ドッペルゲンガー
初めまして、作者の時雨エルです。
このサイトを利用するのは初めてなのですが、作品を読んでいくと読みやすい作品がずらっと並び良い刺激になりました。
私の作品は、そんな作品達と比べると、少々読みにくいものとなっているかも知れません。
ですが、自信を持って書かせていただきますのでどうかご拝読の程よろしくお願い致します。
そこは地獄であった。
殆どの光を吸収してしまうというベンタブラックで全面を塗装された部屋の中、自我を保たんとひたすらに耐える人間達。病衣を纏った彼らは皆、自分から拘束具に身を委ねていた。
己が己を見失わない為に。自分と、何処かの誰かを二度と傷付けることがないように。
呻き声と金属の擦れる不快な音。それが続く限り、自分であり続けることが出来ると必死にもがいていた。
そんな彼らと同じ境遇にありながら、冷めた目で見つめるだけの俺は果たして――。
アスファルトを打ち付け続ける雫の音。止まず振り続けて、もう、何日目だろうか。曜日感覚も曖昧になってきた。
「そろそろ、備蓄も尽きるな……」
冷蔵庫は空で、後は床下倉庫の菓子類位。流石に買出しに行かないとまずいか。といっても、外出するのも面倒だ。
「……仕方ない、行くか」
強制的なニート生活で凝りきった体を軽く伸ばして遮光ゴーグルをかけると、視界の明度が僅かに落ちた。
こんなものに頼る生活は、いつまで続くのだろうか。
玄関を開ければ、予想通りの雨模様。予想通りというのは、我が家には窓が無い為に外を見る手段が無いからだ。
ま、このご時世窓がある建物なんて役所など重要施設だけだが。
水音を鳴らしながら歩けば、チラホラと同様のゴーグルをかけた人影が見かけられた。皆、食料が切れたのだろう。
「今日も今日とて、皆様姿勢が宜しいことで」
視線は地平線よりやや上に、絶対に足下は見ない。例え転んだとしても、彼らは上を見続けるだろう。
そういう、暗黙の了解だ。雨天時は特に。
呟いた皮肉は雨音に掻き消える。
徒歩五分で最寄りのスーパーへ到着。
「流石に高いな……足下見やがって」
全体的に値段が上がっている。生鮮食品だけではなく、調味料や日用品まで全て、前回の買出しの時と比べて一割は高い。
こうも雨が続けば仕方が無いのだろう。外出を控えなければ行けない以上、客も減るのだ。
取り敢えず今は、米と不足している調味料を買えばいいか。
「それと、鮭フレークと納豆位買ってくか」
具無しバターライスばかりも飽きるしな。ちょっとした贅沢だ。生鮮食品コーナーは、決死のオバサマがたが戦争を繰り広げていたのでスルー。一割引きのタイムセールだからだろうが、雨さえ上がればそれが普通の値段になるというのに。タイムセールという言葉には魔力があるのだろうか。
「おい、スガタ」
買い物を終え、帰路に着こうとした時であった。自分の名前を呼ばれて振り返る。
「ん……ヤナギか」
声をかけてきたのは、友人の柳将慶だ。友人といっても、歳は十と幾つか離れているのだが。彼もまた、買出しに来ていたのだろう。
「久しいな、二週間ぶりか?」
「梅雨入りしたのがそれくらい前だから、それくらいだろ」
「だな、今日で丁度二週間だ」
「よく覚えてるな、俺は曜日感覚すらさっぱりだ」
白髪も見え始める程度の年齢。確かそろそろ不惑を迎えるはずの彼は、両手合わせて四つの買い物袋を持っていた。
「買いすぎだろ、てかよく持てるなそれ」
「ああ、丁度色々尽きてしまったからな」
軽くダンベルのように持ち上げて見せる。生鮮食品も買い込んでるようだから、相当重いはずなのだがそれを感じさせない。
「流石元傭兵」
「傭兵じゃない、ただの警備員だ」
彼は警備会社に務めていた元警備員だ。どうやら何かしらの武術の段位も持ってるらしく、それに見合った大男である。
「ま、かなり衰えちまったがな……そういうお前は少ねぇな」
「俺は米とちょっとしたおかずがありゃいいんでね」
鮭フレークと納豆は至高。これだけで何杯でもいける。佃煮のりもあれば最高だったが、贅沢はしないのだ。
「そんなんじゃますますガリガリになるぞ」
「ヤナギが買いすぎなだけだ、俺はこれで充分なんだよ」
あれだけの量も一週間持たないんだろうな。よく太らないものだ、それだけ筋肉に変えているということか。
「ところでヤナギ、今日も行くのか」
「日課だからな、欠かす事は出来ない」
ということは、梅雨の中毎日行っていたのだろうか。
「そうか、俺もついていっていいか」
「構わん」
今にも語りだしそうな大きな背中を追いかける。気がつけば雨は上がりつつあった。
雲の隙間から夕陽が差し込み、水滴が茜色に煌めく。なんともロマンチックな光景だが、俺とヤナギは顔を見合わせた。
「こりゃ、一人二人は死ぬかね?」
「どうだろうな、ゴーグルをつけ忘れる馬鹿じゃなければそんな事はないだろうが……」
お互いに遮光ゴーグルを触り、軽いズレを修正する。このゴーグルは、己を見失わない為の生命線のようなものだ。
その効果は、『特定条件の反射光を完全にカットする』というもの。例えば、水面だとか窓ガラス、鏡なんかからの反射光は完全にカットされる。簡単に言えば、これをつけていれば鏡を使うことが出来なくなるのだ。
そして、このゴーグルは雨天時の着用を義務付けられている。これを破ると、罰金や罰則が発生することもある。
「まぁ、ここ最近は"ダブル"の目撃も減ってきてるしな」
「毎日それを見に行ってる奇特な奴も居るけどな」
「スガタには言われたくないがな……着いたぞ」
「今日はここなのか、珍しいパターンだな」
目的地に着き、ヤナギが買い物袋を下ろす。
ここは住宅街の中にある寂れた公園。危険だからと様々な遊具が理不尽に撤去され、子供が老人に追い出されて結局何も残らなかった公園。あるのは砂場とベンチ、ブランコの本体部分だけ。辛うじて公園だとわかるものしか残っていなかった。
その公園の真ん中に、一人の女性が立っている。ヤナギはその女性を見やると、ベンチに腰掛けて煙草を咥えた。
「火、着けないのか」
「アイツは煙草が嫌いだったんだよ」
咥えるだけ、火はつけない。佇む女性は空を仰いで微笑している。ヤナギは買い物袋から缶コーヒーを二つ取り出して、一つをこちらに投げ渡した。
煙草をケースに戻す。
「もう、十年か」
「そうだな……やっと、やっと落ち着いてきたのかもな」
プシッと気持ちのいい音が二つ鳴る。
「……微糖かよ」
「俺は甘党なんだよ、文句言うな」
甘さとほろ苦さ。ヤナギは微動だにしない女性をただ見つめていた。
「美鈴はさ、無糖が好きだったんだ」
「へぇ、話では子供っぽい人だったのに」
「ああ、そこだけは大人というかな……缶コーヒーの微糖なんて砂糖液って言いやがってさ」
それは同意だ。微糖と銘打ってるのに甘過ぎる缶コーヒーに何度騙されてきたことか。
「ま、そんなところも魅力だったんだけどな」
「惚気けるね……てか無糖買ってたのかよ」
「これはアイツ用だ」
立ち上がって、佇む女性の隣に立つヤナギ。無糖の缶コーヒーを空けると、一気に飲み干した。
「……やっぱりにげぇよ、美鈴」
美鈴と呼ばれた女性は、微動だにしない。そこに意思は無いのだから当然だ。
ヤナギが振り向く。その表情は憎愛が入り交じって今にも崩壊してしまいそうだった。
「なぁ、スガタ……どうして世界ってやつはさッ!」
ヤナギの右腕が空を切る。横凪にされたそれは、"美鈴"をすり抜けただけだった。
「……こんなにも、優しくないんだろうな」
俺は何も言えず、変わらず佇むだけの女性を見ることしか出来なかった。視界の端で、ヤナギの右腕が力なく垂れ下がる。
「……ダブルってなんなんだろうな、ほんと」
「さあな、幽霊だとか残留思念だとか、そんなことじゃない」
「何の為に、か……」
"ダブル"。何処かの誰かの姿を模した、鏡像。正式名称はドッペルゲンガー……もう一人の自分。
十年程前に突如として頻発し始めた超常現象だ。何の前触れも無く発生し始めたそれは、最初こそ面白がったメディアが挙って取り上げていた。その伝承が現実になるまでは。
――ドッペルゲンガーと出会った人間は、近いうちに命を落とす。
事の発端はフランス。そこから徐々に世界各地で目撃が増え、出会った人間は例外なく変死体となって発見されている。
日本でもそれは例外でなく、医学的には心筋梗塞として処理されていたが、被害者のSNS等からダブルを目撃したという情報が伺えた。
だが、科学的に不審死とダブルを結びつける事は叶わず、原因不明なまま被害者は増え続けたのだ。
「俺は"コイツ"を許せない……だが、怨みきることも出来ちゃいねぇ」
無糖の缶コーヒー。"柳美鈴"が好きだったというそれを、そのダブルの側で飲み干す"柳将慶"。ノスタルジーに、二人は陽光を浴びている。
「なぁ、スガタ……お前は、どうなんだ」
その問に、俺は何も答える事は出来なかった。
ヤナギと公園で別れて数刻。彼はまだ、火のついていない煙草を咥えているのだろう。
それが日課であり、贖罪であると彼は言う。警備会社に所属しながらも、すぐ隣の大切な人すら護れなかったことの、せめてもの償いであると。
自己満足と言ってしまえばそれ迄だが、例えそう言われたところで、美鈴のダブルの隣で無糖の缶コーヒーを苦い表情で飲み干すのだろう。
では、俺はどうなのか。ヤナギの問が脳内で反響する。
俺の双子の妹は、漆間見智はダブルによる副次災害によって死んだ。
「いや、それは逃避か」
副次災害であると世論は言う。しかし、それは紛れもなく殺人であったし、例え自己防衛であったとしても許される行為ではない。
この手で、この右手で俺は双子の片割れを刺殺したのだ。
ドッペルゲンガーの頻発により日常的に精神的な負荷を抱えた人間が、自らに似た人間と出逢った際に発狂して殺傷事件を起こした、双子狩りと通称される一連の事件。
その、被害者であり加害者が俺だ。発狂して襲いかかってきた妹を、俺がこの手で――。
「……駄目だ、考えてはいけない」
ネガティブスパイラルに陥りそうになり、思考を止める。右手の震えを無理やり止めて、俺は自宅の扉を開こうと手を伸ばす。
が、どうやら郵便受けに何か入っているらしい。取り出してみると、綺麗な紋様が描かれた便箋に可愛らしい花のシールでとめられている。裏には『漆間姿様へ』とだけ書かれていて、差出人は不明である。
「雨上がり直ぐに投函、ね」
通常、雨天時の郵便配達は余程重要でない限り中止される。それは、双子狩りを受けて鏡像に対する警戒から郵便局で取り入れられたルールである。そも、政府からも推奨されていない。
極端であるが、水たまりに映った自分の姿に発狂する事例もあったからだ。それほど迄に、ダブルの恐怖は根強いものだった。
「不審だな……」
その為、雨が上がり次第配達が行われるということは無く、ある程度乾いてから配達されるのだ。つまり、この便箋は配達されたものでなく、誰かが投函していったものということになる。
使われている便箋は高級なものだろうし、真逆カッターの刃が仕掛けられてるってことはないと思うのだが。
「まぁいい、後で開くか……」
一応、ゴム手袋位はめとくか。
取り敢えず、飯炊こう……明日からはゴーグル無しで外に出れるだろうから、きっと気分も晴れるさ。
気持ちを切り替えて、自宅の扉を開いた。今日は納豆で食べよう、そんなことを考えながら。
「お帰りなさい、兄さん」
鮭フレークの瓶が、鈍い音をたてて割れる。
そこにいたのは、俺が殺したはずの妹そのものだった。
本題まで辿り着けず……長過ぎても読みにくいと思いますので、1度ここら辺で。