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異郷戦記  作者: こま
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十一話

「兄様、兄様。早く行こうよ」


 妹に手を引かれ、夏の木陰を選んで歩く。これはは夢だと理解しながらも、目覚めたくない甘い誘惑に負けついつい寝坊をした。太陽は頭のてっぺんにあり、体はじっとりと汗ばんでいる。


「奴はもう発ったかな」


 しかし焦らなかった。追いかければいいだろうと、のんびりとキッパーを探し声をかける。


「先生、おはよう」

「あ? もう昼だぜ。いつまで寝てやがる」


 舌を出すキッパー、この口の悪さにも慣れていた。


「ロードレッドはどこへ? 今日にはここを離れると聞いたが」

「荷造りだろ。あっちの小屋に行ってみろ」


 昨晩、目で追った小屋は、陽の光で見るとかなり古い。というよりもお粗末な造りである。地面の上に壁と天井があるだけといえた。


「俺だ。芝位だ」


 戸を叩いた。耳を澄ましても音はない。


「入るぞ」

「馬鹿! 入るな!」


 怒声がドアノブに触れた指をひっこませた。


「いたのか」

「私の、部屋だ。いるに、きまって、おわっ」


 衣摺れから察するに、着替えだ。娯楽は「寮室にいる」と踵を返しまた寝台に寝そべった。すると体の異変に気がついた。


「ほう……」


 ペタペタと傷口に触れる。昨日まではあったえぐれた傷跡が明らかに塞がりつつあったのだ。驚異的な回復速度に驚き、しかしそれならそれでと気にもしない。


「ははあ、化け物に成りつつあるか」


 まだ多少の熱を持ち、存在は確かめられる。触れれば刺すような痛みがあるが、放っておけばどうということもなかった。


「馬鹿。早いんだよ」


 窓から入ってきたマイラはすでに戦衣装である。これが私服も兼ねていた。


「戸があるのに、どうしてここから」

「うるせえな。近いんだよ」

「うるさいのはお前だ。まだいやがったのか。シャドはもう出てったぞ」


 キッパーが言うには、シャドは今朝早くにキャンプを畳み、帰ったらしい。


「今度はどこに行ったんだ?」

「北だってよ」


 娯楽は地理がわからない。黙っていると、マイラは「後で教えてやる」と言った。


「じゃあ私らも行くよ」

「世話になったな。先生、息災であってくれ」


 キッパーは名残を惜しまない。しっしと手を振った。


「私もすぐここから引き上げるんだ。動かせない患者が歩けるようになったら……つーかお前も怪我人じゃないか」


 だが本人が平気でいるし、何よりこの負傷を負傷としない不思議生物の相手をしたくなかった。


「お前みたいなのがたくさんいたら食いっぱぐれるな」


 別れも格別なにかがあるわけでなく、マイラは近くに停めてある荷馬車に乗った。彼女が馬の手綱をひいた。


「どこまで行くんだ」


 荷台に乗ると、とことこと馬は歩き始める。ここでも馬は馬だ。娯楽は慈しむように馬を眺めながら、マイラの手綱捌きに感心する。


「そこに鞄あるだろ。地図が入ってる」


 分厚い革を繋いだ肩かけ鞄、これかと手に取ると、起伏の少ない大地にびっしりと地名やメモが連なっている。娯楽のいた世界では考えられないほどの緻密さだった。


「赤くチェックしてあるだろ。それがさっきいた場所だ」

「……ウォークロス、か」

「歩いて行けないほど辺鄙な場所だからそんな名前になったんだとよ。まあいいや、こっから西へ行く。目的地、なんて場所か読めるか?」


 地図には線が引かれている。ウォークロスと繋がった場所にはアザラとあった。


「アザラだろう。これくらい読める」

「そうか。じゃあそこがどんな場所かわかるか?」


 答えを求めているのではない。ただの会話である。娯楽は将棋の詰めろを探すように、楽しみながら頭をひねった。


「この、アザラという地名と関係あるのか?」

「ないね。ちなみに、アザラってのは花の名前をもじったんだとよ。そこは昔はちっぽけな場所で、その花が群生していたらしいんだ」


 花といわれても、彼にはよくわからない。もとより興味もなく、この場所に咲く植物など知るはずもない。


「ん、そうか」

「なんだよ。興味ねえってか」


 マイラの首はぐるりと回り、体を前方に向けたままこちらを振り向いた。それは娯楽に、生涯を通しても覚えなのない衝撃を与えた。不気味な首の可動域は幽霊画そのもので、昼間だというのに背筋が凍るようだった。


「……いや、アザラとは、どんな植物だ?」


 絞り出した声にマイラは途端に上機嫌。


「すぐわかる。植物園があるからよ、暇なときにでも見せてやる」


 首を戻して前を向いた。遮るもののない原っぱではある、前方不注意を指摘することはないが、その振り向きかたはやめてほしいと思う娯楽だった。


「薬草なのか?」

「見てのお楽しみだ」


 御者を交代しながら三日ほど平原を進む。馬の扱いが様になっていた娯楽にマイラは感心した。


「習ったのか? どっかでお手伝いさんの真似事でも?」

「奉公には出ていない。いたずらでな、馬の口に縄を噛ませて、そりを引いたことがある」


 マイラは面白そうだと笑った。

 雲のへり、視界に収まらない横に広がる灰色がある。壁だと、そしてあれが目的の場所かと娯楽は思った。かがり火が儚く揺れているのが、なんだか幻のようだった。

 月と星がうるさく騒いでいる。娯楽の御者番だったのでマイラは寝ていた。仰向けに大の字で、大口を開けて寝ていた。


「起こすのも悪い。そうは思わんか」


 とことこ歩く馬に声をかけると鼻息で応答された。


「そうだろう。もうちっと進んでから起こせばいい」


 夜が明ける。マイラは寝返りのついでに目を覚まし「一晩中かよ」と呆れた。


「気持ち良さそうに寝ていたからな。こいつも起こさない方がいいと言った」


 ぶるるると馬は鳴いた。娯楽はそれに、ひとりで笑った。


「ロードレッドよう、あれは? 」


 広がる城壁は石垣のようで、その上に見張りがいる。その広さに比べ少人数だった。門には行列ができていて、その最後尾に並べとマイラは言う。


「目的地さ。アザラだよ」


 日本の町とは全くの別もの。平屋はほとんどなく、ほとんどが上に高く積まれた建築物だ。建材はどれも石や木だ。


 その奥に、城がある。郷里の城が質実剛健とすれば、あれは見かけ倒しだと娯楽は思った。


「どうも、戦には向かん城だ」


 列に並びながら娯楽は呟いた。

 それは我が城こそが日本一だという自尊が打ち砕かれたがための呟きだった。規模は町からしてこちらの方が大きく、門番の体格もやたらと大きい。関所でこれかと娯楽は内心驚いたのもあって、鉄砲を撃つ小窓がないことだけにつけこんで、そう言ったのだ。


「あれか? かもな。だからあそこにいっちまう前になんとかするのさ」


 マイラのそれは、戦がある、ということを示しているに他ならない。そのことが娯楽の記憶から火傷の痛みを引っ張り出し、腕をさすった。


「おい、兄ちゃん。大丈夫か?」


 門番は冷汗の娯楽を覗きこむ。無言で頷いて馬の足を進ませると、


「待て待て! 身分証がねえと入れねえんだ」


 と言って、すぐに後ずさった。


「この顔を忘れたか? いいから通せ。ツレだ」

「……ロードレッドか」


 娯楽は背を蹴られ、それを合図に馬を進ませる。横目に写る門番の苦々しい顔といったらなかった。

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