32
「秋ヶ瀬、無事か」
村雨が秋ヶ瀬に寄り添う。秋ヶ瀬が息が上がり、膝をついていた。
黒い煙が講堂内に充満し、危険な状態だった。
「村雨……さん」
「今から脱出するぞ」
これ以上ここに留まれば自分達の身が危ない。村雨さんの意図は理解できる。
でも。
「もう、無理なんじゃ……」
出入り口は崩れて燃え盛っている。見る限り他の出口はどこにも無かった。
「方法があるはずなんだ。本来、奴自身がここを抜け出すために用意した方法が」
「……」
しかし、それを本人に聞き出すことはできなかった。
目を閉じ、静かに眠っている。
「……どうやって……」
「待ってろ」
村雨が赤間のギターケース内や服の中をガサガサと漁る。何かヒントになるものを探していた。上着からズボンのポケットまで隈無く調べる。
「……無いな」
「そんな……」
脱出方法が無い。
では、赤間は捨て身覚悟でここに乗り込んだのだろうか。
「……じゃあ、消防の方が来るまで、ここで」
「それは勘弁」
村雨が首を振る。
「取り調べ受けたら、俺はちょっとマズい」
「……そっか」
外では警察が控えている。犯人を倒して、外に出たとなれば疑われるのは必至だろう。外に銃声も漏れていたかもしれない。村雨さんが警察と接触するだけでことを荒立ててしまう。
「でも、それじゃ……」
「待て……」
「え?」
「……そうか……考えてみりゃ、そうだ」
村雨は神妙に頷いた。
「どうしたの」
「なあ、この講堂に仕掛けてあった爆弾。いつ用意されたと思う?」
「え、……と」
いつ、だろうか。
「勿論、爆破する前だ」
「たぶん、講堂内に来た彼は真っ直ぐステージに上がったから、その前……」
「大勢の面前じゃ不可能だ」
「……学祭前!」
「秋ヶ瀬、お前学祭委員とか言ったな。準備期間、赤間を学内で見かけたか?」
「……ううん」
学校内は基本、関係者以外立ち入り禁止。事務室を通す必要がある。あの姿だと目立つはずだし、誰かが見れば不審に思う。
そんな人を見かけたなんて話は聞いたことがなかった。
「じゃあ、学祭前の夜に……」
「警備員とかいるだろ。それにあれだけたくさん仕掛けられていたんだ。普通、学祭が始まる前に一つくらい誰かが気付く」
「……だったら」
「俺の考えが正しけりゃ、秋ヶ瀬。この学校内に、こいつの協力者がいる」
***
赤間の協力者がいるとすれば、ある程度の辻褄が合う。タイミングを狙ったかのような赤間の来訪。普段、刀しか使わない赤間の爆撃。その手筈を整えた人物。
そして、見えない脱出経路。
「……協力者に連絡して、出してもらうつもりだったのかね」
講堂外からもう一度壁を破壊するなどしてもらい、後は敵をなぎ倒しながら強硬突破。赤間ならあり得るやり口だ。
「協力者って、ここの生徒……かな。それとも先生。ひょっとすると、警察の人だって……」
「そんなことは今は大した問題じゃないさ。それより今は、捕まらずにここからどうやって出るかって話だ」
警察や消防が入ってきたら最期。俺は二度と表舞台に立てなくなるだろう、と村雨は思った。まだ、未練が無いと言えば嘘になる。多少、大事になっても構わないから、穏便に抜け出す手段は無いものか。
「……まぁ」
村雨はケータイを開いた。
着信あり。五件。全て柚森からだった。
「心配性だよな」
力を貸して貰うか……?
いや、間に合わない。柚森が来る頃には事は終わっている。
では、知恵だけでも———
「———そういや」
このスマホ、白布からの貰い物だった。お釣りとか言ってたっけ。
お釣り。白布の言葉を思い出す。
『——————それね、あるキーを押すと、数分後に大爆発する仕掛けに———』
「……どうしたの、村雨さん」
「期待するしかないか」
白布の付けた余計としか思えない機能が想像以上に役に立ちそうな気がした。流石に情報屋でもこの状況は予見していた筈はない。これは要因と偶然の組み合わせだ。だが、たぶん白布にとっての何気ない気遣いで命拾いすることになる。
「村雨さん?」
「外からの爆破が来ないなら」
村雨はギュっとケータイを握り締めた。
「中から爆破するしかないよな」
怖くて触れなかったアプリがある。
一番隅に押し込まれている、『BOM』という名のアプリ。それを開いてみる。
「……あー、なるほど」
ストップウォッチのような画面が出てきた。カウントダウンはもう始まっている。あと、三十秒。
「秋ヶ瀬、下がれ!」
「え、え?」
「いっけぇぇぇえええ」
思い切りスマホを投げ飛ばす。ステージの上を滑り、背壁にぶつかった。飛距離、数十メートル。
ひとまず、こんなところだろうか。
「なんで、ケータイを……」
「あと数秒で爆発する」
「え?」
「その瞬間に逃げるぞ。お前はどさくさに紛れて野次馬の中へ混ざるんだ。いいな?」
「……はい!」
***
爆音と共に駆け出した。
砂埃と黒煙が立ち込める中を、村雨さんに手を引かれ走り抜ける。大きく、力強い手の感触。温かな手のひらに触れていると、何故だか安心感を覚える。
私にも上手くやれるはずだ、と村雨さんが無言で伝えてくれるようだった。
『人生、色々あるもんだ。お前、何か目標とかないのか。将来、こうして生きていきたい、とか』
私のやりたいことは分からない。将来なんて見えもしない。今はただ、目の前のことに集中して、その先のことを考えないようにしていた。抱えている問題を必死に消化していくことが今やるべきことだと思った。
惰性でも構わない。私には私の道がきっとどこかにあって、それが私の歩む生き方で、結局は私も人間社会の歯車となる。
私の生き方。私だけの道。
考えたことが無かった。いや、考えないようにしていただけ。
落ち込むだけだから。考えても、考えても。先なんて分からないし、自分のやりたいことなんてない。私は人より少し運が悪いだけ。
『それって流されてるだけだろ。自分から流されてどうする。自分の生き方くらい、自分で決めないと』
全て分かり合えると思えた。虚勢を張って、哀しげな声で鳴く。でも、誰一人振り向かず、一心に己の未来へ羽ばたいていく。未だに、その場に立ち竦んだままの自分。嫌にもなる。泣きたくもなる。
でも、泣かなかった。泣かず、喚かず、ただただ運命に従うように、無抵抗に生きた。そうすれば、不思議と気が晴れるような気がした。悪いのは私じゃない。誰かが悪いのだとすれば、こんな不運を強いている神様の方だ。そう思えば思うほど、嵌ってしまった悪運の泥沼は深みを増す。
そうして、自分の許容量を超えた不幸が訪れた時に、私は思った。これが私の道なのか。もう抵抗もしないから、どうにでもなってくれ。
全てを諦めた。悲しかったけど、それ以上の諦念が全身を包んでいた。
そんな時、村雨さんが現れた。颯爽と私を救ってくれた。間違っても砕ける事の無い私の運命を変えてくれた。私は非日常から日常に引き戻された。
村雨さんと出逢えた。これ以上の幸運は無いと思った。その村雨さんが言う。
『なんだかんだ言いながらも今のステージを全力で乗り越えれば、次の道も見えてくるものさ』
私は人より少し運が悪い。でも、それは運がいいということでもあった。
向かい風が追い風に変わる。私なら、できる。未来は塗り替えることができる。痛みや苦しみは避けられない。だからといって、絶望する必要も無い。
私の道なんて用意されていないんだ。私の道は私が築く。
学祭を通して、村雨さんから教えられたことだ。
講堂を抜ける前、駆け出した時に足元で何か引っかかる。見ると、赤間の指先が靴紐を掴んでいた。無意識か、或いは。
考えている時間はない。構わず引き抜いて走った。そして、一度、振り返る。ゆらりと、赤間の姿が揺れて見えた。
気のせい。
揺らぐ景色でそう見えただけ。でも、私の目にはその最期の姿が焼き付いて離れない。
それが、どうしても私の行き着く末に見えたから———
警察と野次馬が騒ついていた。
突然の爆発だから、当然だ。数人の警官は収拾のつかない事態を抑えるのに手一杯だった。講堂の出入り口に居たらしい警官達は、爆破され穴の空いた現場にはいなかった。好都合だと村雨さんは笑うと、そのまま闇に消えるようにいなくなってしまった。
私も砂埃の中で、人集りに混じる。いかにも、今までの野次馬の一人だったかのように。
その直後、
『突入する、続け———』
と、警官達が空いた穴から中へ入っていった。
これで赤間も捕まる。
——————この街での一連の事件は収束するだろう。
そう村雨も、秋ヶ瀬も、思っていた。