十七話
「で、どうやって国をとる」
デンの店から三人は宿に場所を移した。マイラがよく使うという安宿はすきま風と雨漏りがないだけという程度のくたびれたものだった。
「とるのではない。まだ父は生きている」
「エンリナだったか、そいつが跡目になるのを防げばいいわけだ」
「ああ」
方向性が決まりかけたとき、娯楽は手を打って注意をひいた。
「誅する」
二人が口を挟む間もなく、娯楽はまた「誅するべきだ」と言った。
「な、なぜだ」
「どうせエンリナが兄妹を殺したのだろう。権力に目が眩み、そんなことをするやつは生かしてはおけん。後顧の憂となること必至だ」
この苛烈さは彼の家族愛からくる、そして彼はもといた世界での後継争いの歴史も知っているからだ。
「殺さないなら放逐。しかし誰かが主となった際に、軍勢を率いて来られても迷惑だから、俺は殺した方がいいと思う」
「姉、だけど?」
スターリアにそれをさせるのか。そう言うマイラは半ば同意はしていたものの、スターリアには甘かった。
「……私に姉妹を殺せというか」
「そういう策もあるってことだよ。芝位、そうだろ?」
この男は融通がきかない。スターリアは友人で、だからこそなんでも言い合わなくてはならないと己に枷をし、その結果やりすぎた。小さな姫には極端で残酷な結論を突きつけた。
スターリアが揺らいでは困る。ならばやめにすると言いだしては困る。彼女のしたいことを、したかったことにしてはならない。娯楽は勝手につけた枷を緩め、平静を装った。
「うん。あくまでも、一例をな、言ってみただけだ」
少し外すと言って、娯楽は外に出た。その背中はひどく頼りないものにみえた。
昼過ぎのアザラの空気は、往来を行き来する荷馬車や人が巻き起こす埃っぽさで、ちょっとむせるほどだ。
地理はわからないが、娯楽は適当に角を曲がったり、出店を冷やかしたりしながらうろうろ歩いた。
人の良さそうな顔が金銭的な余裕にみえたのか、何度か人相の悪い連中に絡まれたが、
「一銭も持っていない」
と、その度にふんどし姿になったりした。
「俺はできるのかなあ」
木々の茂る広場があった。植物園と看板があって、その入り口らしかった。日陰になった芝の上に寝転がると、自分の他にもそうやって休んでいる人の姿が散見できる。
スターリアには強く出たが、自分に置き換えると、どうやらそれはとても困難だとわかった。
目にいれても痛くない妹、お初。殺すという言葉でさえ脳内で打ち消し頭をふった。
「できんなあ」
エングースだとわかっていても斬れなかったくらいである。まず無理だった。
だがそうしなければならない場合を娯楽は考えずにはいられなかった。スターリアに言った手前、彼もできるというだけの自信が欲しかったのだが、
「できんなあ」
と、また言って、それきり頭をからにして、濃い草木の匂いに酔うように目をつぶった。
「こんなところにいやがった」
腹を蹴飛ばされ、目が覚めた。
「探したぜ」
「主に私がな。マイラは私の半分も真面目ではなかったではないか」
「にしゃら……」
立てよ、とマイラは娯楽を引き起こす。
「頭は冷えたか、お遊びよう?」
スターリアは己を案じてくれた娯楽に少しの憎しみも抱いていない。身を案じたのだと道すがらマイラに諭されたが、それがなくともわかっていた。
「芝位、お前のいうこともわかる。だが」
その先を娯楽が制した。
「俺にできんことをさせようとしたのが間違いだったよ。スター、にしゃが正しい」
制した手で頭をなでた。
「いいや、正しさなんてどこにもない。お前は一つの意見をだしただけで、それは重要だし、もしかすると実行すべきなのかもしれない」
だが、今はまだ。スターリアは撫でられた手をそっと外した。自分一人で考える時間を欲しているのかもしれない。
「にしても、案内するっていったのに、勝手に来ちまうとはな」
マイラはマイラでこの二人の関係を心配していたが杞憂に終わった。うまそうに煙草を吸って周囲を見渡す。
「なんのことだ?」
「なんだよ、わかってなかったのか? ここが植物園だって」
案内すると言っただろう。マイラは二人の手をとって入り口へ向かった。
「え? おい」
「なあに、面白えもんでもないがよ、まあいいじゃねえか。スターもいいだろ?」
気分転換さと返事も聞かない。その強引さが嬉しかった。
「そういえばアザラがどんな植物か教えてくれる約束だったな」
「ま、大したものじゃあねえがな」
「なんだ娯楽、見たことないのか」
「それもわからんのだ。俺が知るのはその名前だけ」
娯楽が異界からやってきたことをこんなことで実感するスターリアは、ならばと案内するマイラの横に並んだ。
「マイラ、私も知識のかぎり手伝うぞ。この植物園の全てを網羅しようではないか」
俺はアザラが見たいだけだが、とは言わなかった。スターリアの純な気持ちを無下にしたくなかった。
「最初は熱帯植物から行こう。本の知識しかないから、実物を見たいんだ」
「いいね。図鑑のイラストじゃあよくわからねえし、早く行こう」
案内すると言っておきながら、二人は娯楽をおいていくような勢いだ。
それにしても、と彼は思う。
「スターはともかく、ロードレッドが草木が好きとは思わなかった」
二人は興奮したように、天まで届かんばかりの木々や、毒々しいまでの色をした果実にはしゃいだ。
ははあ、喜楽が揃ったか。と、娯楽もなんだか興奮して、そうでなくとも新しい経験、見たこともない植物が群生する様をすっかり楽しんだ。
熱帯、乾帯と区画は過ぎて、
「見ろ、あれだよ、知ってるか?」
「どうだ、娯楽よ」
唐突に、密集した葉を指差され、娯楽ははっと息を飲んだ。
「葵……」
「ん? あれがアザラだよ」
それは確かに葵の葉だ。
彼の刀の柄にもそれがある。元は松平方保の秘宝であり、そういう家宝をお守りとして上司に渡す異常さはあるが、ともかくその家紋が三葉葵なのだ。ひいては江戸の、徳川幕府のものでもある。
「これはあれか、アザラは江戸で、ウェステリアは京か。先だっての新撰組よろしく、俺たちは無法者を斬ったわけだ」
これぞ会津藩士の本懐だと、娯楽は声をあげて笑った。
「なるほど、京の危機か。エングースめ、戦に出なかった俺への当て付つけか、ここで会津を、芝位を見せてみろということだな」
周囲の目も気にせず人が変わったように笑う娯楽に、マイラもスターリアも呆然とした。
「ようし、挑むか。守るか。励もうか。俺の方まで戦が迫ったのに今さら京などを盗ったところでどうなることもないだろうが、わかったぞ」
「お、おい。大丈夫か」
「要はやり直しだ。犬っころや神獣に任せるなということだ」
スター、と彼は呼んだ。大喝だった。
「やろう。鷲を落とさせてなるものか」
何事が起きたのか理解できないが、こっくりと頷く。
「はっはっは。マイラよ、こーゆーのが、俺は好きだ!」
妙な運命を笑い飛ばし、植物園を進む娯楽に、
「なんなのだ、あれは」
「わからねえけど、楽しそうでいいじゃねえか」
と、その背を追う。彼女たちの心も不思議と高揚していた。