第六章 試作 その3
「失礼します」
和人が昼食を食べ終わるとすぐに、玄関から声が聞こえた。その声は、明らかに猪ノ介のものだった。
和人は急いで玄関に行った。猪ノ介は、興奮しているのがハッキリとわかるほど息が荒れて額には汗がにじんでいたが、その表情には期待と不安が入り混じっているように見えた。
「お待ちしていました」
和人はそう言ってから、先に立って居間へと猪ノ介を案内した。
刀悟の刀がくるまれているジャンパーは、居間に入ってすぐにわかるように、中央の座卓の横の畳の上に置いておいた。
「これです」
和人は、部屋に入るなり猪ノ介の方を振り向き向きながらそのジャンパーを指して言った。それを聞いて猪ノ介は、2歩前に出てそのジャンパーを目視したが、その途端、ビクリと体を震わせて立ち止まった。
「これは・・・」
猪ノ介は、一言そう言ったきり絶句した。
「やはり、猪ノ介さんも感じますか。うちの母も感じたぐらいですから相当なものだと思います」
「ああ・・・はっきり言うと、感じるというレベルのものではないな、これは」
刀はジャンパーに完全にくるまれており、どの部分も露出していなかったが、それでもそれが放つ妖気はただ物ではなかった。いや、正確に言うと、和人も猪ノ介も妖気というような生易しいものではないと感じていた。
そのまま、30秒ほど部屋の中に沈黙が流れた。
「和人くん、これは・・・・あのジャンパーの中には一体なにが入っているんだね?・・・いや、形からすると日本刀なのだろうが、まったくそんな気がしないのだが」
猪ノ介は、そのジャンパーを見つめたたまま、こわばった声で和人にそう問いかけた。
「わかりません。俺はあれを使って試し切りまでしてみましたが、刀ではないとしか感じませんでした」
「試し切り?あれで何かを切ってみたというのかね?」
「はい。こちらです」
和人は庭が見える廊下に出て、自分が切った庭石を指した。
猪ノ介は廊下に出ると、木を切ったのだと思い、和人が指した方向は気にせずに廊下から少し離れた木が並んで生えている場所の全体を見渡したが、刀で切ったような形跡はどの木にもなかった。不思議に思いながらそのまま手前に視線を戻すと、上の部分が不自然にまっ平らになっている庭石が目に入った。
「・・・和人くん、まさか切ったのはあの石かね」
猪ノ介は、驚きの表情を浮かべて聞いた。
「はい」
その言葉で猪ノ介は、あわてたように庭に降りて置いてあった草履を履くと庭石に走り寄り、その平らになっている部分を舐めるように見てから表面を撫でた。
「信じられん!なんだね、この切り口は!」
猪ノ介は、和人の方を振り返るとそう言った。その顔には驚愕の表情が浮かんでいた。
「はい。普通なら日本刀でそんな大きな石を切るなんてことは考えられませんが、あの刀を持ってその庭石の前に立った瞬間、なぜか『切れる』という思いが頭に浮かび、体が勝手に動いてその石に向かって水平に切りつけてました。しかし、まったく手ごたえがなかったぐらい簡単に切れてしまいました」
猪ノ介は、石に視線を戻すと「ううむ」と唸って、再び、切られた部分を撫でた。それから、ハッとしたように和人を振り返ると、
「石を切ったんでは、その刀は刃こぼれているのではないかね!?」
と、焦ったような声で聞いた。
「ああ、そうか。あまりにも手ごたえがなかったので、そのことには思い至りませんでした。切った後に怖くなってジャンパーにくるんでしまったので、確認もしてません」
猪ノ介は、小走りに戻って来て廊下に飛び上がると、ジャンパーにくるまれた刀の前に右ひざをついてしゃがみ、眉間の皺をさらに深くして意を決したように右手でジャンパーごとその刀の柄だとわかる少し太い部分を掴んで持ち上げてから切っ先の部分をめくった。
その途端、激しい悪寒が猪ノ介の背筋を貫き、頭皮全体から汗がにじみ出た。
「ううむ・・・」
猪ノ介は、そう唸ってからしばらくそのまま露出した切っ先部分を見ていたが、刀を垂直に立てると、左手をジャンパーの中に入れて柄を持ち替えてからジャンパーを放り投げた。全容を現した刀悟の刀には、どこにも刃こぼれはなかった。
猪ノ介は、しばらくそのまま刀を見つめていたが、徐々にその表情が暗くなっていった。
「和人くん」
「・・・はい」
廊下に立って猪ノ介を見ていた和人は、その様子の変化に気を取られて少し返答が遅れた。
「この刀は、日本刀としてはかなりの出来だと思う。刃紋、切っ先、背、どれをとっても実に美しい。それに、簡単に石が切れたことからもわかる通り、恐ろしいほどの切れ味と頑丈さも兼ね備えているようだ」
そう言いながら、人差し指で軽く刃の真ん中あたりに触れた。ところが、触れただけなのに指先が切れたようで、その部分から血がにじんだ。猪ノ介は、そのことには少しも意に介さず、和人の方を向いて聞いた。
「しかし、こんなものを造ってしまって、刀悟は大丈夫なのだろうか」
和人は返事に困って、そのまま押し黙っていたが、少し間をおいて猪ノ介が言葉を続けた。
「この刀から感じる禍々しい気は、時王とですら比べ物にならない。だから、これでは、時王を押しとどめるどころか刀悟の造る刀そのものが災いの種となるような気がする。こんなものを造ることが刀悟の使命だったんだろうか」
「そのことでしたら、猪ノ介さんが到着するまでの間に少し考えました」
和人は、やや間をおいてから言った。
「なんだね」
「はい。それを持って来た孝雄の話と、まだ刀悟が帰って来ないことから考えて、刀悟にはその刀の出来が大いに不満だったと思われます」
それから和人は、猪ノ介に孝雄から聞いた話をすべて聞かせた。
猪ノ介は黙ってその話を聞いていたが、和人が話し終えると、少し考え込むように視線を落としてから和人の顔を見て言った。
「それでは和人くんは、刀悟が最終的に作り上げる刀は、これほどの禍々しさを持つ刀にはならないと思うのかね」
「そうであって欲しいですが、少し違うかもしれません」
「違うとは?」
「時王は、刀悟に語り掛けてくるほどの怨念ともいえるような想念を内に秘めていたため、それが漏れ出して俺たちが妖気に感じたんだと思いますが、作刀したのは刀鍛冶としての経験が長い真崎時常です。しかも、彼の時王に込めた想念は、その時が来た時に初めて発現すれば良いと時常は考えていました。つまり、優れた作刀技術を持った者が造った刀だから、極力、時が来るまではその想念が刀の内側に籠るように作刀することができたのではないかと考えています。それに対し、刀悟にはまだそこまでの技術はないので、込めようとした想念が刀の表面にとどまり、周りに発散し続けているのではないかと思います。だから、それぞれの刀が持つ想念は、実は、まだ、時王の方がかなり上回っているのではないでしょうか」
猪ノ介は、その言葉の意味を考えるかのように眉間に皺を寄せて押し黙ったままだった。和人は続けた。
「しかし、最終的に刀悟が造る刀は時王に対抗出るものでなくてはなりません。だから、この刀よりももっと禍々しい気を内包したものとなる可能性が高いです。ただ、時王と同じように、必要な時が来るまでは、その気を内に秘めて外には極力漏らさないものとなると思われます。時王に対抗し得るほどの想念を込めることができていなかったのと、その想念が漏れ続けていたのが、刀悟がこの刀に不満だった最大の理由ではないでしょうか。さらに希望的に推測するなら、禍々しい気ではないものを内包したうえで時王に対抗しうるものになる可能性もあると思います」
和人が話し終わっても、猪ノ介はしばらく黙ったままだったが、ゆっくりと顔を上げて和人を見てから言った。
「なるほど、そうか。その話には説得力があるね。まあ、悪い方に考えても私たちにはどうしようもないんだから、とにかく待つしかないがね」
和人は、その寂しそうな猪ノ介の表情から、息子を想う父親の姿を感じ取り、何も言うことができなかった。
「ただ、和人くん、この刀はやはり人目に触れさせるべきものではないだろう。私が預かって、誰の目にも触れないように保管しておこうと思うが、いいかね?」
「そうですか。そうしていただけると助かります。正直、俺はこの刀を持て余して、どうしたものかと考えあぐねていましたから」
和人は、心底安堵する思いでそう答えた。




