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二刀物語 第一部『無を切る音』  作者: 伊部 九郎
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第五章 決意 その3

「親父、坂口さんから話は聞いただろう。あの人がいれば俺は成し遂げられると感じている」

 その日の夜、猪ノ介が自室で古美術商の会合の資料をまとめている時に刀悟が現れた。猪ノ介が座ったまま振り返った瞬間、刀悟は、挑むような口調で猪ノ介にそう言ったが、その眼に大きな決意が宿っているのが猪ノ介にははっきりと感じ取れた。

「だから、もう、俺のやろうとしていることに反対しないでくれ。これは俺の使命なんだ。俺はこれを成し遂げなければいけないんだ」

 刀悟は、強い口調でさらに言い募った。

「なにが使命だ。お前は自分で何を言っているのかわかっているのか。そんな、理解できない理由では到底許可できないぞ」

 猪ノ介は、刀悟の最近の様子から、その「使命」というものが頭では理解できないながら、本能的には正当な理由であるように感じていたので、そのギャップにとまどい、刀悟の求めを許可することができないでいた。

「親父、これほど言ってもわからないか。これを俺が成し遂げなければ、大きな災禍が巻き起こるんだ」

 刀悟は、謎めいた言葉を吐いた。

「なんだそれは。なぜそんなことが言いきれる。お前は、一体どうしてしまったというんだ」

 その言葉を聞いた瞬間に、猪ノ介の中にあった、これを許可すると刀悟の身に良からぬことが起こるという、もう一つの思いが頭をよぎった。

 刀悟は、猪ノ介の顔を挑むような表情で、無言で凝視していた。

「とにかく、話は終わりだ!ダメなものはダメだ!」

 猪ノ介はそう言うと、刀悟に背中を向けて資料の整理に戻った。

 刀悟は、しばらくそのまま猪ノ介の背中を見つめていたが、回れ右をすると大きな足音を立てながら自室に戻って行った。



 その押し問答があってから数日後、時王の素性を語った伊藤老人から猪ノ介に電話がかかってきた。

「2か月ほど前にお宅にお邪魔した伊藤と申しますが、覚えていらっしゃいますでしょうか」

 そう言った伊藤の声は、かなり力のないか細いものだった。

「もちろんですとも。その節は貴重なお話をありがとうございました。あの時は、お話の内容に興奮してしまってご連絡先を聞き忘れてしまいました。お電話をいただけて良かったです」

 そこで、しばらく沈黙が流れた。


「私は以前から大きな病気を患っていたんですが、それが悪化いたしまして、数日前に医者から余命は3か月だと宣告されました」

 猪ノ介は、それを聞いて言葉を失った。伊藤はさらに続けた。

「実は、先日お邪魔した時にはお話ししない方がよいと思って黙っていたことがありましたが、このまま墓の中まで持って行くのは心残りだという思いが強くなったものですから、お電話を差し上げた次第です」

「それは、いったいどのような・・・」

「はい、実は、あの話にはもう少し続きがあるのです」

「続き?」

「しかも二つです」

 そう言ってから伊藤はしばらく沈黙した後、話し始めた。


「実は、あの文献にはもう一つ書かれていたことがあるのです」

 猪ノ介は、直感的に、何かとてつもなく大変な話を聞かされるのではないかと感じて体に緊張が走った。

「その文献には真崎時常が語ったこととして、『時王が出来上がったときに、私は思い通りのものが造れたと思った。しかし、昨日、久しぶりに城外に出て街中を歩いてみたところ、人々の変わりように迷いが出た。

 細川家に身を寄せるようになった頃は、街中でも殺気立ってる者や、何かを警戒しているような者が結構見うけられたが、昨日は、どこへ行っても町民たちは生活感にあふれ、幸せそうな顔をしていた。それは、信長様が天下を争っていた戦国時代には決して見ることのできなかった顔だった。そしてそれは、信長様が目指していた平和の世であるとも私は感じた。そう感じたとき、このまま庶民が幸せであることが一番であると思い直し、もう、このままの世で良いのかもしれないという気持ちになった。

 しかしながら、いつの日か織田家の血を引く方が信長様の無念を晴らし、今度こそ天下をとって欲しいという思いもまた消えることはない。明智光秀などにお命を奪われ、百姓上がりの藤吉郎などに天下をとられ、それを徳川に奪われたままでは私の気持ちもそうだが、信長様の無念はこの世から消えることはないと思うのだ。ただ、今あるのは、天下をとった上でこのような平和な世を実現して欲しいという思いだ。そして、遠い未来に織田家が天下をとる上で私の造った時王が必ず大きな役割を果たすと信じている。

 しかし、私の心は戦乱の世のままであった。戦乱の時代の心で作られた時王は、今の時代には似つかわしくない面を含んでいると感じる。再び戦乱の世が訪れたときに時王が戦場に出ると、その内に込めた恐るべき力が発現し、真の姿を現して多くの血が流れ、また民に大いなる不幸をもたらすであろう。私は今、何者かの手によってその時に時王を押しとどめてほしいと感じている。そして、必ずやそうなるであろうと確信している』と書かれてあったのです」


 猪ノ介は、その話に非常に驚いたが、伊藤はさらに話を続けた。

「そしてさらに、その文献を見つけた十年ほどあとに、明治初期に書かれた別の文献が見つかり、そこにはこう書かれてあったのです。

 江戸末期、真崎家の伝記の存在を知らない強い霊力を持つと言われた一人の宮司がたまたま時王を手にする機会があり、『この刀は、未来に来るであろう戦乱の世に本来の姿を現すが、その時、別の者が造った刀が現れてこの刀の力を押しとどめ、戦乱の世を落ち着かせるであろう。その者が造った刀は、平和な世にはその姿を決して人前に現すことはないが、時を得ると出現し、大いなる力を発揮するであろう。ただ、その出会い方によっては、二つの刀の力が相乗効果を発揮して、大いなる破壊をもたらすこともあり得る』という預言を残した、と」

 猪ノ介はさらに驚いたが、なぜか納得のいく話である気がした。

「そして私は刀悟さんを見たときに感じたのです。この方は、時王と何かしらの因縁を持つ人になるだろうと」

 そこまで話すと伊藤は沈黙した。


 猪ノ介は、伊藤に確認すべく問いかけた。

「それでは、伊藤さんは刀悟がその刀を造る者であると考えておられるのですか?」

 伊藤が返答するまでに少し時間がかかった。

「それは分かりません。しかし、私は彼の姿を見たとき、特に時王を持ったときに強く何かを成し遂げる人だと感じました」

 猪ノ介は、どう答えていいかわからずに、そのまま受話器を持ったまま押し黙っていた。

「今度こそ、お話はこれですべてです。あなたにお話ししたことですっきりしました。もう、思い残すことはありません」

「すみません、連絡先を教えていただけませんか」

「私の方が一方的にはしゃべって失礼だとは思いますが、もう、これ以上お話することはありませんので、私はこれで消えることにします。それでは、失礼します」

 そう言って電話は切られた。

「あ、伊藤さん!」

 猪ノ介は思わず叫んだが、すでに遅かった。

 猪ノ介は、受話器を戻したあと、しばらくその場に立ち尽くして考え込んでいた。


 猪ノ介は、次の日の夜までそのことが頭を離れなかったため、まったく仕事に身が入らず、急ぎの仕事が少しもはかどらなかった。

 しかし、その夜には考えがまとまり、刀悟の部屋を訪れて作刀を許可することを伝えた。

「親父、わかってくれたか!」

 許可する言葉を伝えられた時、刀悟は嬉しそうにそう言った。

 しかし、猪ノ介は、難しい顔をしたまま刀悟にこう言った。

「まだ、お前の話をすべて信じたわけではない。しかし、同時に、まったくの嘘でもないと感じている。そして、もし、いつの日か時王がこの世に大きな災厄をもたらす存在となるのであれば、それはぜひとも止めるべきであり、自分の息子がその止める役割を与えられた者であるなら、その役割を妨害すべきではないと考えた。だが、同時に、お前の身に良からぬことが起こるという胸騒ぎもしているのだ。だから、今までは許可を出せなかった。体力があるからと言って決して慢心はするな」

「親父の心配はわかった。なるべく注意することにするよ」

 刀悟はそう答えたが、その声のトーンから、自分の体のことはさほど重要視していないのは明白だった。

「これは和人くんの心配でもあるんだからな。そこを忘れるな」

「和人が?・・・」

 刀悟は、その言葉に少し心を動かされたようだった。猪ノ介は、実の父親よりも友人の言葉の方が重要か、と、少し残念な思いがした。

 しかし、本当に刀悟のことを心配している和人に比べ、自分が刀悟に許可を出した本音としては、再び戦乱の世となったときに、それを抑えるのに自分が一役買ったというのもなかなかに男冥利に尽きるものがあるではないか、という思いだったので、それを見透かされているような気分でもあった。


 猪ノ介は、その思いを心に秘めたまま和人に、刀悟に作刀を許可した旨を伝えた。刀悟の情熱に根負けしたのと、本当に刀悟がなにか途方もないものを造れるような気がしてきたからとの理由を伝えて。

 しかし同時に、「何か良からぬことが刀悟の身に起こりそうであるということも実際に感じているから、どうか彼を見守っていて欲しい。私の言うことなどもう聞きはしないが、親友の和人くんの言葉であれば少しは耳を傾けるであろうから」との言葉も伝えた。


 それから刀悟は、刀を造るために仕事を辞めて、時王が初めて披露された山梨の別荘の脇に作業場として小さな小屋を建てて坂口と籠った。資金は、子供のころから誕生日ごとに猪ノ介から贈られていた骨董品を処分して得ていた。かなり値の張るものも含まれていたので、小屋の建築費と、少なくとも5年分の生活費にはなる金額であった。

 出立にあたって、坂口は店の仕事を放り出して申し訳ありませんと言ったが、猪ノ介は、それはいいから、刀悟の身に良からぬことが起こらぬように見守ってくれと坂口にお願いした。


 猪ノ介の心配と同じく、和人にも刀悟の身に何か良からぬことが起こるのではないかという嫌な感じがあったので、小屋に籠る直前に、時々は様子を見に行きたいと刀悟に言ってみたが、刀悟からは、気を散らされたくないから決して来るなと言われた。そのため、それ以降、刀悟と直接会うことはできなくなってしまった。

 ただ、猪ノ介が心配して、月に1回は食料や衣類を店の使用人に届けさせていたので、1年後も刀悟が元気であることは伝え聞いていた。

 しかし、元気ではあるが、徐々にギラギラと近寄りがたい殺気立った雰囲気を身につけるようになっているとも聞いて、不安が余計に増していくのであった。


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