8
学校に着くと、教室がいつもより騒がしかった。
空気自体が少し興奮している。学祭前の浮かれた雰囲気に、街の事件が重なってしまっているからだろう。
「おはよう、秋ヶ瀬」
「うん。おはよ」
いつものクラスメイト。それほど深い仲でもないけど、普通に話す程度の友達。
「ねえ、秋ヶ瀬の家にも来た?」
「……警察?」
「そう、それ。怖いよねぇ」
さも困った顔で話す。
そんな友人の姿を見て、つい思ってしまった。なんて呑気なんだろう、と。
この街には本当に怖い人達がいる。そういった人達の前では、私達は無力で、それが身近に現れた。警察が未だに捜査している。そんな中にいるということは、とても怖いことなんだと昨日実感した。
いつ日常が壊されるか分からない恐怖がある。彼女の言っている、テレビを見て感じるような怖さじゃない。
どう表したらいいか分からないけれど、怖いと言って笑う友人の言葉に、素直に頷くことはできなかった。
「行方不明の、寺草さんの捜査だっけ」
「そうそう。私の家にも来てさぁ、超ビックリしたよ」
「そう……なんだ」
「どうしたの、秋ヶ瀬?」
「……え?」
いつの間にか、顔を覗き込んでいる。
「何かあった?」
「べ、別に何もないよ」
「そう?」
少なくとも安易に人に話せる内容じゃない。たとえ、警察でも。
「ごめん、ちょっとトイレ……」
「うん」
今朝、警察の人が家にやって来た。
突然のことに、私は動揺した。
「おはようございます。私は、こういったものですが───」
「えっ……」
彼が取り出した警察手帳によると、名前は利北。刑事だった。
「少々尋ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「えっと」
どうしよう。もしかして、昨日の件だろうか。しかし、それは村雨さんが何とかしてくれたはず。いや、でも、こうやって刑事さんが直接私の家に来ているのだから、私を捕まえに……、
「……」
違う。冷静に考えてみれば、私は何も悪いことなんてしていない。むしろ私は被害者で、警察に頼るべきなのでは、とも思う。でも、それでは、奇跡的ともいえる形で丸く収まったこの一件がまたこじれてしまう。それに、警察に頼るというのは、つまり、この場合、村雨さんを裏切ってしまうことに直結してしまう。でも───
「どうかしましたか」
「え、あ、いえ」
疑うというよりは、心配するような顔で利北さんは言った。
ここで初めて、自分に対する疑惑で刑事さんが家にやってきたのではないと感じた。
声を落ち着かせて話す。
「……刑事さんが、わざわざどうしたんですか」
「ここ最近、この街近辺で連続殺人が発生しているのはご存知ですか」
「…………いえ」
「そうですか。まあ、残虐さゆえ、報道規制を敷いていますからね。無理もありません」
「はあ」
「そして、昨日から、あなたと同じ高校に通う三年生の寺草君の行方が分からなくなっているんです。男子といえど、高校生。この近辺の事件に巻き込まれている可能性もあるので現在、我々は捜査をしているのですが」
寺草……あの先輩。その人は確か……
「心当たりはありませんか?」
心当たりどころか当事者だけれど。
「……いえ」
やっぱり言えない。寺草さんには悪いけど、言うわけにはいかなかった。
「そうですか」
刑事である利北さんは暫し秋ヶ瀬を見つめ、頷いた。
「分かりました。では、何か気がついたことなどあれば、警察まで連絡をお願いします」
そう言って、頭を下げ、外に出て行った。
警察の捜査。それで、村雨さんの足がつくか分からないが、少し不安が残る響きだった。
刑事さんの言葉から、私の家だけに来たのではなく、たくさん聞きこみをしているうちの一人だったというのも分かってる。疑われているわけでもない。
取調べなどではない。だから、そんなに心配しなくてもいいんだ、と自分に言い聞かせる。
でも。それでも、不安は拭えなかった。
トイレから戻ってきて、ちょうど席についた頃、ホームルームが始まった。タイミングを見計らっていたかのように、担任が声をあげる。
全員、いつものように座り、いつものように担任の話を聞いていた。どうということもない、当たり前の光景。
「───それから、昨日から三年生の寺草君の居場所が分からない。所謂、行方不明だ。高校生にもなる男だから大丈夫だとは思うが、警察の人が捜索している。誰か、今、寺草君がどこにいるか知っていたり、何か見たり聞いたりしたって人は先生に連絡するよーに。以上」
連絡事項を伝え終えると、担任はそそくさと教室を後にしていた。
仮にも教員なのだから、生徒たちと接して欲しいけれど、先生も面倒事は避けたいようだった。
たぶん寺草君に関することを話したって、見間違いか何かと言って、結局何もしない。私達の担任の先生はそういう人だ。
……そういえば村雨さんはメールで、先生のパソコンを使ってお父さんとお母さんにメールを送ったって言ってたけど、先生はハッキングされたことに気づいてるのかな。
…………いや、あの様子なら、
「気づいてなさそう」
村雨さん達が、跡も残さず完璧だったということ。それでいて担任自身があんな人だし、ハッキングされたなんて永遠に知ることはないだろう。
そんなことを思うと、少し可笑しくて笑えた。
翌日、秋ヶ瀬は学校の事務室に来ていた。
「これ、例のプリントです。ここに置いておきますね」
学校祭に必要なお金と材料のリストを持ってきた。学祭委員としての仕事だ。簡単な仕事の連続だが、やることが多い。こうして仕事をしていると、なんでこんなことをしなきゃいけないんだろう、と疑問に思ってしまう。学祭委員なのだから仕方ないんだけれど、別に私にしかできない仕事でもない。誰にでも出来る仕事。それをやらされてる感じがどうにも納得いかなかった。
ただ、仕事に対する怠さが今、そう思わせてるだけかもしれない。でも、今はとても嫌気がさしていた。
だいたい、この学祭委員に入ってからというもの、私にとって良くないことばかりな気がする。もともと運が悪い私だったけど、更に酷くなっている。
「それでは───」
事務室から出て扉を閉める。教室に戻ろうと、振り返り、廊下へ目を移すと一人の男性と目があった。大きなコートを着て、手からバッグを提げている中年くらいの男。
「あ、昨日の───」
朝に家に来た刑事だ。
向こうもこちらに気付いたようだ。ドクン、と心臓が鳴る。
「こんにちは」
「こんにちは。……えっと……」
「秋ヶ瀬さん、だったかな」
「はい」
利北───刑事。
昨日、私の家に来た刑事だ。
「どうして、学校に……?」
「捜査協力と危険管理の話をしに来たんだ」
「捜査協力……」
「ああ。まだ、寺草君は見つかってないからな」
「……そうなんですか」
「例の連続殺人犯もまだ捕まっていない。この状況下、行方不明というのは非常に危険だ」
連続殺人犯。それは、村雨さんのことではないと思う。そう信じたい。
「その、連続殺人犯って」
「この近辺で起こっている連続殺人。無差別殺人であり、我々は危険な事件と我々は捉えている」
「その犯人は、まだ街の何処かにいるかもしれないんだ」
「ああ。それで犯人の動機もつかめていない今、下手に防ごうとすると、かえって犯人を刺激してしまうため、こうして水面下で捜査を続けるしかない」
「でも……」
先日の件がある。
秋ヶ瀬は恐る恐る言う。
「もしかすると、集団での犯行……とか」
「我々も初めは疑ったが、それは無いだろう」
「どうして」
「こちらで無差別殺人が始まった瞬間、それまで東京で起こっていた未解決の猟奇的殺人が止まったんだ」
「……まさか」
「まあ、同一犯だろうな。その犯人が東京から、この街へやって来た。そう考えるべきです」
東京の殺人鬼。そんなものが街にいるなんて。
「我々としては、この学祭も中止を促しているのだが───」
「えっ」
「教師や生徒の反対を受け、認めざるを得ない状況でね」
「そう……ですか」
一瞬、期待した。中止になるんじゃないかと。
唐突で、でも結局変わらない現実に落胆の度合いが大きかった。
「じゃあ、私はこの辺で───」
腕時計を見て、踵を返す。
時間はまだあるけど、もうこれ以上話すとまずい気がした。何か訊かれた時にボロが出るかもしれない。
私は悪くないんだけど。
「───秋ヶ瀬」
「はい?」
名前を呼ばれて振り向いた。
「暗い夜道を一人で歩くと危険だから、気をつけろ。帰りが遅くなる時は一人で帰らないよう」
「…………では、これで」
「ああ。じゃあまた」
殺人鬼。背筋の凍るような響き。そんな人間がこの周辺に潜んでいるというだけで、恐ろしくて外を出歩くことすら躊躇われるくらいだ。
そんな環境でも、学祭をやろうというのだから彼らはどれだけ祭り好きなのか。それとも、ただ楽観的なのだろうか。
私はいつも運が悪い。悪いがゆえに、あらゆることに巻き込まれてきた。だから、こういう明らかに迫る危機については人一倍敏感だった。
何かが起こる気がしてならない。
「───大丈夫じゃないの?」
「……でも……」
「殺人鬼なんて、そうそう現れるもんじゃないって。それに犯人像や潜んでいる場所とか分かってるんでしょ? すぐに捕まるって。そんな奴のために学祭中止とかあり得ないし」
秋ヶ瀬はクラスメイトの寧々岸に不安を話していた。彼女をよく知る友人である所の寧々岸は、秋ヶ瀬の普段からの不運さを知った上で言う。
「秋ヶ瀬の言ってることも分かるけどさ。私も結構怖いなって思ってるよ。でも、だからすぐに学祭中止は急だと思うな」
「だけど、被害者が出てからじゃ遅いじゃん」
「そうねぇ……ま、心配し過ぎだって。運の悪さだけは超一流の秋ヶ瀬でも、流石に殺人とかに巻き込まれたりしないって。ね?」
不安な秋ヶ瀬を励ますつもりで寧々岸は肩を叩く。きっと、秋ヶ瀬は学祭委員で疲れが溜まっているのだろう。そんな中でこういう怖い話があって、自分の中で色々追い込まれてしまっているのだろう。責任感の強い秋ヶ瀬のことだ。またいつものように溜め込んでいるに違いない。気を軽く持つべきだと言ってあげよう。明るく、いつものように。
そう思って話す寧々岸とは対照的に、秋ヶ瀬の不安は増すばかりだった。
───事実、秋ヶ瀬は既に巻き込まれている。
「……」
「ほら、私だって、学祭でやるガールズバンドの練習を今まで続けてきたじゃん? それが今更できないとか言われたら、すごく悔しいし。秋ヶ瀬だって、同じでしょ? 頑張ってきた委員会、今になって無駄になったら、それこそ悲しいでしょ」
寧々岸は悪くないが、秋ヶ瀬はどうしても皆が楽観視し過ぎている気がした。自分は巻き込まれ、幸い救われた。でもそんな幸運、何度も起こるものじゃない。寺草さんのようなケースもある。
だから、心配だった。自分以外の皆が心配していないことが心配だった。
「大丈夫だって、秋ヶ瀬。もし、殺人鬼が現れたって、私のギターでガツーンと殴ってやるんだから」
「……うん」
「だから、元気だして。学祭まで頑張ってこ。ね?」
「わかった。ありがと」
「うん。それじゃ、私は音楽室で練習があるから行くね。秋ヶ瀬は?」
「学祭委員の仕事」
「そっか。それじゃ、また後でね」
「うん。また」
手を振ると、走って音楽室に行ってしまった。寧々岸は優しいから、時間のギリギリまで話を聞いてくれたのだろう。
その優しさは嬉しかった。しかし、話してみて、ちょっとの罪悪感とどうしようもない不安感が残っただけだった。