9
会社でひと眠りしていた村雨は、部屋の中の物音で目が覚めた。
「───なんだ」
確かテレビでニュースを観た後、また眠気が襲ってきて、デスクにうつ伏せになり、再び寝直したのだった。
目元をこすりながら、重たい頭を上げる。
「……ん……?」
「なんだ、起きたのか」
「…………眠い」
どうにも疲れが溜まっている。そういえば、最近は仕事に飲み会で、少しは休めと柚森に言われていた。
自分の感覚としては酒を飲むことが休息のつもりだったのだが、やはり柚森の言う通りだったのかもしれない。
ひとまず今日の所はもう依頼は無いので、一日ゆっくり休もう。
───柚森にメールでも送っておくか。
そう思ってケータイを開いた時、背後からケータイをつまみ上げられた。
「…………返せ」
「またケルピーか。お前の世話役なんて、あいつもさぞ大変だろうな」
「うっせえ。お前には関係無いだろ、死ヶ崎」
「すぐにそうやって人の名を気安く呼ぶ。だからケルピーに世話焼かれるんだよ。狼憑き」
「村雨だ。会社の中くらいいいだろ。ケータイ返せ」
振り向いて死ヶ崎を睨むも既に遅かった。
「ああ、すまん」
「お前……」
死ヶ崎は片手で俺の最新のスマホを真っ二つに折っていた。
「ちょっと握ったら壊れた」
全く悪びれもせず、そのバラバラのスマホをゴミ箱に投げ入れる。
「ちょっと握った程度であんなになるかよ」
「脆いんだよ、あれ。もう古いんじゃねえのか?」
「悪かったな。先日買ったばかりの最新型だ」
くそ、迂闊だった。死ヶ崎だと分かっていながら。
スマホ、いくらしたと思ってやがる。
「……で」
椅子に座ったまま、死ヶ崎を見上げる。
座っているとはいえ、死ヶ崎の身長185センチの目線は高い。金髪で碧眼。片目は長い前髪で隠している。もう片目は俺をしっかり見下していた。
「俺に何か用か?」
死ヶ崎しがさきを睨み返す。
正直、仕事の出来は別として、こいつには勝てる気がしない。歳は同じだが、死ヶ崎のルックスは一流で、渋い声もその容姿にマッチしている。それだけではない。金も充分に持っている上に、ありとあらゆることを器用にこなすことができる。
死ヶ崎───コードネーム、『ユニコーン』
「狼憑き、最近の仕事の調子はどうだ?」
「……本当に珍しいな。そんなことを聞いてくるなんて。熱でもあるんじゃないか?」
「馬鹿か、お前は」
「馬鹿はお前だ」
顎でゴミ箱を指すが、死ヶ崎は気にせず続ける。
「近頃、俺の仕事仲間が次々と殉職している」
「殉職? どういう意味だ」
「殺されているんだ。何者かによってな」
「へぇ……そりゃ、困ったもんだな」
「特にここ数日は酷い。何人も短期間に連続で死んでいる。……俺も最初は偶然かと思っていた。この仕事柄、逆に命を狙われたり、返り討ちされることなんて、よくある話さ」
「まあ、そうだな」
「しかし、これは明らかに狙って殺されている」
「どこまで掴んでいる。対象はお前の仲間だけか?」
「いや、無差別だ」
「無差別……お前の仲間が狙われているんだろ?」
「いや、厳密には、こういう裏稼業をしている人間に対してという意味だ」
「なるほどね」
目的は分からない。裏の人間に恨みがあるのか、ただの快楽殺人か。
どちらにせよ、この業界の人間を連続で殺すとは、並の人間じゃないな。
「最近起こっている連続殺人、知ってるか? あれはカモフラージュじゃないかと思っているんだ」
「かもしれないな」
確かに、裏の人間ばかり殺していると流石に警察やら、その業界の人間やら敵を多く作ってしまう。だから、一般人も通り魔的に殺して誤魔化しているのか。
「狼憑き。お前は何か情報を持っていないかと思ってここまで来たんだが」
「悪いな。俺も初耳だ」
「だろうな。ここで仕事もせず寝てばかりのお前に期待した俺が馬鹿だった」
「……あのな。これでも俺は午前中、一件依頼を───」
「知るか」
素っ気なく遮られ、ムッとした。
これで死ヶ崎に悪意が無ければ許せたが、残念ながら彼の態度は悪意に満ちていた。
「俺はな……」
「あ?」
「初めは犯人はお前じゃないかと疑ったんだ、狼憑き。でも、すぐに思い直したさ。俺の仲間を次々と殺したのはお前じゃない」
「……なんだ。案外、信用されてるんだな、俺」
「ああ。お前にそんな芸当できるわけないだろ───現実的に」
「……は?」
「実力的にと言うべきか。短期間に殺った人数、その位置的範囲。セキュリティ。お前じゃ無理だ」
それは信用というより。
「つまり、俺が雑魚だと言ってるのか」
「そこまで言ったつもりはない。ただ、そこまでの実力はお前にはないと言ったんだ。そういった意味での信用だな」
「口だけは達者になったな」
「せめて口くらい達者になっとけ、狼憑き」
普段からクールに振る舞う死ヶ崎には好感が持てるが、こうやってすぐに人を見下す癖は直すべきだと思う。話していると、いちいち癪に障る。
昔はそれほどでもなかったのに。
「それじゃ、人を待たせているんでな。俺はもう行く。じゃあな、狼憑き」
「人を? どうせあいつだろ。なんつったけなぁ……そう、霧霜霙か」
「だから、名前で呼んでやるな。『ファントム』だ」
「女の子のくせにカッコいいよな、霧霜のコードネーム。なんか、幻って感じでさ」
「上としては、幽霊という意味でつけたんだろうよ。あいつの入社までの経緯から命名されたようだからな」
実際、幽霊というイメージでいくと『ファントム』ではなく、『ゴースト』と名付けられても良さそうなものだ。それでも、『ファントム』と呼ばれているのには、幻かどうかは別として、少なくとも何かしらの意味があるのだろう。
「経緯? なんだ、そりゃ」
「お前は知らなくていい」
「なんだよ、そこまで言って、気になるじゃないか」
「だったら、自分で調べろ。馬鹿が」
「馬鹿って……」
「じゃあな」
死ヶ崎は踵を返す。
「お前も……まぁ、なんだ。ケルピーが殺されないように守ってやれよ」
「おい、ちょっと待てよ!」
走って、死ヶ崎の肩を掴んだ。
「……んだよ。しつこいぞ」
「うるせえよ」
自分でも分かっている。ただ、どうしても。
「勝手に話終わらせんなよ」
ただ、どうしても、颯爽と帰っていく死ヶ崎の姿が気に入らなかった。
「死ヶ崎……」
「あ?」
「……」
呼び止められたことで死ヶ崎は少し機嫌を損ねたようだ。こうしてキレた眼差しで見下ろされると、一歩後退りしてしまいそうになる。
感情的になった死ヶ崎には、独特のオーラというか───相手を萎縮させる迫力がある。
「…………」
しかし、勢いで呼び止めてしまったものの、話題が見つからなかった。
「なんだよ、狼憑き。用が無いなら行くぞ」
「いや……そう。お前」
村雨は苦し紛れに言葉を紡ぐ。
「ん?」
「……日本人じゃないよな。出身はどこなんだ?」
「いきなりなんだ? それに、今更」
「最近ちょっと気になっててな。……はは……」
全く気にもなっていなかった。
自分で言っておいて、今更そんなことに気がついたくらいだ。
「国籍か?」
「出身」
「出身はイギリスだ」
「イギリス人だったのか!」
初めて知った。
しかし、そんな風に感心した俺に首を振る。
「いや、イギリス人じゃない」
「え?」
「俺はロシア人とアメリカ人のハーフだ」
「そうなのか」
「ああ。母親はロシア人、父親がアメリカ人で育ちは主にイギリスだ」
「そうか。……いや、ちょっと待てよ」
よく考えれば、こいつは死ヶ崎と名乗っているが。
「お前、偽名じゃねえか!」
「当たり前だ。馬鹿が」
「当たり前って……」
少し裏切られた気持ちになる。
今の今まで、死ヶ崎生命が本名だと思っていた。ちょっと変わった名前って程度の認識だったが。
「一応、父親方の祖母が日本人だから、四分の一は日本人の血が流れている。クォーターって言うのか? まあ、だから、全く日本人じゃないわけではない。……これで満足か?」
軽い衝撃に唖然としている俺を置いて、死ヶ崎は帰ろうとする。
「おい……待てって」
つい、その背を再び呼び止めてしまった。
「……だから、なんなんだよ」
「そうだなぁ……」
「ふざけてるんなら、殴るぞ」
「それだけは、やめてくれ」
死ヶ崎は拳を振りかざす。それがただのフリだと互いに分かっていながら、今度は一歩退いてしまった。
なにせ、彼、死ヶ崎は武器を使わない。道具を使わずに素手で仕事をやることにおけるスペシャリストだ。そんな彼に殴られでもすれば、冗談抜きで命の危機に陥る。
「さっきも言ったが、人を待たせてるんだ。いい加減に───」
「エフェクトって奴ら、知ってるか?」
「エフェクト……『効果』か? そんな奴ら、俺は知らないな」
「そうか」
「そいつらがどうかしたのか?」
「いや、大したことじゃないんだ。気にすんな」
「ならいいが……」
エフェクト。彼は確かにそう言った。恐らくは何かの組織名だ。名称としては単純だが、だからこそ掴み所のない。
「じゃあ、今度こそ、俺は行くぞ」
「ああ。またな、死ヶ崎。何か分かったら伝える」
「おう」
手を振ると、死ヶ崎は引き止められることなく出て行った。
そういえば、死ヶ崎は何をしにここに来たのだろうか。まさか本当に俺に会いに来たわけではないはず。俺が今日、ここにいたのも偶然だ。死ヶ崎はそこまで無駄なことはしない。
何か別の目的があったはずだ。
「ここかな」
死ヶ崎のデスクをの中を見る。
「…………」
相変わらず空っぽだった。
まあ、予想通りではある。ここでは誰も資料などを置いておかない。セキュリティは安全としても、こうやって同僚などに見られかねないからだ。
しかし、ならばなぜ、死ヶ崎はここに来たのか。
死ヶ崎の言っていた、謎の連続殺人も含めて考える。
「…………なるほどね」
やはり、そうだった。
『ミノタウロス』の椅子の下に盗聴器らしき物が仕掛けてあった。他にもあるはずと、各デスクを漁ると、幾つもの盗聴器や発信機が見つかった。
何も、わざわざ外す必要はないので、そのまま見過ごしてやることにする。
「おっと」
大概のことは見過ごしてやる───が、俺に仕掛けられた盗聴器は外した。
盗聴器に向かって言う。
「悪く思うなよ」
一応、仕事仲間である俺を疑うのが悪い。
会社にある、小さなキッチンにその機器を持っていく。
実際のところ、盗聴器か発信機か分からないが、それをレンジに入れてタイマーを回した。
「さてと」
すっかり目が覚めてしまった。
チン、という軽快な音に合わせ、背伸びする。
「……」
柚森と連絡を取ろうとしていたことを思い出し、事務所に戻って、デスクに備え付けられている受話器を取った。さっきも使った、仕事用の固定電話だ。
「───……あー、もしもし」
「はい」
「俺だ、俺」
「狼憑きでしたか。どうしてまた会社の番号で」
「スマホ壊れたんだ」
正確に言えば、壊された、だが。
「壊れた? まだ買ったばかりじゃ……」
「いいんだ。また買い直す。ところで、柚森」
「ケルピーです。……なんでしょうか」
「お前のケータイに仕事のメールとか来てないか?」
「今のところは……ありませんね」
「そうか。それなら、お前は今日は休みでいい」
「はい、分かりました」
「ん、今日はやけに素直だな」
「別に、そんなことありませんよ。普段通りです」
「まあ、いいか」
少なくとも素直なのはいいことだ。死ヶ崎にも見せてやりたい。
見せて、どうかなるとも思えないが。
───淡泊に続ける。
「ところで、狼憑き。私の方で調査して、例の『エフェクト』という組織について少しだけ情報を得ることができました」
「……それは助かる」
せっかく休みを与えたのに、案の定、『エフェクト』について調べていたのか。ありがたいが、同時にちょっと申し訳ない。
「で、どうだった?」
「『エフェクト』というのは、狼憑きの予想通り、組織的に人殺しを行っている組織のようです」
「俺たちの同業者か」
「いえ、そうでもありません。主に暗殺をメインとしていますが、彼らは対象は我々のような裏の人間のようです」
「……そうか」
「裏の仕事を生業としている人間を狙い、殺しています。初めは裏社会の有名どころ、つまり、先日狼憑きが殺した彼のような立場の人を中心に殺っていましたが、最近は裏社会の構造を理解し始めたのか少し変容してきました」
「大物ばかりを狙わなくなったのか」
「はい。単純な殺しばかりを行う小物も狙われ始めました」
「小物か。……今まで大物を狙っていたのに、今更どうして小物を狙い始めたと思う?」
「私の考えるに、きっと手が及ばなかったのではないでしょうか。初期は大物を殺ろうとしていたが、やはりそれが難しいと知ると、今度は簡単に殺せる小物を狙いだした」
「だろうな。……とするなら、奴ら『エフェクト』は裏社会においては初心者か。まあ、でも、数はこなしているし、そこそこの奴の暗殺も幾らかは成功しているんだろうな」
実際に、あいつはその『エフェクト』の存在に危惧していた。
「───初心者、ですか。確かにそうかもしれませんが、だとするならば、少し不自然な点もあるんですよね」
「不自然……」
「彼ら、殺した対象の死体処理が上手いんです」
「……どういうことだ?」
「殺した対象を事故死にしたり、自殺に装ったりしているということです。また、死体を何処かに隠して、行方不明者として扱わせたりしています」
「それって難しいことなのか?」
「たまには狼憑きも死体処理をしてみてはどうですか。身に染みて分かると思いますよ」
「あー、すまん、分かったよ」
口調こそ変わっていないが、その声から僅かに怒気を感じ取った。
「私が言いたいのは、警察や検察が疑いなくそう処理してしまっているという点です」
「処理が上手い……か」
だとするなら、死ヶ崎の言っていた奴らとは違うのか。
死ヶ崎から詳しく聞いていなかった俺がいけないのだが、あいつ自身が事後的に他殺と言っていたのだから、恐らく違う。なんにせよ、そういう殺されたことというのは、自分が直接見なければ分からない。
───特に他殺は。
警察側が事故などと言っているのだ。直接、見ることができていない死ヶ崎には、それが間違いだと断定することなんてできない。
不確定にも関わらず、狙って殺されたと決めつけるほど死ヶ崎は馬鹿じゃないはずだ。しかし、死ヶ崎の殺されているのは本当だ。
「だったら、死ヶ崎の件とは、やっぱ別か」
「ユニコーン? 彼がどうかしたのですか?」
「いや、こっちの話だ」
「……気になりますが」
「忘れていい。それより、そのエフェクトって奴ら。目的は金かと思ったが、どうもそうでもなさそうだな」
「違うのですか?」
「小物を殺したところで金にならないだろ」
「確かに」
「大物だと大金が舞い込んでくるだろうが、小物の数でその代わりができるか?」
「ゼロはいくつ増えてもゼロですからね」
「ああ、金じゃない。違和感はあるが、快楽殺人か、それとも正義漢ぶってる馬鹿か」
「どちらにしても、正気の沙汰じゃありませんね」
───この間の件といい、死ヶ崎のことといい。
「なあ、柚森」
「はい」
「最近、裏社会の人間の暗殺、流行ってるのか?」
「さて……どうでしょうか」
『なんにせよ、狼憑き。直接、私達から何か対応する必要はありませんが、無視もできませんね』
「だな。俺も仲間が襲われないか、少し心配だし」
『狼憑き……自分のことも心配してくださいね。彼ら、エフェクトは規模の大きい組織ですから』
「どうせ烏合の衆だろ? そんなもん、束になったところで同じだよ」
『存外、そうでもないようですよ。無論、そのほとんどが狼憑きの言う通り雑魚かもしれませんが、組織内に優秀な殺し屋が混じっているようです』
「ふぅん……読めてきたぞ。そういう、精鋭が功績を上げて、組織の名が広がっているんだろ」
『それは分かりませんが……気をつけてくださいね』
「やけに心配するじゃないか。そんなに強い奴がいるのか?」
『ええ、ほんの数人ですが』
───少数精鋭。
「どんな奴らだ」
『分かりません』
「分からない?」
ここまで分かっているのに何故、と村雨は首を傾げる。
『今のところは、全て謎のままなのです』
「無名なのか」
『いいえ、無名ではありません。もう既に、彼らの通り名が伝わってきています』
「通り名、か」
『ひとまず三人。ディレイ、リバーブ、そしてディストーションです』
本当に、エフェクトという名に相応しい集団だ。
『───特に、ディストーションには気をつけてください。この一人は別格だと言われています』
「分かった」
そう言って頷くが。
───いや、そもそも。
「誰から聞いたんだよ」
『そういうことに詳しい情報屋がいるんですよ』
情報屋。都市にいる、その名の通り、情報を売買することによって金を稼ぐ人間だ。彼らに情報を与えれば金を出すし、情報を求めれば金を請求される。
「情報代、高かっただろ?」
『いえ、それほどは』
高かったはずだと、そう村雨は確信していた。
何故なら、彼らはその情報の機密度合いによって求めてくる額を上下させる。こんな、組織からすれば隠すべき情報は、それこそ一般人じゃ支払えないほどの額を要求してきたはずだった。
「悪かったな」
『いえ』
「お前こそ気をつけろよ。その『ディストーション』とやらにさ」
『心配には及びません』
「そうは言ってもなぁ……」
流石に部下を見捨てることはできない。
『その時は、あなたが助けに来てくれるんでしょう? 狼憑き』
「っ……」
意外な言葉に暫し黙る。
そして、自分自身に言い聞かせるように村雨は答えた。
「───ああ。勿論だ」