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透明な君を追いかける Ⅱ


 緩やかな坂道を駆け上がる。手に持っている袋が揺れないように気を付けながら、中のアイスが溶けないように急ぎ足で。無料だ無料だ、とはしゃいだけれど、結局持ち帰りなのでドライアイス代がかかってしまった。ドライアイスって、意外と高い。想定外の出費に小さく唇を尖らせる。いくら最近肌寒くなってきたといえども、まだ秋だ、多少はアイスも溶けるに違いない。金色の光が色味を濃くして、町全体を朱っぽく染め上げる。筆でさっと擦ったような雲が独特の光を帯びる。夕焼け色に色づいた木々から、はらりと木の葉が零れ落ちた。

 ぴかぴかと真っ赤な鳥居が見えてくる。私は思わずほぉっ、と息を吐いた。

 足の速度を緩めて、そっと立ち入る。人気のない、静かなその空間で、きょろきょろと辺りを見渡す。

 神主姿が目についた。

 「茜くん!」

 大きく手を振って小走りで駆け寄ると、茜くんは目をぱちくりさせて、あぁ、と声を洩らした。

 「本当に持ってきてくれたんだ、ありがとう」

 「当たり前でしょっ、茜くんのお願いなら何でも聞くわ」

 はい、とアイスの入ったビニールを手渡す。

 「チョコミントかただのチョコ。好きな方選んで良いよ」

 ビニールを受け取った茜くんが僅かに眉を下げた。なんだか尻尾を垂らした子犬を思い起こさせる。

 「ふたつともチョコなんだ」

 「えへ、私チョコが食べたかったの」

 「そっか」

 唇をきゅっと引き結んで、暫しの間、茜くんが悩む。熟考の結果、彼は通常のチョコを選んだ。

 「あれ、チョコミントじゃないんだ」

 「え、星宮もしかしてこっちがよかった?」

 「ううん、私はどっちでもよかったの」

 うそ。本当はチョコミントなんてあまり得意じゃない。一口頬張って、内心顔をしかめた。歯磨き粉の味。人工的な味。そもそも、鼻を刺すような感覚があまり得意じゃないのだ。辛さにしろ、ミントにしろ、炭酸飲料にしろ。刺激はいくら軽度といえども痛覚だ。それを爽快だ、なんて言う人は、私には理解できない。スプーンで茶色いアイスを小さく掬って口に運ぶ彼を、横目で眺めた。いいなぁ。普通のチョコのアイスが食べたかったが、別に良い。何はともあれ、ふたつともチョコが入ってるアイスなら何でもよかったのだ。

 「茜くんはチョコミントが好きかと思ってた」

 「え、何で? 俺どっちかっていうと苦手だよ」

 「あら、そうだったの? なんか茜くんって変わってるから」

 「変わってるって……、それ仮にも好きな人に対して言う言葉かよ」

 ふは、と可笑しそうに笑った茜くんを見て、思わず頬が緩む。嬉しかったのだ。茜くんがちゃんと、「星宮透夏が神居茜に恋をしている」と思ってくれていることが。

 「そういえば今日はお仕事終わったの?」

 「うーん、まだかな。依頼してくれた人がまだ来てないから」

 「あ、まだだったんだ。ごめんね、まだ終わってないのにアイスなんて持ってきちゃって」

 「ん? あー大丈夫だよ、むしろわざわざありがと」

 独特の青緑をしたアイスクリームが、手のひらの熱で緩やかに溶けていく。苦い時間を呑み込むみたいにして、毒々しいそれを口の中に押し込み続ける。鼻の奥を突き抜ける淡い痛みは、茜くんの隣にいると感じる心臓の疼きに似ていた。

 「茜くんはさ、」

 名前を呼ぶ。名前を呼ばれた彼は、スプーンを咥えたまま小さく首をかしげる。

 「どうしたら私のこと好きになってくれるの?」

 「んー、」

 彼が小さく唸る。困ったように顎下を掻く。

 「俺、他に好きな人がいるって言ったよね」

 「言った」

 「だからさ、その、うーん。たぶん星宮のことは好きにならないと思うよ」

 私は唇を噛み締める。

 「それにさ、星宮は、」

 「あっ、お兄ちゃん!!」

 鈴のような可愛らしい声に、彼は口をつぐむ。振り向くと、そこには巫女さん姿の女の子が立っていた。緩やかなウェーブを描いた髪が、低い位置でふたつに括られている。つんと尖った唇が愛らしい。小学校高学年、くらいだろうか。

 「あ、茜くんの……妹さん?」

 私がそっと尋ねると、彼女は黒目をくるりと回して頷いた。目を細めてにっこりと笑う。笑うと柔らかくほどける目元が茜くんに似ていた。

 「はい! 私は神居早紀って言います! えっと……お兄ちゃんの、彼女さん?」

 私があら、と口許を抑えたと同時に、茜くんが盛大に咳き込んだ。私は思わずくすりと笑う。そのまま、早紀ちゃんの背丈に合わせてすっと屈んだ。

 「うーん、いつかそうなれたらなって思うけど、まだ無理みたい」

 「星宮もまたそういうこと言って……全然違うからな、早紀も変なこと言うなよ」

 「なぁんだ、こんな美人なお姉ちゃんができたらなって思ったのに。えっと……」

 「星宮透夏です。よろしくね」

 首を軽く傾けてにっこりと笑ってみせると、彼女は目を丸くして固まった。ビー玉みたいな綺麗な黒目がふるふると揺れている。早紀ちゃんの反応に、私も頬を強張らせる。これはたぶん、気づかれた。

 「え、星宮って」

 その言葉に観念する。目を軽く閉じて、密やかに息をつく。まぁ、慣れっこだ。ぱっと再び笑顔を咲かせて、首肯した。

 「うん。お母さんは星宮光里」

 息をすぅっ、と吸う音がする。目の前の彼女の瞳が見開かれ、きらきらと輝く。

 あぁ、厄介だ。心底そう思った。

 「え、え~~っ!? すごい!! あの星宮光里の娘?!」

 信じられなーい! と胸元でうっとりと手を合わせた彼女に、また笑顔がひくついた。

 「美人に決まってるよそりゃあ! 星宮光里の娘なんだもん! お兄ちゃんは何がご不満なわけ?!」

 彼女にしないなんて信じられない! そう騒ぎながら、彼女は茜くんに詰め寄る。茜くんは困ったように耳たぶを引っ張った。

 「だって結婚したら星宮光里がギリの母だよ?! いいなぁあんな人がカゾクになるなんて。美人で可愛くて優しそうで。憧れちゃう」

 幼くて甲高い声が、ぎっぎっと鼓膜を細かく引っ掻き続ける。それでも私の唇は綺麗な弧を描くし、目元は誰よりも柔らかく細まっているはずだ。それも恐らく、本気の笑顔よりも美しく。

 「だからやめろって早紀、星宮が困ってるだろ」

 茜くんの声が柔らかく、だけど鋭く彼女を制止すると、早紀ちゃんははっとして口を結んだ。頬に両手を当てて、申し訳なさそうに顎を引く。幼い頬のやわらかな輪郭に、私はくすりと笑った。慣れっこな胸の奥のざらつきは、いつの間にか消えていた。

 よく分かる。きっと早紀ちゃんはいいこなんだ、ちょっと先走りがちなだけであって。尻尾を垂らした子犬よろしく俯く彼女が、よく見慣れた人物とだぶって見えて、わたしの笑顔も思わず丸くなる。

 「気にしないで。よくあることだし、私も全然大丈夫だから」

 早紀ちゃんが上目遣いでこちらを見やる。 

 「でも、……ごめんなさい」

 「いいえ、本当に、全然気にしてないから」

 柔らかそうに茶色く透けるその髪を、撫でる。彼女は小さく肩を竦めて照れ臭そうに笑った。茜くんが視界の端で安堵したように頬を緩める。真っ赤に滲んだ紅葉が揺れる。秋の空気が、穏やかな温度を運んでくる。

 そんな和やかなひとときを突如かち割ったのは、聞きなれない女性の声だった。

 「あのっ、神主さんですよね」

 茜くんが振り返る。ぶわっと冷たい風を纏う。途端、立ち上る威圧感。私は息を呑む。黒い瞳をすっと細めて、彼は口を開く。

 「ご依頼ですね、」

 お聞きしましょう。

 凛と響くその声が、私の中で重ならない。彼の像と交わらない。どこか遠く、私の鼓膜を打った。

 

 その静謐な表情は、あの日私の網膜に焼き付いた彼の影とよく似ていた。

 

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