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異郷戦記  作者: こま
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十二話

「こ、ここはなんだ」


 太い通りには行商、露天がところ狭しと並び、それぞれの客引の声が耳を攻撃してくる。楽器の音もどこかでした。道は格子状ではなく複雑に絡んでいることが通りにいながらわかった。路地では中身の入った瓶を抱いて寝ている者もいる。 角の生えた馬もいる。


 そうした乱雑な情報が叩き込まれ混乱する娯楽の背を、マイラはまたしても蹴りつけた。


「そこ、右」

「……まるで京のようだな」


 行ったことはないが、とてもきらびやかな場所と聞いている。見聞が足りないなと自嘲して笑った。

 右左と指示を受けながら道を進む。どんどんと小道になり、くたびれた店の前で馬を繋いだ。


「ここで金を貰う。ついてきな」


 馴染みのない匂い、聞いたことのない音色、不思議な装束、半獣半人。表の通りでもそれらはあったが、集合しているのを目の当たりにするとくらりとした。マイラの服の裾を引きそうになるほど不安と興味が渦を巻いた。

 荒くれ者ばかりで埋まる椅子。そこには薄着の女もいたようだが、今の娯楽には熊より大きい髭の男にばかり目がいった。


「よう店長。キッパーから連絡きてんだろ?」


 親しげなマイラだが、彼は無言のまま店の裏へ行ってしまう。


「無愛想なのさ」


 少しすると紙の束を二つ持って現れた。マイラはそれをペラペラと一枚ずつ確認してから鞄にしまう。


「……ご苦労。そいつは」


 低い声、娯楽を指差す。


「拾ったんだ。それよか飯くれよ。二階は空いてるかい」

「上に上がれる資格が、そいつにあるのか」

「俺か?」


 人差指を自分に向けて、娯楽は「持ってない」と言う。


「はっはっは。馬鹿だろ、こいつ。だけど、あるのさ、これが」


 マイラは娯楽の腕を引いて階段を上る。

 一階は騒がしく賑やかで、しかし二階には人の気配がない。ただ掃除はしっかりとされている。二十畳ほどの空間に、ぽつんと丸い机、そして椅子が一脚備わっている。マイラは端に重ねられた椅子を持ってきて、そこに娯楽を座らせた。

 自らも座って大きく伸びをした。鞄から煙草を取り出して火をつける。臓腑の隅々まで煙を行き渡らせて「ああ」というわずかな呻きと一緒に吐き出す。三口ほどで短くなった煙草の火を革靴の裏で消して、机の上に乗せた。

 その間、娯楽は黙って階下の喧騒に耳を傾けていた。初めての音色は案外素敵であると頬笑みすらしていた。


「さぁて。色々と訊きたいことがある」


 マイラは指の節を鳴らした。これでは尋問だと、また娯楽は口角を上げた。恐怖に鈍感なのではなく、状況に柔軟なのである。それはこの世界の新参者として、身に付けなくてはならない重要なものの一つだった。


「隠すことなど何もない。存分に」

「芝位、娯楽だったか。どっから来たんだ」

「会津近くの峠だ。住まいは城下だが」


 眉を潜めるマイラ。それはどこだとまた訊く。


「山に囲まれた盆地だ。京から遠く北にある」

「キョウってどこだ」

「都だ。詳しい場所は知らん」


 じっと見つめあう男女。睦まじさとはかけ離れた猜疑と正直がぶつかり合う。


「……まあいいや。なんであそこにいたんだ」

「それは俺が知りたいのだが、どうやら神の意志らしい」


 姿を変えることのできる神遣エングースは そう言っていた。大怪我をして、気がついた時にはキッパーによって治療を受けていた。かいつまんで説明すると、マイラはやはり信じていないようで、


「そりゃすごい」


 と、適当に流した。


「まあ言いたくない出自なのか、狂者なのかはこの際どうでもいい」

「本当のことだから仕方ない。だがどうでもいいというのは同感だ」


 すると意外そうな顔をしてマイラはまた煙草を手に取る。


「どうでもいい、か」

「そんなことを気にしていては、多分俺はすぐに死ぬ。あの戦場がいくつもあって、遭遇してしまえば、まあ十のうち八は死ぬだろうな」


 刀より槍。槍より弓。そして鉄砲。そういった、もはや刀の時代ではないというのに、あれだけの火力を持った攻撃方法があるのなら、自分にできることはほとんどない。逃げるしかない。余計なことを考えていればまず死んでしまう。それが戦場を去った後で思ったことだった。


「……死ぬわけにはいかない。たとえ狂者と呼ばれても」

「お前さ、目的とかあんのか」


 即答を許さない強烈な切り込み。放った本人はのんびりと煙を吐く。


「そんなに覚悟があるならさ、やっぱやりたいこととかあるんだろ?」


 娯楽は頷いた。確固たる目的がある。


「俺は戦火の近付く故郷を離れここに来た。帰らねばならん」

「どーやって?」


 マイラの表情、それは答えがないことを知っているような、下卑た笑み。

 娯楽は彼女がその顔をする意図がわからない。もしかすると自然に浮き出たのかもしれない。だから、彼も自然な筋肉の動きに任せた。


「俺にもわからんのだ」


 そうして笑い飛ばした。着のみ着のまま、鎧もつけていない。何もわからず、流れるまま。だが目的は忘れない。

 ちょうど店長が階段を上ってきた。盆に乗った皿から湯気が出ている。


「どーも。あらら、二人分も食えないぜ?」

「……ロードレッド、お前のかじった干し肉では腹にたまらん」

「手じゃちぎれねえから噛みきったんだろうが」


 店長は無言で降りていく。かすかに顔を綻ばせたように見えた。


「あの方は、なんという」

「デンってんだ。元傭兵で、この酒場のマスターさ」


 犬の名のようだ、とは言わなかったが、娯楽は彼に親しみを覚えた。


「そうだ。俺にも質問させろ」

「んあ、いいぜ」


 平皿には具材の多いスープ。そしてパンの塊が二つ。焦げの目立つベーコンがボウルいっぱいにぶち込まれている。

 娯楽は極度の空腹状態である。なにせほとんど飲まず食わずでこの数日を過ごしていたのだから。

 しかし飢えに負けるなと娯楽は手をつけずにいる。が、その実態の半分は未知の食べ物に臆病になっただけである。戦場にも飛び出し、異世界にも慣れたかと思えば、やはりまだ染まってはいない。


「……仕事を手伝えといったな。何をする」

「食えよ。かじった肉が嫌ならよ」


 未知への臆病を見透かされた気がして、自らを奮いたたせ、マイラの真似をして口へ運ぶ。

 そんなに嫌かと顔をひきつらせたマイラのことなど気にする余裕はなかった。


「お、お、これは」


 パンを噛んだ。木ではないが、そういう風味、植物の匂いがした。少し固いが初めての味で、旨い。


「ここのパンにがっつくやつ、初めて見たぜ」

「パン? はあ、そういうものか」

「え、知らねえの?」

「ああ。この汁は」

「さあ。料理なんかしないからわかんねえよ。豆とか野菜とかのスープだろ」


 スプーンも知らない娯楽にマイラはもうすっかり困惑した。出自にも信憑性が出てきたほどだ。

 すぐにたいらげ、ごちそうさまと手を合わせると今度はマイルが訊ねる番。


「その儀式は?」

「さあ。神仏か食材か農家か、そのあたりへの感謝じゃないか」

「はあ、そんなもんか」

「で、だ。仕事のことだ」


 浪人。それは特定の主君を持たず、自らの手柄を得るための職探し中の者を指す。どこかに仕官するのであれば粗相はできない。だが、ふとマイラが言っていたことを思い出す。


「依頼といったか」


 マイラは食事中にも煙草を吸う。パンと煙を頬張って、スープで流し込んだ。


「軍じゃねえんだ。誰かに従うことはない。気楽な稼業さ」


 説明がてらに一つやってみよう。彼女はそう言って、席を立つ。また娯楽の腕を引いた。


「俺は赤ん坊じゃないぞ」

「パンも知らねえやつは赤ん坊以下だ」

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