00-1
持ち物にはその人の個性が現れる。
と、桜子は思ってる。
病弱な父を抱え、仕事がらみの引越しが多い桜子は出来るだけ壊れやすいものや執着しそうなものは持たないようにしているし、この部屋の新たな主が少々ねじ曲がった愛情を中央に積まれた沢山の茶色い段ボールの山からの無言で主張しているのがそのいい例だ。
引越し会社の動物キャラクターが可愛いポーズをとった特大サイズの箱の大半を占めるであろう中身を桜子は知っている。多分直人も知ってる。知っているから、治療中の怪我を理由に直人は部屋の隅に置いた椅子の上で傍観者を決め込んでいるし、桜子は近所のコンビニまでのお使いをすすんで請け負った。
「人形使い?ないわーない、ない」
玄関を開けたとたん、ベランダから吹き抜けていく心地よい風とともに響く直人の否定の言葉に、その奥でガムテープをひたすら剥ぎ続けていた智也が手を止め無言でその意味を求めていた。
「そうねー。人形はアイテムの種類の一つだからー。本当はー、玩具使いとか言ってもらえるのが正しいとー私は思うのー」
直人の向かい、未だに散らかったままの室内に置かれた猫足の高そうな椅子に座わる、明るめのくるくると人形のように巻かれた髪をふわふわと揺らし、ピンクと白のフリフリのいわるゆロリータファッションに身を包んだ少女に見える人がフフフと笑う後ろ姿は絵本の中のお人形のように可愛らしい。その話の内容は別として。
「あー……玩具って……紗菜さんが言うと普通の子供向けの単語でも卑猥に聞こえるのはなぜ?……しかし、やっぱり人形系が多くなるのは人形のほうが操りやすかったりするからですか?」
遥香の帰宅に気がついたであろう直人が、一瞬その表情をゆるめ、視線でおかえりなさいと言ってきた。普段は口が悪いくせに、距離感があって話さないときに限って優しい素振りを見せてくる直人が遥香は少し苦手だ。
「んー。人の形という利点もあるけどー、関節が多いと細かい動作とかねー楽なのよー。特に球体関節はいいわねー。あらぬ方にも曲げられるー」
「あー。球体関節人形ですかー」
「俺にとっては、お前ら二人の会話がまずもってあり得ねぇ。何で直人がそんな事に詳しいんだよ」
妙に納得し合う二人の声に桜子が思った事そのままを智也が言葉にして投げつける。
「あ、K.K内の沼友にドールオタクの人が居るから。特に目の前の人」
「何だよ、沼友って……」
呆れ返るどころか全くもって理解出来ないと更に重ねる智也に親近感さえ感じるほど、桜子も全くもって理解出来ていない。
「沼にはまったみたいにレンズを買い集めるレンズ沼のお仲間。でも、僕はどちらかと言えばボディを買い集めるボディ沼」
「あらぁー。私だってレンズ沼っていうよりはドール沼にどっぷりずっぷりー。お雛様の段飾りー、60cmドールでいくつ作れるのかしらー」
智也の言葉に答えているのか、それとも答えるつもりがないのかわからない直人と紗菜の言葉に智也の頭にクエスチョンが並んだような気がしたのは気のせいではないと確信できる。
「ソフビのも好きなんだけどー、私が使うのはーほどほどの重量感があるキャスト製の球体関節人形なのよーん。そーすると、やっぱり括りはフィギュアかしらー?」
「えー、大きさが、大きさだからなー。確かに最近関節が稼働するフィギュアも多いですけどねー」
相変わらず続けられる恐らくはマニアックなだけの会話に、理解を諦めたのか智也がいそいそと荷物の片付けの続きをはじめた。
「やっぱり、お前らが言ってること、これっぽっちも理解できねー。宇宙語か?お前ら宇宙語話してるのか?!」
段ボールの中から出された白くて長細い形状の段ボール箱を働き蟻の様にいそいそと持ち上げてはどこかにしまっていた様子の智也がついに現実逃避のような独り言を発し始める。
「宇宙語?なにそれ?」
「あらー、智也君はせっかくイケメンさんなのに電波系なのー?」
「たっ、たっ……ただいまかえりましたー」
余りにも智也が可哀想に思えたのと、さすがにいつまでも玄関先に突っ立っていてもいられないと、大声で帰宅を主張した桜子は靴を脱いだ。
「あ、桜子ちゃんおかえりっ!いやもう、帰ってきただけで嬉しい。こいつら宇宙語話して俺をいじめてくるんだよ」
常日頃の無表情さが災いしてほとんどダメージを受けてなさそうな智也だが、いつもに比べてよくしゃべる。よほどのダメージだったのだろう。
「大丈夫です。玄関先で聞いてましたが私も全然理解出来てません!紗菜さんも直人君も悪のりしないの!」
コンビニの袋から取りだしたペットボトルでコツンと頭を叩くと直人が大袈裟に「いてっ」っと言ってペットボトルを受け取る。
「ごめん、ごめんー。桜姫のお嬢さーん、買い出しーありがとうー!」
歴だけならばこのメンバーで一番長いとは言え多分年下である桜子のお小言にニコニコ笑うだけの紗菜はペットボトルとストローを受けとると桜子が持つビニール袋から炭酸飲料をするりと取りだしポイと智也に投げ渡した。
「で、イベントで買い込み過ぎて、作ってない山がこれですか?」
「あ、それはあっちー。こっちはコンプレッサーよー。メイク用に使う華奢な機械だからー、レディを扱うみたいにねー」
一口ペットボトルに口を付けたあと、あっちと言われた箱に手を伸ばし移動させ始めた直人の隣、
「重っ!!これを優しく運べとか無理無理無理」
投げられたペットボトルの蓋を開ける事を躊躇った智也が、桜子に持っててと再度投げ渡し、こっちと呼ばれた箱を持ち上げ呻いた。
目の前の光景は至って普通の引越し……とは言い難い面もあるがそれを個性の範囲とすれば普通の引越しだ。
今までのそう長くない人生で桜子は数えきれないほどの引越しをしてきた。
桜子は諸事情により、〈センター〉と呼ばれる国の組織で幼い子供の頃から働いている。
目の前でいそいそと引越しの手伝いをしているのは職場の同僚であり、お人形の様な後ろ姿の人物は今回の転勤で職場の直属の上司となる人だ。
〈センター〉は、八百万の神々の末席に座する、人間が生み出した姫神様達に使える人々とその縁者が多く席を置く組織で、桜子は縁者であり、この部屋の他のメンバーは神使様の下部。
なーんて話せばみんな、何中二病を拗らせてるの?って顔をするだろうが、今は第一線からは退いたものの桜子だって命掛けの任務に何度も携わった。
追い詰められる感覚。命を奪う感覚は決して幻なんかじゃないし、忘れられないものだ。
明るい日差しの下、ここにいるのはみんな、そんな日陰の非日常に身を置いて日常を生きる闇を知る者たちだ。
「で、裕子さんの言ってた噂の兄妹はー?」
一向に減ることのない箱をとりあえずクローゼットにしまう智也とそれをやっと手伝い始めた直人を見つつ、桜子に直人が先ほどまで座っていた椅子を勧めた紗菜がくるりとした長い睫毛をはためかせ、小首をことりと傾げたずねてくる。
「あー。今日は遥香ちゃんのピアノの発表会なんで、二人ともこれないそうですよ?」
「ええぇぇぇー」
桜子の言葉に、両手を口元に当て信じられないわといった感じで驚いて見せる少女に直人が心底嫌そうな表情をみせた。
「ないわー。ない。その反応はないわー。今日会えなくても、そのうち事務所に嫌でも挨拶しに伺いますから」
「嫌なんだー?」
かわいらしい素振りに似合わぬ、地を這うような紗菜の野太い声に
「いや、いや、嫌じゃないですよ、嫌じゃ」
と直人が必死に否定する。
そんな少し日常的な非日常の光景の中、ふわりと付けられたばかりのレースのカーテンが爽やかな風を室内へと招き入れた。
まだ梅雨明け前なのに、日中の日差しは時折夏を思わせる。
今週中には梅雨明けするかもしれないと朝のニュースもいっていたはずだ。
「なぁ?なんで、フリフリの服の間に男物のスーツがあんだよ?あぁ?彼氏かよ?彼氏がいるのかよ?!!そいつに手伝わせばいいんじゃないか?」
しまいきれない白い箱を抱えクローゼットを暫く漁っていた無表情な智也が不満な言葉を露骨に表にだすのが聞こえると、すぐに直人が水風船が割れたかのような笑いを見せた。
「あ、それ、多分紗菜さんのですよ」
「は?」
珍しく戦闘でもないのに分りやすい驚きの表情を見せた智也に直人はひーひー笑いなが説明する。
「紗菜さん男の娘なんです」
「はぁ?男の子ぉ?」
こいつ女だろ?と視線で智也が桜子に問いかけてきたが、桜子は苦笑いしか返せない。
色々と知っていても、だ。
「知らないんですか?ないわー。マジない。……だーかーらー。男に娘と書いて男の娘!女装男子なんですよ、紗菜さんは!ちなみに伊佐奈さんがスーツ姿の時のお名前なので間違えないように。お仕事姿はスーツがビッシリ決まってて、そりゃあ格好いいですよー」
肋骨に響くのに笑いが止まらないとの目尻に涙まで浮かべはしゃぐ直人の言葉を少し遅れて理解したと思われる智也が絶叫するのを桜子は初めて聞いた。
「え?こいつ付いてるの?!!」
パシコーン!!!
「おらぁ、乙女の前で付いてるとか言うなぁー!!」
智也の絶叫と共に降り下ろされたペットボトルの生み出す鉄拳の軌跡が美しいな……と視線で追いつつ、聞こえたような気がした美少女の声とはおもえぬ野太い声を桜子はさらりと無視をした。
「昨日の、ちょっと疲れたんですよ」
直人が智也の頭を水滴がついたペットボトルで冷やしながら、昨日帝都に出かけていたことを伝える。ペットボトルって以外と使える奴なのね……とか思わず思ってしまう。
ちなみに今回は桜子も連絡を貰っていた。というかここ数週間はきちんと直人自身か杏子から行動指示と共に事前連絡が入るようになった。良くも悪くも。
「あぁ、東帝都の集団幻覚騒ぎー?あれ、君達が担当だったんだー?」
楽しい玩具を見つけたように紗菜がニンマリ笑う。
「だから、俺達疲れてんだ……」
「ぬるい……」
昨日の今日で体調が万全ではないと主張しようとする智也の言葉を紗菜が野太い声で遮った。
「へ?」
何が起きたのかわからない智也と何が起きるのか予想がついた直人の動きが止まる。ちなみに桜子は直人と同じだ。
「たかがあのレベルの災厄騒ぎであの対応。ぬるすぎるわっ!」
「は?」
智也の場に似合わぬ声がむなしく響く。
うん、私も前はそうだったよ、智也君、ファイト!
と声にも態度にも出さない気持ちだけの応援くらいは桜子だって気前よくする。
「もっと早い時点で隔離すればあんなに騒ぎにならなかったのでは?その上、元凶にも逃げられたとか、何甘えた事いってんだ」
「口調が変わった……」
紗菜を指差し、目を白黒させつつ桜子にたずねる智也に相変わらず桜子は苦笑いしか返せない。
「確かにそうです」
紗菜の叱咤の直後から急に真面目モードに入って反省を始める直人に訳がわからないと頭をがしりとかいたあと、智也は直人に改めて小声で聞いた。
「直人は……その……伊佐奈さん……紗菜さんと一緒に仕事を組んだ事あるんだよな?」
「うん。智也が春先、地方に駆り出されてる時、遅れた研修ってことで」
智也は見た目以上に規格外だからって。
桜子と同じような苦笑いしか見せない直人に智也はその動物的ともとれる本能で何かを察したらしい。無表情なりに苦虫を噛んだかのような動揺をみせる。
「桜姫のお嬢さんも一緒にねー」
先ほどまでの尖った口調が幻覚のように感じられる、風に揺れる風鈴のように笑う紗菜の声がそろそろ扇風機くらい欲しいかなと思わせる室内に響いた。
片付けても片付けても段ボールから増殖してくる白い箱をなんとか全てクローゼットと押し入れにしまいこみ、空箱を畳みゴミ捨て場に移動させると乱雑で狭く感じでいた室内が一気に落ち着いた広がりをみせた。素人ではどうにもできない既に定位置に置かれた家具は紗菜の服装に似合う細かい細工が美しいものばかりで、こんな部屋で杏子とお茶ができたらいいのになーと思うほどだった。
「とりあえずー、これだけしまったらー、ご飯、食べに行きましょー?」
紗菜がその足元に最後まで残った大きな箱を指差した。人が一人入っても大丈夫そうな大きさの箱だ。
「げぇーーー。まだその箱、開けてなかった。重っ!何入ってんだよ」
がっくりしながら、箱の重さを確認し、中にまだ先程まで運んだ白い箱が入っているのかと判断したのか、箱のガムテープに手をかけた智也に
「あー。これは開けなくてもいいわー」
と珍しく紗菜が慌ててみせる。何かを察した直人が桜子の後ろに逃げてきた。
「なんでだよ。これもあの棚にしまうんだろ?」
「いいのよー。これはこのまま寝室でー、一個だからー」
止める紗菜の声が間に合わなかったのを声にならない智也の悲鳴という珍しいもので桜子と直人は知った。
「……なぁ、これ何?」
無表情から血の気が抜けても蒼白になるらしい。箱の中を覗きこんだ智也の唇はそうと見えないだけで少しは震えているかも知れない。
「1/1サイズのお人形ー。驚いたー?」
ニコニコ笑う紗菜が無言で圧迫をかけてくる。運よく桜子の所からは布の塊しか見えないがリボンとレースと花が彩るそれは……。
「紗菜さんのお洋服に似てますね……」
絶句しなかった自分を誉めていいだろう。
「うん。可愛いでしょー。そうだ、顔も見てみるー?可愛いのよー?」
「いえいえいえいえ」
もともと見せる気は無だろうし、こちらも遠慮することをわかっていて勧めてくるのだから、本当に紗菜は悪のりが好きなのだろう。
けれど、だ。多分、だけれど、智也が先程の箱の中身を見たのは完全に事故だ。紗菜が最後まで足元に置いていたということはこの沢山の荷物の中で一番大切で、多分一番他人に触れられたくないものなのだろう。
これが紗菜の持ち物の真髄。顕著な個性の主張だ。
「ひょっとして、さ。俺がさっき運んでいた沢山の白い箱って……」
「みんな私のお人形さん達よー♪智也君だって最初に言ってたでしょー?人形使いの紗菜ってー」
今までで一番手際良く箱を閉めガムテープで固定した後、かくかくと首を回し紗菜にたずねる智也の方がよっぽど人形っぽい動きだった。
「噂だったし、直人が否定してたし……まさか、俺が運んでいたのがみんな人形だったとか……」
「大丈夫ー。普段鬼や災厄と戦ってるのにー、何を怖がってるのー。みんな最近の玩具だからー呪ったりしないわよー。優しく運んでいれば、だけどー」
最後に毒を込める紗菜らしい一言にその場は夏を思わせるものから一気に真冬へと雰囲気を変えた。
「ささ。ほら、直人君も手伝ってー、これ、寝室に移動させてくれるー?」
桜子の後ろからすごすごと現れた直人は閉められた箱のわずかな隙間でさえ決して見ないようにして、かなり重そうな箱を蒼白になった智也と共に無言で運んで行った。
「さてー。最後の大物も片付いたしー、ご飯にいきましょー!」
直人と智也に最後の一箱を運ばせた後、その部屋に鍵をかけ、満足気にリビングに戻ってきた紗菜はサイドテーブルに置かれたレースと花が可愛らしいバックを持つと、いそいそと戸締まりをはじめた。
「ええっ?!その格好で?!!」
若干血の気の戻ってきた智也の着替えないの?という問いかけの後ろ、今度は直人がこれでやっぱり出かけるのかと片手で頭を抱えつつ若干青ざめて突っ立ってる。
「何かー問題がー?」
くるりと周りつつ自らの服装チェックを兼ねてスカートをふわりと浮かせた紗菜の中ではこの服装はありきたりなものであり、外出に問題はないらしい。
「確かーこの辺にギガ盛りでー有名なお店があったはずー」
服装に対する若干とは言えない齟齬が発生している気がした。バックから取りだした携帯端末でいそいそと自分が行きたい店をK.Kで検索してきた紗菜がでーんと直人にそれを突きつける。
「あ、ポテトですか?あの大盛りで有名な」
聞こえた店名は桜子もいったことがある洋食店のものだった。ちなみにその時は写真部女子三人で二つの通常メニューを分けあっても厳しかった。
「そうそう!いくわよ!」
跳ねるように白い大理石の玄関に向かい、バックとお揃いのレースと花が可愛らしい靴を早速はきだした紗菜にみな慌ててついていく。食いっぱぐれだけは許せないのは年相応の行動だ。
「え?!あそこ、ここからじゃ、車じゃないと行けませんよ!しかもこの街、バスとかあんまり走ってないし……智也は今日バイクで来てるよね?」
智也と互いの顔を見つめたあと、直人が交通手段を問う。桜子だってあのふりひらな服装で自転車移動とか想像したくはない。
「誰が免許を持ってないとー?」
鍵をかけ終わった玄関前。でーんという形容詞が似合いそうなそぶりで取り出され掲げられた、これでもかとレースとリボンで飾られた免許証入れに入っている免許証の写真は目の前の人物そのままだ。
「さりげなく生年月日、指で隠してるし……」
鋭い智也のツッコミに再びペットボトルの鉄拳が降り下ろされるが智也はするりと何事も無かったように避けるし、紗菜もそれが当たり前だといわんばかりの満足そうな顔をみせた。
「だって偽装とかじゃない自前のなんですものー。実年がわかっちゃうでしょー?女の子の年齢を知りたがるのはノンノン!」
嫌味になんて決してならない品のいい女子力満載なポーズを取った紗菜を少し、いやほんの少し桜子は羨ましいと思ってしまった。この部屋にあの服装にあの仕草という女子力の高さ。分けてほしいとか切実にちょっぴり思った。
引っ越しはめんどくさそうだけど。
「女の子って」
「てか、その写真って……」
「いくわよー!」
紗菜が一癖二癖以上を持った男だとわかったのか、朝から比べ態度に遠慮も容赦も無くなった智也と、紗菜の姿が女の子の時だけは扱いを変える直人がそれぞれ免許証に指を指すが、さらりとそれをかわした紗菜はスキップをしつつエレベーターではなく階段を軽快に降りていく。
もうすぐ夏を向かい入れる青空の下、四人は駐車場に停められていた赤い人気スポーツカーと黒の高級セダンの間の紗菜のパステルカラーの国産車に転がり込んだ。
*****
「亡くなった方が蘇るぅ?」
思わずずりあかった声に直人がシッと人差し指をたてて桜子に注意を促した。
入り口にも外にも行列を抱え混み合った店内はざわついていて誰も聞いていないだろうし、そもそも、こんな会話を聞いたって普通の人はラノベの設定位にしか思わない。
桜子だって話していい状況位わかっている。
そもそも、そんな状況でなければ紗菜はこんな会話を許さない。
「姫神様だってそれは無理な話だろ?」
山盛りのパスタを包み込む食パンの器がガシガシと目の前で削られ智也の口へと運搬され消えていく。見てるだけでお腹が一杯になりそうな勢いだ。
怖い。これ三人分以上はあるはずなのに……と思う桜子の目の前は食べても食べても減るどころが膨張しているようにしか見えない、パスタを入れるべきではない鍋サイズの器が未だに空にしてくれとどてーんと鎮座している。
「蘇るっていうか、会える的な?会いたいって願っていたわけじゃないらしいんだけど……」
智也の隣、食欲がまだ戻らないという直人は取り分け用の皿を貰って、皆から一口づつ分けてもらったパスタをチマチマたべている。なんで女子の桜子が半分だけでもと頑張ってるのに、そんなので誤魔化すか!!という苛立ちは一応見せないでおく。
というか、高校生男子であるはずの直人の食べる量に、若干の不安要素さえ見つけそうな自分の、美徳でもあり欠点である人の良さが自分でも嫌になる。
「じゃあー、何がトリガーになるのー?」
クルクルと綺麗に巻かれた髪の毛が紗菜の小首を傾げる仕草にふわりと揺れる。眼前の器の中の減らない絡まったパスタと違って一本一本がサラサラで窓越の光に薄く輝く。
「〈帰りたい〉って呟き?」
まだ確定した訳じゃないからという直人の言葉は疑問系だ。多分調査部門も大忙しで動いているところなのだろう。
「〈帰りたい〉ねー」
とフォークをパスタの海に漂わせながら言葉をなぞっていると、桜子はふと、似たような事をつい最近聞いたことあるような気がした。
「あ……れ?」
「あらー、どうしたのー桜姫のお嬢さんー?」
隣の紗菜が覗きこんで聞いてくる。彼女が注文したのはこってりたっぷりミートソースのパスタにも関わらず、蝶の羽のようにひらひらする袖のレースを汚すことない紗菜の動きは、強風の中でさえ優雅に自転車に乗る高校の友達の瑠奈と同種のものを感じさせる。
あぁ、瑠奈なら紗菜のような服装でも自転車に乗れるなー。なんてところから引っ掛かりの糸口は見つかった。
そう……あれは、瑠奈と話た他愛もないことの一つ。
……何だったのか。
キーワードは〈帰りたい〉、〈呟き〉。
たしか……昨日の部活の後、下校中の会話だ……。
「……そう言えば、なんですけど。友達の瑠奈の、先日から入院している友達だか親戚だかも似たような事を呟いていたって……昨日聞いたばっかりで」
「瑠奈ー?……って桜姫のお嬢さん、お友達できたのー?!」
「ええ、この街は長いですし」
「良かったわね」
珍しく語尾の伸びない素の紗菜の声が妙に優しさを含んでいて少し恥ずかしさを感じながら桜子は話を続けた。
「〈帰りたい〉って最後に呟いてそのまま昏睡状態らしいんです。検査してもどこも悪いところもなくて。お医者さんもどうして目を覚まさないのかわからないらしくて。……あ、でもこっちは昏睡だから蘇りとは違いますもんね」
呟き自体は似ていたものの関係ない話だったと自分で思わず否定してしまう。
最前線を退くと勘も鈍ってしまうのだろう。話題を割いて悪かったと謝りながら若干太さが増したかのようなパスタと再び桜子が合間見えた時だった。
「それって……」
智也のフォークが動きを止めた隣、直人が言葉を詰まらせながらも茶色味を帯びた瞳がぎらりと何でも見透かすような光を放ち、珍しく真っ直ぐ桜子の瞳を見つめてくる。
「昨日、君達が片付けそこねた事件にそっくりね」
いつの間にか底が見えつつある大皿の上を優雅にフォークを動かしながら、口元にミートソースを付けた美少女にしか見えない紗菜がニヤリと男臭さを含んだ笑みを浮かべた。