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異郷戦記  作者: こま
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十五話

 まず娯楽が目を覚まし、マイラとスターリアに声をかける。朝食としてパンを食い、馬を走らせる。

 道中での襲撃を警戒していたが、すれ違うものといえば行商で、動きのあるものは動物たちである。なんとも穏やかな旅である。


「スター、昨日はよく眠れたかい」

「まあな」


 二人の距離は縮まっていた。娯楽は前方を注意深く眺めながら頬笑む。スターリアはかなり図太くなったようで、娯楽が起こそうとしてもなかなか目を覚まさないほどで、それにはマイラも呆れた。


「それよりマイラ、お前と芝位はどこで知り合ったのだ? 群れるような類には見えんが」


 馬車の狭い空間が二人の距離をどんどんと近づけた。


「つい最近だよ」


 スターリアは興味津々である。

 マイラはこれまでの傭兵稼業をほとんど単独で行っていた。その方が気楽だったし、依頼遂行の手段を選ばない気性の荒さも起因している。


「こいつが押し掛けてきて、あとは成り行きだ」

「マイラは命の恩人だ。動けぬ俺を医者まで運んでくれたのだ」

「……以外と殊勝な奴だったのだな」

「おいおい、お前の依頼を受けた時点で気がついてくれよ」


 馬車は進む。娯楽は鞭を使いたがらないので馬任せである、速度は遅い。しかし文句は出なかった。


「スターリア、お前の隣にいるやつは、良いやつだ。そいつは俺をろくに知らんのに色々面倒をみてくれる。こんな阿呆は他にいないだろう」


 ほがらかなくせに、どこか気を張っている。スターリアたちからはわからないが、瞳だけはぎょろぎょろと周囲を確認している。


「ああ、いない。こんなに知的で魅力的な女は、どこを探したっていない。お前はこの上なくラッキーで、それを理解しているのなら、なんの問題もないが」


 語尾を上げ、当然だろうと言わんばかりの彼女の言い回しが、娯楽は好きだった。


「それで合っているよ。俺は幸運で、お前は阿呆だ」


 それでいい。マイラは満足そうに微笑んで、スターリアを肘でつつく。


「ま、うまがあうのかな」

「そのようだな」


 マイラはわざわざ御者をしている娯楽の背に寄ってきて頭をぽんと叩いた。


「真っ直ぐだぜ、私の地図から道を逸れるなよ」


 一本道で外れる場所などない。

 無邪気というか馬鹿というか、愛嬌といえば愛嬌といえる振る舞いに、スターリアは呆れた。




「冗談のような賑いだ」


 ウェステリア目前、町の外にいるのに喧騒がかなり聞こえてくる。

 ここもアザラと同じように町を外壁が囲み、頭抜けて高い塔のような建物が見える。


「あそこにも人が住んでいるのか」

「馬や牛が住んでるわけねえだろう。金持ちが金持ちの象徴として造らせたんだろうさ。上にたくさん積んで、おまけに庭も広いんだよな、ああいうのって」


 検問は何事もなく通り抜けた。バウトが心配していたようなことはついになかった。


「ヘイムルだったか。それはどこにある」

「ん、待ってろ、メモを」

「次を左だ」


 スターリアが小さく指示を出す。


「……あってる。お前、場所を知ってんのか」

「馴染みのある町だからな」


 指示は続き、宿に着いた。馬を繋いでいるとスターリアがマイラの袖を引いた。


「護衛、感謝する」


 か細い声だった。照れ隠しのようなそれに、マイラは鼻を鳴らした。


「なあに、どうってことないさ」


 軽い調子だが決して金のためだけの響きではなかった。

 からんころんとドアのベルが鳴る。


「いらっしゃい」

「あんたがダールさんかい」


 六十絡みの店主は肯定し、一瞬だけ驚きに目を輝かせ、しかし平静を装った。


「三名様ですか」

「バウト殿に頼まれた者だ。彼女をお主に、と」

「で、では」


 ダールは泣き崩れた。スターリアは彼に駆け寄り、「苦労をかけたな」と労う。


「知り合いか」


 娯楽たちを振り返り、スターリアは申し訳なさそうに「実は」と口を開く。


「止めてくれよ、正体なんて知りたくない。お前はただのスターリア、それでいいじゃねえか」


 ぱたぱたと手を振ってロビーの椅子に腰かけた。机の灰皿を引き寄せてマイラは煙草に火をつける。


「マイラ……そうだな。私はただのスターリアで、お前もただの傭兵。それでいい。それがいい」

「ははは、わかってきたな」


 ダールは涙をぬぐい、筆と小箱を持ってきた。


「依頼は完了でございます。署名と、サインを」

「おう。そっちが報酬かい」

「はい、百万フレルと、わずかばかりの感謝を」


 小箱には現金と、指輪がある。緑色に淡く輝く石が銀の台座に収まっていた。

 マイラはそれを拒んだ。見たくもないと顔を背ける。


「……金だけでいいよ」

「持っていけ。私の命は決して安くない」

「お嬢様よう、これはお前の指にあるべきもんじゃねえか?」


 石に刻まれた意匠は鳥の羽を模していて、高価なものであるということが娯楽にもわかった。


「これは家紋か」

「そうだ。わかるか? これの意味が」


 マイラは指輪をスターリアの手に握らせた。


「アザラってのはでかい都市ごとに君主を置いてんだ。その都市の長が周辺の法律とか色々決めるんだが」


 日本でいう藩かと娯楽は一人納得した。


「長は貴族、それも歴史ある貴族がやる。任命のされ方はまちまちだが、ほとんど昔から仕切ってたやつが世襲で続ける。で、だ。この紋章はウェステリア家のもんなのさ」


 それを礼として差し出すことの善悪は別として、それがここにあるということの意味を娯楽はようやく理解した。


「……正体なんて、と言ったわりには饒舌だな」


 スターリアは肩をすくめた。


「失礼いたしました」


 と、これまでになく深く礼を尽くすように頭を下げた。しかしそこには茶目っ気が多分に含まれていて、スターリアの顔もほころぶ。


「改めて名乗ろう。スターリア・イグラス・ウェステリアだ。お前の読み通り、ウェステリアの君主の娘だ」


 ただし、第二の妻の三姉妹の末だがな、と自嘲する。


「知らずとはいえ、失礼いたした。平にご容赦を」


 娯楽は床にひれ伏して詫びた。


「な、何をしている。隠していた私が悪いのだ」


 マイラは娯楽の脇腹を軽く蹴った。


「お前の国じゃそうするんだろうが、かまうことはねえ。そうだろ、スター」

「そうだとも。お前たちは恩人だ。バウトに代わりここまで」


 バウトの名を口にした途端に青ざめた。


「ダール、バウトは」

「……奴らにあなたを渡すわけには参りません。彼もそれを承知していました」


 きな臭くなってんな。そうマイラは呟いた。


「ロードレッドよう」

「嫌だね。深入りしない方がいいって」


 ひそひそと会話する二人に、スターリアは察した。


「マイラ」


 呼びかけには親愛と寂しさがある。


「世話になったな。バウトもダールも我が従者だ。騙していてすまん」

「……はいはい」


 無理に微笑み、そして芝位と声をかけた。


「息災であれよ」


 たったこれだけを告げた。それ以上なにかを言えば、こらえているものが噴き出しそうだった。


「……なんだよそれ」


 マイラは舌打ちをして、急に苛立った。


「ガキのくせに格好つけんじゃねえよ。言いたいことがあるなら言ってみろ。指輪も金も惜しくねえくらいだ、こんな半端じゃバウトも死にきれねえよ」

「だが」


 スターリアは一筋涙を落とし「迷惑がかかる」と言った。健気な優しさはマイラの激情に油を注いだ。


「だからなんだ。したいことをしろ」


 そしてひれ伏したまま顔だけを上げる娯楽を目で指し、


「ラッキーだぜ、お前。ここにゃ厄介が三度の飯より好きな奴がいる」

「芝位……」


 そこにいるのは誰だ。娯楽はそう自問した。


「にしゃ、あれか。困難に悩み市井に紛れる姫君か」


 始まった、とマイラは低く笑う。


「俺は武家の長男だが、その肩書きはここでは役に立たん。そういうものを取ってしまえば、俺はただの芝位の娯楽よ」


 スターリアは息をのみ、ダールなどは後退りして、この不気味な男から遠ざかった。


「スター、お主が貴族だとか、俺は気にしないことにした。するとお主はただの良き友人だ、困っているなら話してくれ」

「……だめだ。もう十分やってくれた」


 頑ななスターリアに、娯楽は立ち上がって高く笑った。つくった笑いなのは誰にも明らかだった。そうすることでしか、安心させる方法を知らなかった。


「この演目に客のままなら芝位の名が泣く。娯楽の名が死ぬ。だから俺のために相談してくれ。幕は上がらねばならん、何よりも俺のために。決して誰のためでもない。全ては俺のために」

「……だとよ。台本渡してやれよ、オーディションのためにああして馬鹿演じてんだから」


 スターリアは娯楽の真意を汲み取ったが、やはり巻き込むわけにはいかないと固辞した。


「まったくお前たちは、私が思う通りの人物だ」


 スターリアは目をこする。


「だが、ここまでだ。芝位よ、来賓に怪我などさせたくない。マイラよ、決して半端にはせん。幕が降りるその時まで」


 娯楽ははっきりと幾度も感じた死の影を見た。バウトや父と同じような、だからこそ引き留められない強さがあった。


「……行こう。私たちは、客らしい」


 別れの言葉ひとつなく、マイラと娯楽はヘイムルを辞した。ドアが閉まる。もうこれまでと、関係性は絶たれた。


「これでいいのかよ」


 風が強い。砂埃が舞った。通りは相変わらず賑やかで、繋いでいた馬が同情を寄せるように蹄を鳴らす。マイラはその繋いだ紐を外すのを惜しみ、背を撫でた。


「おっと、いかん」

「あ?」


 娯楽はわざとらしく手を打ってはにかんだ。


「ロードレッドよ、金を忘れたな」


 とってこなければならん。そう言う娯楽は無邪気な悪漢であった。何がなんでも幕は上げる。客は壇上に昇ろうとした。


「……この野郎、お前は不合格だって」


 上弦の月のようににんまりと、マイラは再びドアを蹴り開けた。ドアノブも蝶番も激しく吹き飛ばすほどの蹴りである。


「やっぱりこうでなくちゃ! ……あら」


 ダールに突き立ったナイフ。羽交い締めにされたスターリア。黒装束の二人。

 物音なく忍び込み標的を狙う。こういう仕事を本職とする者たちだった。


「助け……」


 スターリア以外、感情を伏せ、ただ己のすべきを定めた。

 丸腰の娯楽が真っ先に動いた。顔面にぶつけられる火の玉にも怯まない。

 それにはさすがの本職も喉奥で唸った。その隙ともいえない隙に、マイラの懐で銀のナイフが冴える。冴えはそのまま一人の眉間に突き刺ささり、黒服は崩れ落ちた。


「スター、動くな!」


 黒服は人質であるとスターリアを盾に誇示したが、娯楽は止まらない。握った短刀は人質と敵の中間を彷徨っている。

 恐怖に染まった黒服の胸板を押してスターリアを引き剥がす。これでもかというくらいに柔らかな動きであった。


「にしゃの役はこれだ」


 胸に抱えた少女。丸腰であること。火傷した怪我人。そんな男の強がりであると、娯楽の発した意味を理解せず、黒服は戦闘継続を試みた。


「哀れな忍。名前もない端役だ」


 マイラの拳が腹を打つ。地響きに似た音がして、哀れな忍は倒れた。


「好物だろ?」


 マイラは煙草を取り出して火をつけた。倒れた男の頭を踏みつけると、じわりと滲む鮮血にブーツが濡れた。


「喧嘩は苦手だ」

「違うよ。こーゆーお姫さまを助ける物語のことさ」


 胸の内でぐったりとした少女を見下ろす。開け放たれた窓からは楽しそうな音楽が聞こえた。


「……主役は俺か?」


 面白くない不快な冗談でしかものが言えない。こういう場合には、娯楽は徹底して本心をさらけ出さなかった。


「はっはっは。お遊びよう、幕は上がったぜ、お前のための舞台のよ」


 それを快く思うマイラとは、うまがあうのも当然といえた。

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