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続きが読みたくなるような小説を書いてみようかと思いまして。
───F市、桜神街。
背後にはコンクリートの壁が聳え立ち、疲れ切った足は既に震えている。
真夜中。時間は十二時ジャストといったところか。
鉄の匂いが鼻につく。肉体的にも精神的にももう歩けない。そして前を向けば、脳天に向けられた銃口が酷く滑稽に黒光りしている。
できるならば、そんな物騒なものは早く退けて欲しい。それは、今、俺に向けるもんじゃないだろう。テレビの中で、スパイだとかSPとか軍人とか、それから獣を狩るハンターとか、そういう奴らが握ってるものであって、俺に向けるのは間違いだと言いたい。
何かの間違いだろ。
どんなにそう訴えようと現実は変わらない。それも重々分かっている。これは現実だ。
走り過ぎの疲労による幻覚なんかじゃない。このピストルを突きつけられている現実は本物だ。というか、ピストルを向けられるから街を逃げ回って、こんなにも疲れている。
奴らから襲われる前までは極めて冷静、肉体的にも精神的にも正常だった。……いや、少々アルコールが入っていたかもしれない。
「………………」
しかし、それとこれとは関係ない。今、銃口を向けられているのは、それとは別件。もっと根本的な問題なのである。
路地裏の細い道で囲まれた。もはや後ずさることすらできない状況。
こういうのを何と言うのか考えてみる。
絶体絶命——————近いが、どうにもニュアンスがずれている。
七転八倒——————それは今日に限った話ではない。
どう頭を巡らせても、四字熟語の中に適当な言葉は見つからなかった。四面楚歌。阿鼻叫喚。いや、違う。風前の灯? やはり、ニュアンスが違う。それでは絶体絶命と同じだ。
確かに危機的な状況ではあるが……だからといって、ここで殺されるような俺ではない。だからここでは大きな違いがある。
……よし。ここでは、こう呼ぶとしよう。
いつ終わるかも分からない。これは、
「俺の、クライマックスだな……」
そう、村雨は呟いた。
うん、しっくりくると二度三度頷く。
「何の話だ?」
突然の村雨の言葉に、拳銃を握っている覆面の男が問う。村雨を囲む数人の覆面達も顔を見合わせる。
「俺の人生の話さ」
言ってから思った。そういえば、毎回言っている気がする。それじゃ常にクライマックスだ。別にそれでも悪くはないが。
「……なるほど。絶望に包まれての言葉か。しかし、もう希望も何もない。言うなれば、今はクライマックスではなくエピローグじゃないか? お前に未来は無い」
「…………」
誰が上手いことを言えと言った。
少し不愉快になった村雨の気持ちに反して、周囲の覆面達はヘラヘラと笑い出す。
通常、人と殺り合う際、相手の死を確認するまで気を緩めてはいけない。それは殺し合いである以上、大人数で一人を殺す場合も同様だ。
大人数の場合、単独で殺す場合と違い、自身が逆に殺される可能性は低い。単純に人数の差で殺しが容易で、反撃に対しても上手く対処ができる。確実に殺しやすいのだ。
それからもう一つ。大人数の場合、殺す標的が格上だった時の対処法が一つ増える。そう、つまり仲間が殺される間に逃げることができる。一見、背徳的な行為だが、これも複数で殺しを行う大きなメリットだ。人を殺す人間に綺麗事もあったものじゃないが、仲間の死を無駄にしないため、その屍から目を背けて逃げることも重要な選択肢の一つなのだ……が。
勝ちを確信して緊張感を緩め、その選択肢すら潰してしまう素人に村雨は負ける気すら消え失せていた。
よく仲間からも残虐と呼ばれる村雨は、相手を殺し終える最後まで油断などしない。ついこの間も、腹部に弾丸を放ち、何もせずともそのまま死ぬであろう致命傷の人間の頭にとどめの一発を撃ち込んだ。
標的が死んだという確証が欲しかった。それを惨いと批判する人間もいたが、村雨からすればそちらの方がどうかしているように思えた。彼はただ仕事に忠実であり、むしろ苦しむ時間を短くしてやっている分、その優しさに感謝して欲しいくらいだった。
「何か言い残した言葉はあるか」
目の前の覆面が言う。
この台詞自体素人丸出しだと村雨は思った。
俺なら、そんなことを言う前に撃ち殺している。そもそも銃を突きつけているからといって十分な距離を取っていない時点で明らかに俺の殺り方とは違う。
周りで、まるで取り巻きのように囲んで銃を向けているだけの奴らもどうかと思うが。
「本当に殺しをやろうって気があるなら」
「ん?」
「最後まで油断しないことだな」
「油断?」
この状況下。意味を計りかねた覆面の男が眉間に皺を寄せた。もっとも、村雨にはその眉間すら覆面で見えもしない。
「油断も何も、もうお前は死んだも同然だ。死ぬ人間にどうやって油断しろというんだ」
だからさ。
「喋り過ぎなんだよ、お前。さっきからさぁ……」
「あ?」
「死ぬまで覚えとけ。殺しのプロってのはな、クールに決めるもんだぜ」
「ッ───」
覆面の男が怖れを感じた時、足に強い衝撃を受けた。下を見ると、村雨の蹴りが見事に炸裂していた。
覆面たちは銃を握っているので、その狙いから目を離せない。ゆえに村雨の顔ばかり見ていたことが仇となった。
村雨は疲れこそあったが、顔色ひとつ変えずに距離を詰めてきていたのだ。物音も立てず、注視しないと気がつかないほどのスピードで。
「ぐ、あっ」
膝を蹴られたことを認め、咄嗟に前に向き直るが、そこには村雨の姿は無い。下を見た一瞬に視界から消えた。
「なっ」
慌てて辺りを見渡し、まだ村雨がすぐ斜め下にいたことに気付くが、その時にはもう遅かった。
一瞬しゃがんで目の前の覆面を思い切り蹴った村雨は、男の持つ銃を自分から見て右の覆面に向けた。
村雨の心臓ではなく頭部に銃を向けていた周囲の覆面も突然しゃがんだ村雨には対応できなかった。彼らは、村雨に語りかける目の前の覆面が引き金を引くとばかり───自分が村雨に手を下すことはないだろうとばかり思っていた。
だから、予想もしていなかった村雨の反撃に反応できなかった。
「死ね」
村雨は立ち上がると同時に、両手で拳銃を制し、何の躊躇いも無く引き金を引いた。
右側の覆面は呆気なく血を吹いて倒れる。
口元と目の部分だけ穴の空いた覆面集団。その一人が血まみれで倒れる様を見て、なんか映画みたいだな、と思った。
よくある銀行強盗団のあれ。あいつらとよく似ている。
「……と」
右にもう一人。左にあと三人。それと、村雨の目の前の覆面で残りトータル五人。
暗い路地の一角とはいえ、時間をかける訳にもいかない。
ひとまず、すぐそばの覆面の鳩尾に思い切り肘打ちし、男の右側に立ち、拳銃を奪い取る。
周囲の覆面達も、正確に一直線ではないとはいえ、村雨に仲間を盾にするように立たれ、上手く狙いが定まらない。
手が震える。
余裕だと思っていた最中、突然、銃声と共に仲間が死んだのだ。彼らも動揺が隠せなかった。
また、銃声が鳴る。
村雨の右手側にいたもう一人の覆面が倒れた。
二発目を放った村雨は、鳩尾を突かれ腹部を押さえる覆面をすぐに羽交い締めにし、拳銃を左手の男たちに向ける。
「───こ、この卑怯者!」
覆面の一人が叫んだ。やけに声が高い。風邪でもひいているのか?
「せ、……先輩を放せ!」
プルプル足を震わせながらも、村雨に銃口を向ける。
「卑怯者だって? そりゃ、集団で、しかも街中で不意打ちするお前らの方だろうが。せっかく人が仲間と楽しく呑んでたってのに。……ったく」
先輩……か。
ということは、お前は後輩か。しかもその様子だと、素人の中の素人だな。
「…………」
銃口をずらし、容赦無く引き金を引く。
大きい風船が破裂したような銃声で、また一人倒れた。
左手の一人が意を決したように、拳銃を持ち直す。このままでは全滅すると踏んだのだろう。
が、一歩遅い。僅かに彼が躊躇した隙に、その眉間を村雨は一発で撃ち抜いた。
僅か数秒の間に、六人いた覆面は二人になった。
村雨は覆面の一人を掴み盾にしたまま、残り一人に銃口を向ける。
「……先輩から、手を……て、手を放せ!」
素人らしき覆面が声を荒げる。
「…………何、泣いてんだよ」
「……っ……」
必死に、目に涙を浮かべ、それでも村雨に拳銃を向けていた。
……完全に素人だ。ここでは、戦うことより、逃げることの方が余程懸命だというのに。
「……先輩を……」
もう、語尾も聞こえない。
……そうか。こいつはこれが初めての『殺し』なのか。だから、殺すことに対して躊躇もする。特に、今、撃つべきは自分の先輩。先輩ごと俺を撃ち抜くべきなのだ。
撃てる訳が無い。
この先輩とやらも、また、こんな後輩にいい所でも見せたかったのだろう。カッコつけようとして、あんなくさい台詞を吐いていたに違いない。
普通、殺す人間に語りかけるなんて無駄な行為はしない。
しかし、
「……おい」
村雨も今、殺す予定の人間に語りかけたくなった。俺も普通じゃないのかもなと自嘲する。
「な、なによ……」
「……ん?」
その返事で、やっと気付く。
こいつ……女か?
「オラァ!」
「うおっ」
咄嗟に跳び退く。
羽交い締めにしていた男が死に物狂いで暴れ出した。
男を押し離し、三人が一直線に並ぶように立つ。
「はぁ……はぁ、……ぁ」
覆面の男が得意げに拳銃を掲げて見せた。どうやら、男を押し離した時に手放したらしい。
「……あ」
が、問題は無かった。村雨が、もう一人をすぐに撃ち殺さなかったのは、何もただ会話がしたかっただけではない。
そもそも弾切れだったのだ。
「……はっ、これで、形勢逆転だな」
弾の入ってない拳銃を投げ捨てて男は言った。もう一人の生き残りが拳銃を一丁握り、そして村雨に向けていることを踏まえての発言だった。
「───死ぬまで覚えとけっつったろ」
「……え」
覆面に大きく踏み込み、村雨はズボンの中に手を突っ込んだ。
そして、男に抱きつくように迫り、胸に深くナイフを突き刺した。
「…………どこに、隠し持って……やがっ……」
言いかけて男は倒れる。
「パンツの中だ」
死にゆく男に村雨は言った。
残り二人はナイフで殺すつもりだった、などとは全く予想もしていなかったのだろう。驚きと苦渋の混じった表情で男は死んでいったように村雨には見えた。
こんな仕事で先輩と呼ばれていたんだ。人の一人や二人、過去に殺しているに違いない。そんな奴に同情なんて要らないか、などと思ったが、すぐに思い直した。
───そういや、今まで殺した相手に同情なんてしたことなかったな。
いちいち同情などしていたら、身が持たない上に、時間の無駄だ。なるべく無駄は省く。これが村雨のモットーだった。
「……よくも、……先輩まで」
最後の一人が囁くように言った。
「………………」
「殺す。殺してやる!」
無我夢中で村雨に銃を向ける。震える指を引き金に据えて、村雨を睨んだ。
「…………撃てよ」
「っ……」
下唇を噛み締めて、拳銃を握りしめている。
今度は村雨の心臓、その中心を狙っている。
「………………撃てよ。俺を殺すんだろ?」
「黙れ! すぐに、私が……」
震える指に力が入る。しかし、その意思に反して指はピクリとも動かなかった。
「……私が……、お前なんか……すぐに」
「お前には殺れないよ、俺は」
村雨は無駄は嫌いだ。彼は自身が行うこと一つ一つに美学を感じているからだ。だが、あくまで面白くない無駄が嫌いなだけであって、そのモットーに反して、彼の興味をひいたものに関してはそれを楽しむというのも、また村雨のいつものパターンだった。
「……仲間を殺した奴に、容赦はしない……」
潤んだ瞳から涙が零れ落ちる。
とめどなく涙が流れるが、一向に撃つ気配がない。
「お前、素人だろ。少なくともこんな仕事をしている人間じゃない」
「……」
「つうか、お前、歳いくつだ? まだガキじゃないか」
「…………」
完全に黙ってしまった。初めてやる人殺しに、初めての殺し屋。初めての死体。
もう声も出なくなっていた。
村雨が、もう潮時かと思った時、背後から足音が聞こえた。
「こんな所にいた。いつまでかかってるんですか」
聞き慣れた女性の声。
「柚森か。どうやってこの場所が分かったんだ。まさか追いかけてきたのか?」
「そんなわけないでしょう。あなたが暗殺を行うなら、この付近だとここが一番適していると思っただけです」
「……なるほど。よく分かってるな」
村雨は振り返りもせずに答える。
「それと、外で本名を呼ぶのは止めてください。私のコードネームは知らない訳ではないでしょう? こう何度も呼ばれると、こちらも本部に報告を───」
「───あー、わかったわかった。分かってるよ、ケルピー。でも、そのコードネーム、ダサくないか?」
「そんなことは関係ありません。上が勝手に命名する名前ですから」
「もっといい名前にすりゃいいのにな」
「文句を言っても仕方ありませんよ。結局どうしようもないんですから。それに、ちゃんと由来とかあるらしいですし……」
「へぇ。てきとうに付けられてるのかと思ってた」
「でも、どうしても気に入らないなら変更申請もできるはずですよ。書類、出しておきましょうか?」
「……いや、いいよ。そこまで気にしてない」
「そうですか。……と、それはそうと」
そこまで言って、『ケルピー』こと柚森は村雨の前方に目線を移した。
「狼憑き、そちらの方はどなたですか?」
狼憑き───これも村雨のコードネームの一つである。
「こいつは、さっき呑み屋で俺を襲ってきた奴らの生き残りだ」
「他は?」
「殺した」
当たり前のように言う村雨に、柚森は溜め息をつく。
「……よくもまあ、こんなに。この死体の山は一体どうするつもりなんですか」
「柚森に任せる」
「はぁ……」
村雨はいつもそうだ。血気盛んに仕事を行う癖に、最後の死体処理だけはやろうとしない。汚らわしいとか、そういった理由ではなく単に面倒なのだった。
「たまには自分でやってください」
「やだよ。俺は忙しいんだ」
「……それで。今、銃向けられてますけど、大丈夫ですか?」
「こいつは俺を撃てない。ド素人だ」
「撃ったらどうするんです」
「素人の撃った弾程度じゃ俺は死なない」
「じゃあ、生け捕りにして、尋問でもするのですか。まだ若い女の子のようですけど……あなたも物好きですね、狼憑き」
「待て。……そうだな……」
村雨は、血のついたナイフを手に持ったまま考える。
「…………」
銃口は依然として村雨に向けられたままだった。
「……どうしたのですか? 狼憑き」
「尋問というより、事情聴取だな。俺はこいつを保護する」
えっ……、と言葉が漏れた。
「ど、どういうつもりだ!」
拳銃を持ったまま叫んだ。
「私は、お前を殺そうとしているのに……」
「どう見ても嫌々じゃないか。お前を解放して、元の生活に戻してやるってんだよ」
「…………そんな……」
涙に濡れた目が移ろう。
柚森は凛然とした表情のままだった。
「本気ですか? 逃がした後、闇討ちに遭っても知りませんよ」
「大丈夫だ。……俺は死なない」
「……そうですか」
敵に情け容赦も無いと思っていた村雨の一面に柚森は感心しつつ頷いた。
「安心してください。私たちはあなたの味方です」
震える少女に柚森が呼びかけた。
「あなたを保護します。安心してください」
「…………」
少女は首を振る。何かを自分に言い聞かせているようだった。
「さあ、大丈夫だ。だから銃を下ろして、こっちに来い」
「……殺し屋」
囁くほどの声で言った。
「殺し屋のくせに」
それが本音だった。少女の敵は殺し屋で、先輩を殺った殺人者だった。
「何が保護よ……どうせ私も殺すんでしょ! 人目のつかない場所で、他の人と同じように……」
「そんなことは無い」
「……嘘」
「嘘じゃない」
「どうして……」
「俺は人殺しがしたい訳じゃない。お前を助けたいんだ。……拳銃を人に向けるなんて辛かっただろう。怖かっただろう。……もう、そんなことはしなくていい。俺たちがちゃんと帰してやる」
「どうして……」
「ん?」
「どうして、そんなに優しくするの……っ……」
ガチャン、と拳銃が地面に落ちた音と共に。
「…………っ……」
少女はしゃがんで、泣き崩れた。
「………………」
村雨は寄り添い、背中をさする。
ちっぽけな背中が更に小さく見えた。
「さあ、行きましょう」
柚森が言う。
「今日は残業ですね」
「ああ」
「この場合、残業手当は出ませんよ」
「別にいいさ」
少女を背に乗せ、立ち上がった。
泣きじゃくる彼女は村雨から離れようとはしなかった。
「まだ会社に誰かいたっけ?」
少女を乗せて村雨は歩き出した。
「もう誰もいないはずです」
『ユニコーン』も『ミノタウロス』も『グリフォン』も全員帰った後、会社を出ましたから、と柚森は付け加えた。
それを聞いて、村雨は笑みを浮かべた。
「じゃあさ、柚森」
「……だから、本名で呼ぶなと何度も───」
「この件は、他の人には内緒にしておいてくれ」
言って、村雨は歩を速めた。
冷酷───あんまり誉められたあだ名じゃないと思っていた村雨の気まぐれだった。
「そう言われても、バレる時はバレますよ。立場上、聞かれたら、嘘は言えませんから」
「ちっ、分かったよ」
───柚森に迷惑を掛ける訳にはいかない。
あくまで俺の問題だ。
「はい」
「けどさ、なるべく隠し通してくれ」
「それは、まあ」
怪訝な顔を浮かべた柚森に、俺は念を押した。
「最悪、嘘をついてもいいから、特に『グリフォン』にはな」
はい、と頷く柚森を軽く小突いた。
「頼んだぞ」