二話
「あれって」
初が指差した方向に誰かがいる。
甲冑を着込み、折れた槍を杖している。どう見ても武者であり、そして敗者の姿である。目を血走らせ、槍を捨てて刀を抜いた。最も赤の似合わないこの河原に、それは訪れてしまった。
「怪我してる、よね。どうしよう」
江の手を握りしめ、その肩を抱き寄せた。怯えながらも相手の怪我を思いやるその心に、娯楽は突き動かされた。
岩から腰を上げ、まるで無警戒に近づいた。恐れと守るべきものの存在が彼を大胆にさせた。
「私は芝位娯楽と申す。何かご用か」
堂々と、しかし威圧しないよう静かに言った。
「……芝位。もしや義郎殿の縁者か」
この場でその名を聞くとは思いもしない、娯楽の手に汗が滲んだ。
「父です」
武者は突然にひれ伏した。まるで力尽きたかのようでもあった。
駆け寄ると無残な傷跡が目立つ。腹には大きな刀傷があって、それを手ぬぐいできつく縛っていた。
もう助からない。その直感は事実であった。
「あなたの名は。生まれは」
娯楽は目に涙を浮かべた。この者が誰であれ、必死に戦った証に心を打たれた。
「私は……仙台藩の仙崎と申す。家族はなく、郷里と呼べる場所もなく」
そう言って仙崎は娯楽の手を握った。
「あなたの父上には世話になった。無頼を気取っていただけだと気付かされた」
土と血で汚れた手をとり娯楽は気を強く持つよう諭したが、仙崎はもう死を受け入れている。
「父は、どうなりましたか」
「俺たちは逃がされた。芝位殿によって逃がされたのだ」
「それはどこで」
「足止めするとだけ言って、逃がしてくれたのだ。俺たちは逃げたんだ。本当はあそこにいるべきだったんだ」
だんだんと冷たくなるその手を、娯楽は頬に当てた。
「あの化け物……奴ら、化け物を放って……芝位殿が逃がしてくれた」
「化け物?」
言葉はもう交わらない。彼の顔は恐怖で彩られ、鮮やかな死人の色になった。
「兄様」
「娯楽さん」
近寄ろうとする妹たちを手で制した。その向けられた手は赤く、それだけで江はくらりとたたらを踏んだ。
「このお人を埋める。林の木陰なら涼しいだろう」
娯楽は仙崎を抱えて運び、手で穴を掘った。月が空の果てにうっすらと現れる頃、埋葬はすんだ。その間、初は気絶している江を診ながら、黙って娯楽の汗を注視していた。
兄妹は黙祷をした。娯楽は一緒に父にもした。
「帰ろう。お江さんは大丈夫か」
「寝てるよ。おぶってあげてよ」
寝息は等間隔で、特に異常はないように思えた。川沿いに歩いて橋を渡り大通りへ、いつもは元気な兄妹がやけに静かであることに町人たちは不審がったが、それも背にいる江のためだろうと気にも留めない。
江の家族には事情を説明し、身軽になった娯楽は暗くなりゆく空を見上げ、
「お前を背負って、走って帰ろうか」
と、言った。できるだけ明るく朗らかにした。
「私は歩くよ」
毅然とした態度に、娯楽はそうかと頷いた。この幼い妹もやはり武士の娘である、おそらく人知れず父を案じ、そして覚悟はしていたのだろう。仙崎の最後にも彼女は涙一つ見せなかった。
「ただいま戻りました」
重なる声にねんは「おかえりなさい」といつもののんびりとした調子で返事をした。