした。
「戦があるのか」
「ばか! 寝てろってば! そんな傷でどこに行く!」
確かに足には包帯が巻かれ、胸の肉が剥き出しになっている。自分でも動けるとは思えないほどだ。
「治らねぇのか」
奇妙なイントネーションに一瞬戸惑う医師だが、すぐに立ち直る。
「ここじゃ止血と縫合がせいぜいだ」
「その魔術師とやらはどこにいる」
「だーかーらー! 前線だ! こっから十キロくらいの、ほら、あの煙が見えるだろ。あんまり私を困らせるな!」
乱暴に開かれたドア、昇る無数の黒煙。娯楽は寝台から降りて部屋の隅に立て掛けられた刀を掴んだ。
「ちょ、ちょっと、おい!」
「……ああ」
ここでようやく重大なことに気がついた。
「着物がないな。褌も」
「そこじゃねえ!」
いや、そこもですよ。看護師たちは絶叫する女医ウィリアム・キッパーに声無き声でつっこんだ。
猛抗議の末、娯楽は寝台に戻った。確かに目眩がしたし、だるさもあった。だが聞けば彼らが命を救ってくれたというので、恩人の言うことならばと従った。
「感謝してもしきれんな」
目を閉じたまま、娯楽は寝そべっている。治療のためとはいえ傷口をいじくられても顔色ひとつ変えない。
「……礼ならマイラに言え。戦場の片隅にいた死にかけのお前を運んで来たんだから」
何層にも重ねられたガーゼの上から包帯を巻き、ひとまず処置は済んだ。
動くなよと注意を受けたため、娯楽は首だけならと周囲を見渡す。
ここは会津ではない。それはわかった。さっきの外の風景は慣れ親しんだ場所とは全てが違っていたからだ。緑の無い、一面の荒野、灰色と火薬の炸裂する音。もしかすると戦に負けたからこうなったのかとも考えたが、やはり違うと断定した。
それはこの医師たちの、そしてこの部屋のおかげである。
(新発見ばかりだ)
棚にある半透明の小瓶、あんなにもきつい赤や青の液体など見たことがなかった。
そして尖ったり、獣のような耳を生やした医師たち。歯は鋭く、看護師の中にはまるで犬の被り物でもしているかのように、鼻梁までが犬の者がいた。
しかし言葉は通じる。何より命を救ってくれた。これが娯楽が喚かなかった全ての理由であった。
「医者の先生、その参らんとかいう者は戦場にいるのか」
「は? マイラだよ。マイラ・ロードレッド。傭兵だ」
「よくわからんが、その者が俺をここまで運んだのか」
キッパーは大仕事の疲れからソファにもたれ、頭をかく。
「運んでは来たが、ドアの前に捨てたって感じだな。で、ノックを何回かして戻っていったよ」
「そうか。ああ、そうだ。今更ながら礼を」
寝台から降りて頭を下げた。無論、傷は開いて血が吹き出す。
「あなた方がおらねば、俺は死んでいたに違いない。ありがとうございました」
「だったら仕事を増やすな!」
ソファから跳び跳ねたキッパーは無意識に娯楽の頭をひっぱたいていた。