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異郷戦記  作者: こま
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十三話

 デン店長は降りてきた二人をちらと横目で見ただけで、台所で皿を洗っている。客たちの声は若干小さくなっていた。

 マイラは木製の掲示板の前に娯楽を引っ張っていった。無数の紙が貼り付けらていて、その内の一枚を指差す。


「見ろよ。これが依頼主の名前だ。ジョン・バウトってのがそう」


 その下にはしてほしいことが書いてある。と、マイラは胸のポケットから筆を抜いて指示棒のように指し示す。


「これが読めるか?」

「要人護衛、とあるな」


 それが読める。みみずがのたうつような、直線曲線が、娯楽にそういう言葉をもたらし理解させた。


「そうだ。だからこれは、バウトってのが要人の護衛をして欲しいのさ」


 粉々になるほど噛み砕いた甘い説明が娯楽には嬉しい。


「なるほど」

「で、もっと細かいことが知りたいわけだ。そこでデンに声をかける」


 マイラはその紙を引っ剥がして、デンに渡す。

 皿洗いの最中だったが、彼は無口を破った。


「……ツレと行け。これは複数人が条件だ」


 デンは依頼書の裏を確認すると、そこには番号がある。


「二桁だ。九十九番だが、気を付けろ」

「あいよ」

「その番号は」


 道すがら、な。マイラはデンから何かの用紙を受けとり、店を後にした。娯楽はまた腕を引かれている。


「仕事の難易度さ。数字が少ないほど難しい。つまり、これはちょろい」

「そうか。今からそのバウトとかいうのに会うのか」

「ああ。あそこはこんな依頼がきてますよってだけで、私たちがそれを選び、そこから出向いて依頼を受ける。こんな中抜きされたくはないが、パイプがねえやつはすがるしかねえのさ」


 ありがたいとは思いながらも、あまりの甘ったるい解説に少し意地になった。


「……説明してくれるのは助かるのだが、俺は子どもではないぞ。もっと簡潔でもいいからな」

「ほざくなよ。ジョークにしてはつまらねえ身の上だがな、それに乗っかってやってんだから」


 軽口にむきになる娯楽ではない。ヘラヘラするマイラに悪意がないのは明白だし、彼がどう思おうがもうすっかりマイラという杖に寄りかかりきりだった。

 デンの店から少し歩き、町人たちの居住区である古い石造りの家々を抜けると、それはある。


「こ、これは、また」


 ここだけ光が切り取られたのかと見紛うほどに暗く、狭い。さらにこの辺りでは人目をひくはずの木像建築なのだが周囲は静まりかえっている。入り口にはついたてもなく中の様子がうかがえる。


「くそぼろいな。ここであってんのか? ……あってんなあ、うわ、鼠が死んでる」


 住所を確認し、マイラは改めてノックをした。入り口に立てかかっている木板からは軽い音がした。


「うへえ、住むにはちょっときついな。おーい、クラブ・デンのもんだ! 入るぜ! 」


 驚くべきことに、灯りがまったくない。穴の空いた屋根と木壁から差す木漏れ日が、人の存在を隠している。


「……芝位よう。こりゃあ」

「十畳ほどか。生活感はなく、ネズミの糞だらけ。廃屋か……だが、埃が舞わんのは、何故だ」

「糞ったれ。デンに文句を言ってやらにゃあ。イラつくぜ」


 腐った床板を蹴っ飛ばすマイラ。簡単に穴が開いた。するとそこに天井からの光が、まさに光明が射し込んだ。

 何かから隠れるような、地下に続く階段が現れたのだ。薄暗いために精々五段目が見えるくらいだが、それは降りなければならない。そこにしか依頼人を探す手がかりがないのだから。


「厄介の気配がするな」

「では引き返すか」


 娯楽は真面目に言ったつもりだが、マイラにはそうは聞こえなかったらしく、鼻を鳴らした。


「冗談だろ? 早く行こうぜ」


 石を切り出した階段で、それは壁もそうだった。暖かみのない無機質が狭さを増長させている。

壁づたいに降りていき、何度か曲がると突きあたりに灯りがあった。燭台が間隔もまばらに、奥の奥にある戸を照らす。


「迷宮かここは……息苦しいったらねえな」


 地上とは違って、綺麗に設えてある。腐りはなく、ご丁寧に、少し間抜けだが、在住という札までひっかけられていた。


「いるみたいだな」

「いるな、変人に決まってる。よう、バウトさんよ、いるかい!」


 マイラは突然に戸を蹴りつけた。石の空間に反響するがぁんという音がやむと、逞しい男が現れた。赤茶色の髪を無造作に伸ばした髭の男だ。


「誰だ」


 低い声、反響すると不思議と耳に心地よい。


「あんたデンのところに依頼を出しただろ。要人護衛のやつ」


 はっとすると男は二人を招き入れた。地下のために窓はなく、光源は見当たらないが、なぜか明るい。そのせいか息苦しさも失せた。


「かけてくれ」


 炊事場と寝室、そして居間が混在する不思議な空間だと娯楽は思う。


「俺がジョン・バウトだ」

「マイラ・ロードレッド」


 おざなりに名前を告げるとバウトは「あのロードレッドか」と興味深そうに眺めた。


「じろじろ見るんじゃねえや、気色悪い」

「こんな子どもだったとは」

「てめえ! 決めた、これは降りる! あばよ礼儀知らずめ!」


 激昂するマイラを宥める娯楽だったが、その過程で脛を蹴られた。かいあって落ち着いたが「クールに行こう」と暴れた本人が言うのは納得いかない。


「悪かった。でもそれは私にとって幸運なことなんだ。偉丈夫では少し目立つから」

「はあ? 私がガキみてえってか? ぶっ飛ばすぞ」

「ロードレッドよ、も少し辛抱してくれよ」


 ふと、バウトは娯楽に目を向けた。


「きみは?」

「ツレだ。芝位ってんだ」

「よろしく」


 娯楽が頭を下げると、バウトは不自然なほど喜んだ。


「こちらこそ。きみのような人が……人たちがいて助かったよ」

「なーんかひっかかるけど、まあいいや」


 さて、と手を打ってマイラは足を組んだ。


「誰をどこまで?」

「……私の娘を、ウェステリアまで」


 それはアザラから西にある大都市。娯楽はそれを知らないが、マイラはまた怪しい臭いを嗅ぎとった。


「追われてんのか?」


 バウトの眉がぴくりと動いた。隠すつもりだったのか、しかし観念して苦しそうに息を吐く。


「私は商人だ。武器や食料を売っている。荷を狙われて命からがらここまで来たんだが、連中はどうやら私から全てを奪うつもりらしくてね」


 襲ってきたのは山賊に毛の生えた連中だがとにかくしつこく、一旦は娘だけでも故郷に帰し、ほとぼりが冷めたら自分もそうするとのことだった。


「その娘さんは、どこに」

「ここだ」


 バウトがその場から壁に手をかざすと、円と三角形の組合わさる陣が浮かび、瞬く間に扉が現れた。

 驚きを隠せない娯楽は棒立ちのまま、この世界の不思議を全身に受け、失神しそうにまでなった。


「空間制御かよ。あんたの娘は本物の箱入りだな」


 音も立てず戸が開いた。

 黄金か、と娯楽の喉が鳴った。眩しい金色の髪を肩で揃えた少女に、彼は気圧されていた。その感覚はどこかで体験したような、それでいて新鮮な震えをじんわりと味わった。


「父よ。彼女らが?」


 鋭く迫る声だった。しかし追われているというのを実感させる恐怖と怯えがあった。


「そうだ。ロードレッドさんと、シバイさんだ」


 二人を睨み付ける少女、マイラの癇癪はなかった。それどころか、機嫌が良い。


「お嬢さま、御名を頂戴しても?」


 大層丁寧だったが、からかうような風がある。少女はそれを察知しふいと横を向いた。


「ロードレッドとかいったな。護衛の任、ご苦労。だが、不用意な言動はその身を滅ぼすこともある。覚えておけよ」


 高圧的、はっきりと敵対を選んだ少女。二人の間で火花が散った。


「俺は芝位娯楽と申す。彼女は誰にでもこうなんだ、気を悪くしたならすまない」


 少女に視線を合わせるようしゃがみこみ、人のいい笑みを浮かべた。高圧的ではあるが、少女はどう見ても十代前半であり、妹と重なったのだ。


「……別に、どうも思っておらん」

「そうか、なら良かった。あんなやつだが善人だ。安心してくれ」


 妹にするように頭をぐりぐりと撫で付けた。やめろとは言われなかった。


「お守りは任せらァ。バウトさんよ、金はあんのかい。足もと見るわけじゃねえがよ、この仕事、すこーしばかり高いぜ」


 うさんくせえから割り増ししてやる。マイラは心中で唾を吐き捨てた。


「当然だ。ここに百万フレルある」


 それが金額であるというのはわかったが、娯楽は「それは」と難しい顔。


「どれほどだ」

「……あそこの飯が五百フレルで食える。要するに、大金だ」


 頭の中でそろばんを弾くと、なんだか額が大きすぎてくらくらした。


(適当に断っちまうか)


 異常な報酬である。凄まじく危険な仕事、もしくは裏があると判断し、マイラはもうこのままデンの店に引き返したかった。娯楽を連れて、気楽に試しにやってみるような案件ではない。


「あー、それでもちょっと安すぎる。この依頼、十倍はあってもいい。あんたの言うしつこい連中ってのは、私が思うに相等厄介なはずだから」

「……ふっかけるじゃないか」


 バウトはひきつった笑みで、少女を見た。それは了承を求めるような眼差しだった。


「父よ。それでいい。芝位、前金としてその百万を収めろ」

「……俺?」


 少女の指名にマイラの拳が机に叩きつけられた。


(納得するのかよ! でもって私がメインで出張ってんのにこのクソガキ!)


 自分で出した条件だから撤回するわけにもいかない。それに少女に舐められているというのはわかったので、何度か深呼吸をしてから覚悟を決めた。


「……言いたいことは山ほどある。が、それは後で。とりあえず契約書出せ」

「あ、ああ。わかった」


 バウトはポケットから四つ折りの紙面を広げて出した。


「いいか芝位。ここに名前を書くんだ。随行者はいらない。代表が書くだけでいい。今回は私にしておく」


 スラスラとやや悪筆にマイラは書名した。毛筆ではなく、金属質の先端部で、紙に触れるとじわりと黒色が染みる。


「その筆、筒には墨が入っているのか」

「……万年筆だよ。買ってやるからちょっと静かにしてろ」


 少女はもう出掛ける準備を終えていた。鞄を背負い、入口の前でバウトをじっと見つめた。


「彼女をヘイムルという宿に送ってくれ。ダールという主がやっているから、金のことも彼に」


 詳細な住所の記されたメモをマイラはポケットにしまい、用心のある瞳をした。


「あんたは?」

「俺もそのうち。あなた方は金を受け取ったらもう自由にして構わない。報告もいらない。だから、頼んだぞ」


 そこには確かな決意があった。生きようとするのではなく、決死の、なにもかも省みず少女の無事だけのために命を燃やす火があった。


「あの時の父上と同じ目だ」


 娯楽の口から漏れだした言葉。その意味を知るものはいない。


「バウト殿はそれで良いのか」


 それが何を意味するのかはバウトにははっきりとわかった。


「その子は……俺の命を懸けるに値する。あなたのお父上も、俺と同じ……命の運び方をなされたのだろう。そして、それを悔いてはいないことも、おそらくは同様だ」

「……行く。父、バウトよ。つまらんことで死に急ぐな」


 少女は先に部屋を出た。ためらいなく靴音は遠ざかる。


「よろしく頼む。あれでいてまだ十になったばかりだ」

「けっ。サービスだ、あんたも運ぼうかい」


 バウトは間髪置かず拒否した。


「結構。俺は残る。すべきがあるからな」

「……あの子のために生きろよ。じゃじゃ馬の手綱を押し付けんな」


 それには答えず、穏和な顔で「行ってくれ」と、バウトは叫びを殺した呟きで手を振った。

 マイラと娯楽は労るように黙したまま辞した。

 長い石廊下の先、階段を上ると少女が仁王立ちで陽を浴びている。


「遅い」

「急いだって仕方がねえ」


 舌を出す少女の頭にマイラの手の平がそっと置かれた。剣呑さはすっかりなくなっている。


「な、何をする」

「お前の親父の嘆願だ。お嬢さん、私が依頼を受けたからにゃあもう安全だ」


 その手を引いた。それから馬車まで少女は抵抗せず、大人しかったのは少しは認めたのだろうと、娯楽はなぜか目頭が熱くなった。

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