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二刀物語 第一部『無を切る音』  作者: 伊部 九郎
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第一章 回想 その2

「まあ、そういった訳で見せたくてもお見せできないのです」

和人は最後に付け加えるように言った。

「そうですか。なんとも不思議なお話ですねえ。しかし、そのご友人は名の通った刀工だったのでしょうか」

「いいえ、そうではありません」

 その答えが笹山にはまったく意外だったようで、一瞬、次の言葉につまった。

「で、でも、ある程度はどこかでその道のお仕事をなされた方なんでしょう?」

「いいえ、そういったことは一切ありませんでした。強いて言えば、彼のお父上は大下猪ノ介さんという古美術商でしたから、その意味では日本刀になじみがあったのは確かです」

「大下猪ノ介さんというと、あの古鷹堂の?」

「ええ、そうです。五年前に亡くなられましたが」

「ええ、私も古鷹堂とは商売上のおつきあいがありますからよく存じております。しかし、それでは、まったく刀になじみがなかったというわけでもないのですね」

「それはその通りですが、その程度では私と環境的には似たようなものですから、それで刀が造れるというわけでもありませんでしょう」

「ええ、おっしゃる通りです」

 笹山は当惑しきっていた。

「でも和人さん。現にここに刀が存在するわけだし、先ほどその方の遺作だとおっしゃったことからしても、その刀をその刀悟さんという方が造られたのは間違いないのでしょう?」

「ええ、その通りです」

「それでは、いったいどうやって・・・」

 ここで和人は、やや思案した後、静かに答えた。

「あれは、今思い出してもとても不思議な出来事でした。得体のしれない想念のようなものが、彼の体と魂をつき動かしたのです」

「得体のしれない想念?」

「ええ、あのときの彼は、まさにそういったものに支配されているといった状態でした」

「なぜ、そのご友人はそのような状態に陥ってしまったんでしょうか。和人さんがこの刀にそこまで執着なさるからには、お友達の遺作という以上の扱いと思い込みがあるように私には見うけられます。やはり何か、深いわけがおありになるんですね?」

 和人は、先ほどとは比べようもなく強く蘇ってくる過去に対して悲しみの感情が込み上げてくる反面、なぜか穏やかなやさしい心が身体を支配していくのを感じた。もはや、過去を語ることに対しての何のわだかまりもなかったが、元来が話上手なほうではなかったのでどこから語ってよいものかを考えあぐねていた。

「いえいえ、別に無理にお話ししてくれと言っているわけではありません。何か哀しい事情があるのでしたら一向に構わないですから」

 とは言いながらも、笹山の顔には明らかに興味津々の様子が浮かんでいる。そのことと笹山の早とちりな性格とに和人は思わず苦笑いを漏らしていた。

「いえ、元々は彼の強い思いから始まったようなものですから、そんな哀しい事情などというものは無いんですが、話せば長いことになるので一体どこから話していいものかを思案していたんですよ」

「いや、何も私は根堀り葉掘り聞こうとしているのではないのですから、さわりだけでお話ししていただければ良いのですが」

「と言われましても、元々が話上手なほうではありませんので・・・」

 そのまま和人は、あごを右手で掴んだまま視線を下に落として考え込んでしまった。


 ここで、庭に面した障子の陰から妙齢の夫人が現れた。

「失礼します。あなた、もうお話は終わりましたか?」

 障子の影から顔を出したのは、子供を抱いた笹山次雄の妻、静乃であった。

「ああ、いけない。話に夢中になって肝心の仕事のほうを忘れていた」

 そう言いながら笹山は、右手の平をおでこに当て、しまった!という顔をした。

「そういえばそうですね。仕事一筋の笹山さんらしくないことです」

「それはヒドイなあ和人さん。私だって家族サービスぐらいしていますよ!」

「ごく、たまにね」

 静乃がいたずらっぽい笑顔で横槍を入れた。

「お前まで何てことを言うんだ!」

「あら、違いまして?」

「まったく、何て言いぐさだ。もういいよ」

 室内は和やかな笑いに包まれた。

「笹山さん。お話しするのは構いませんが、私は話下手で要約して話すということができないと思いますので、たぶん、かなり長い話になると思います。静乃さんもしびれを切らしていらっしゃるし、どうでしょう、この話は機会を改めるということにして、今日は仕事の話に戻しませんか」

 和人のその言葉に対して、笹山がすかさず口を挟んだ。

「いえ、私はすでに『得体のしれない想念』というところにすごく興味を惹かれてしまったので、今日はこのまま帰れません。もし、和人さんがお嫌でなければ、仕事の話を別の日にしてでも、今日はそのお話をお伺いして帰りたいです」

 一瞬、和人は考え込んだが、今日はすっかり話す気になっていたため、その迷いもすぐに夢散した。

「わかりました。でも、静乃さんとお子さんをお待たせするのは気が引けますから、先にお帰りいただいてはいかがでしょうか」

そういう和人の言葉に対して、静乃はにっこりと微笑みながら言った。

「すみません、今、笹山の言った『得体のしれない何者か』というのが私も気になりました。何か不思議な話の匂いがします。ですので、私も同席させていただければと思います」

 静乃はもう一度微笑むと、笹山の隣の空いている座布団に足を崩して座った。同時に、抱いていた子供を自分の隣に立たせた。とたんにその子は母親を離れ、おぼつかない足取りで歩き始めた。

「ほう。もう歩けるのですか。この間見掛けたときは寝ることだけが仕事のような、ほんの赤ん坊でしたのに」

「ええ、もうすぐ一歳ですから。ただ、目を離せなくて困りますけど」

 そう言いながらも、愛情の溢れた微笑みを傍らの我が子になげかけた。

「お名前は、確か大河くんでしたよね?」

「ええ」

「その名前の通り、心の広い人間に育つといいですね」

「ありがとうございます」

 静乃は、そう言って、再び先程と同じ視線で我が子のことを目で追った。当の大河は、その母親の視線にはまるで無頓着に右手の襖の方へ歩いていった。その姿を追っていた静乃の視線がその先にある襖の絵柄をとらえた。

 その途端、静乃はほうっ!という艶のあるため息を漏らした。

「これはまた、素晴らしい襖ですね」

 感慨深げにしばらくその襖を眺めた後、ゆっくりとこう呟いた。

「これは、和人さんが選ばれたものですか?」

 静乃は和人に向き直り、そう聞いてきた。

「いえ、これは親父が手にいれたものらしく、私が小さい頃からここにありました。まあ、そのせいで私などはしげしげとはこれを眺めたことなどなかったのですが、そうですか、それほど良いものですか」

「ええ、とても。私が今まで見た襖絵の中では一二を争う出来のように思えます」

 そのまま静乃は、すっかりとりつかれたように襖絵に見入ってしまった。さすがに古美術商の妻となった人だなと思いながら、和人はその姿を感心したように眺めていた。

 そこで、部屋の中をよちよち歩きしていた大河が、疲れたのか母親のもとに戻ってくると座っている膝の上に横座りに乗って、頭を母親の体に預けた。静乃は、優しくわが子の頭を撫でた。

「和人さん」

 その呼び掛けに、大河の様子を見ていた和人は、我に返って笹山のほうに視線を移して答えた。

「はい」

「では、その刀悟さんとやらのお話をお願いします」

笹山の目には、先ほどよりもさらに強い興味の光が宿っていた。

「そうそう、一体どういうお話なのでしょうか」

静乃も興味深げに聞いてきた。

「実はな、ほら、その床の間に飾ってある白木の鞘の刀があるだろう。あれは、なんと和人さんのご友人が二十五年前造られた刀なんだそうだよ。そして、あの刀が造られるにあたっては、かなり特殊な事情があったらしいんだ。その事情とやらを、今、お伺いしようしていたところでね」

笹山は、少し興奮したように静乃に説明した。

「あら、そういうお話でしたの!それは興味深いですわね」

静乃がその目に興味の光を宿しながら言った。

「そうだろう!・・・そういうわけですので、和人さん、なにとぞお願いいたします」

笹山は、座ったまま頭を下げて言った。

「ええ、ええ、わかりました。・・・ただ、本当に長い話になると思いますが、お時間は大丈夫でしょうか?」

「今日は、このあとはもう予定はありません。何時になっても大丈夫です」

笹山は、喜びのトーンを含んだ声で答えた。

「私もですわ。幸い、この子も眠ってしまったようなので、何も問題はありません」

静乃は、眠ってしまった大河の頭を撫でながら同じような声で答えた。

「わかりました。お話いたします」

そう言うと、和人は真面目な表情になり静かに語り始めた。


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