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二刀物語 第一部『無を切る音』  作者: 伊部 九郎
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第七章 遺作 その1

それからさらに1年が過ぎた。

猪ノ介の店の使用人が定期的に刀悟のところに物資を届けることは行われていたが、半年ほど前からその応対はすべて坂口が行い、刀悟は使用人たちにも姿を見せなくなっていた。坂口は、刀悟は元気であると使用人たちには告げていたので、猪ノ介も和人もそれを信じるしかなかった。


それでも、猪ノ介の心痛は相当なもののようで、和人の目には会うたびにやせ細っていくように見えた。

和人も刀悟のことが気がかりで、刀悟のことを思い出さない日はなかったが、日に日に胸騒ぎが強くなっていき、今では、刀悟の体の心配ばかりで、刀のことは長いこと思い出さないことが多くなっていた。


 そんなある日、猪ノ介から和人の自宅に電話がかかって来た。

「和人くん、坂口さんが帰ってきたよ」

「本当ですか!?それで、様子は?」

「少々痩せてはいるが、体調は問題ないようだ」

「それは良かった。それで、刀悟のことを何か聞きましたか?」

「少し聞きはしたが、細かいことは和人くんにも聞いてもらった方が良いと思ってね。悪いけど、うちに来られるかね」

「わかりました、すぐに伺います」

「すまんね」

そう言って電話は切れた。


「親父、坂口さんが帰って来たって大下さんから電話があった。仕事中で悪いんだけど、大下さんちに行きたいんだ。車借りていいかい?」

「それは本当か!構わんよ、早く行ってきなさい。詳しいことは帰って来てから教えてくれ」

「わかった。ありがとう」

和人は、蔵人から車を借りると大下家に向かった。少し道が混んでいたが、それでも30分ほどで着いた。


「こんにちは!」

和人が、大下家の玄関でそう声をかけると、すぐに猪ノ介が出て来た。

「急に呼び出してすまないね。こっちだよ」

和人は、坂口の話が早く聞きたかったので、急くように上がると速足で歩いていく猪ノ介のすぐ後ろを着いていった。

通されたのは、大きな紫檀の座卓のある居間だった。座卓の右側には坂口が正座をして座っていた。

「坂口さん、お久しぶりです」

居間に入るなり、和人は坂口に会釈をしながら声をかけた。猪ノ介の言う通り、少し痩せたようだったが、顔つきは以前とは比べ物にならないほど精悍になっていた。

「ああ、和人さん。お久しぶりです」

坂口は、そう言って座ったまま軽く会釈を返してきた。

和人は、猪ノ介に促されるまま、坂口と面と向かうように座卓の反対側に正座した。

「では坂口さん、刀悟とその刀の状況についてのお話をお願いします」

猪ノ介は、和人の右隣に座ると、三人分のお茶を入れながらそう言った。

「あ、ありがとうございます。はい。本当にたくさんのことがありましたから、何から話していいのか悩みますが、お二人の最大の興味は刀悟さんが造られている刀にあると思いますので、まず、そこからお話します」

「いえ、その前に、刀悟の体調はどうなんでしょうか。元気にしてるんでしょうか」

 和人は、刀悟のことが一番気になっていたので、思わず話を遮って聞いた。

「ああ、そのことでしたら猪ノ介さんにはお話したんですが、健康状態は良好です。細かい様子については、刀の話ともからみますので、後ほどお話します」

「そうですか・・・」

和人は、「健康状態は」という言葉に引っかかるものを感じたが、あとで話すと坂口が言う以上、それを待つしかなかった。

「まず、技量の話ですが、刀悟さんは、もう一人でどこに出しても恥ずかしくないほどの日本刀を作る技術を習得されています。手順について驚くほど呑み込みが早かったのと、運動能力に優れた方であるためでしょうか、技術的な面についても素晴らしい速度で上達されました」

和人は、その言葉がなぜか喜べず、逆に体に緊張が走るのを感じた。

「ですから、すでに刀悟さんは何振りか日本刀を造りあげています。しかし、どれも刀悟さんには納得のいくものではなかったため、それらは廃棄しました。ただ、1本だけ庭に放置したら次の日に無くなっていたものがありまして、誰かが持ち去ったと思われますが、良からぬことに使われぬかと心配しています」

「それは1年ほど前の話でしょうか?それでしたら、私のところにありますから心配は無用です」

「え?」

「いや、我々も刀悟と刀の製作状況が気になっていたので、1年ほど前に、和人くんの従弟の孝雄くんに刀悟の様子を見に行ってもらったんですが、その時、刀悟が刀を林の中に残して立ち去ったので、孝雄くんが持って帰って来てしまったんですよ」

猪ノ介は、刀を持ち帰ったのがまるで孝雄の独断であるかのように言った。

「ああ、そうでしたか。確かに、刀悟さんは、店の人以外の知人には誰にもお会いにならなかったから、面識のない人に様子を見に行ってもらうしかなかったですね。とにかく、刀の件は安心しました」

 坂口は、そう言ってから少し微笑んだ。

「それで今の状況ですが、実は、1年半ほど前から私の手は借りずに一人で作刀をしています。最初から技術を覚えたら一人で造る気だったようで、そのための治具となるような、刀を固定する台などを持ち込んでいました。自分一人で造ったものでないと自分の目指すものとならないというのが刀悟さんの考えです。ですから、それからは私も、時々は刀悟さんにアドバイスを与えつつも、自分の刀を造ることに専念していました」

そう言ってから、坂口は自分の右側に置いてあった日本刀を取り上げて座卓の上に置いた。和人からは死角になっていたため、和人は、坂口が持ち上げるまでその存在に気付かなかった。

その日本刀は、綺麗に磨き上げられた黒い鞘に納められており、凝った細工の柄と唾がついていた。

「和人くん、私は先ほど見せてもらったが、実に見事な刀だよ、これは」

 猪ノ介がそう言ったので、和人は、まじまじとその刀を見た。

「これの姿をご覧になられますか?」

「よろしいですか?それでは、ぜひ」

和人はその日本刀を手に取った。

「抜いてもかまいませんか?」

「もちろんですよ」

 和人は、鞘から刀を抜くと、斜め上に立てるように持ってその刀身をまじまじと見た。

「美しい」

 和人の口から、思わず感嘆の声が漏れた。

「そう言っていただけると実に嬉しいです」

坂口は、本当に嬉しそうな顔をした。

和人は、刀身の反対側と切っ先を見てから鞘に納め、鍔と柄をじっくりと観察した。

「この、鍔と柄の細工も素晴らしいですね」

「はい、鍔と柄は、最初の頃から色々と造っておりまして、これが特にうまくできたものです。自分でも気に入っています」

 坂口は、そう言うと、また、にっこりと微笑んだ。

「いや、ありがとうございました。本当に良いものを見せていただきました」

 和人は、そう言いながら刀を坂口に返した。

「猪ノ介さんにもお褒めの言葉をいただきましたし、私も、自分の思い通りのものができたと喜んでいます。自分で造ったものでなんですが、私はこれを家宝として扱おうと思っています」

 その言葉を聞いて、和人は少し微笑ましく思った。

「ああ、話が私のことになってしまってすみません。話を戻しましょう」

 そう言うと、坂口は一度座りなおした。

「その前に一つお伺いしますが、孝雄さんとやらが持ち去られた刀を見て、何かイヤな感じをうけませんでしたか?」

 和人も猪ノ介も、その質問が来ることは予想していなかったので、一瞬言葉につまったが、すぐに猪ノ介が答えた。

「はい、妖気と言うのは生易しいほどの禍々しい気を感じました。和人くんもです」

「はい、あれは何か良からぬものだという気がしました。なので、人目につかないように大下さんに保管してもらっています」

 和人が、緊張した声で言った。

「やはりそうですか。あの頃の刀悟さんからは、強くて良からぬ感じの気が発散されていまして、そのころに造った刀からは、一様にあのような禍々しい気が放たれていました。私も、その禍々しい気が気になったので、刀悟さんが一人で刀を造ると言い、その技術もあると認めてからも、なるべく刀悟さんが見える位置で作業を続けていました。ところが、それから半年ほどすると、その気が少しずつ収まっていき、ひと月ほど前からは、ほとんど感じないぐらいになっていました。そして、先週、刀悟さんが『ここからは集中して作業したいから一人にしてもらえないだろうか』と言って来た時に、今の状態ならば大丈夫だろうと思ったので、自分はこうして戻って来たのです」

 そこまで話すと、坂口は、猪ノ介が入れたお茶を一口飲んだ。

 坂口はそう言ったが、和人は今の刀悟の状態が気になっていた。

「刀悟の良からぬ気は治まったということですが、何かに心を奪われて心ここにあらずといった状態になっているということはなかったでしょうか」

「そうですねえ・・・確かに、作刀作業に集中している時は、私が声をかけても気づかないといった状態になることはありましたが、食事をしているときなどは、最近でも普通に天気や近くの動植物のことなどを話したりしていましたよ。ただ、世俗的なことには一切興味をなくしたようで、私が持ち込んだテレビやラジオを見たり聞いたりすることは一度もありませんでしたね」

 和人は、少し安堵はしたものの、完全に不安がぬぐえないでいた。

「それで、坂口さんの見立てでは、刀悟の刀はいつごろ完成すると思いますか?」

 猪ノ介が聞いた。

「うーん・・・あくまで私の予想ですが、おそらく、あと1年はかからないと思います。刀悟さんの技術はかなり安定してきていますし、集中力も相当なものになってきていますので」

「そうですか、まだ1年かかると・・・」

 そう言った猪ノ介の顔は、本当に寂しそうだった。

「あ、いえ、私がそう感じただけですから、もっと早くなるかもしれません。特に、一人になりましたから、今までよりももっと作刀に集中できると思いますし」

 坂口は、猪ノ介の落胆した様子をみて、あわててそう言った。

「そうですね。もう、これだけは待つしかないですから。

お話、ありがとうございました。そして、今まで刀悟の面倒を見ていただき、本当に感謝しています」

 猪ノ介は、深々と頭を下げながら言った。

「あ、いえいえ、自分も日本刀を造りたかったのでご一緒したまでです。むしろ、私の方がお店の仕事を放り出してしまって申し訳ないと思っています」

「それは、私からお願いしたことでもありますから問題ありません。ただ、うちの店のことを良く知っている坂口さんに復帰していただけると助かるんですが、そのへんはどうでしょう」

「まだ雇っていただけるのでしたら、喜んでお手伝いさせていただきます。よろしくお願いします」

 坂口は、そう言って深々と頭を下げた。


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