83 大賢者モーフィアス
世界樹の花嫁についてついに貴族たちが騒ぎ出している。
世界樹の花嫁がビッチでないと豊穣の加護が得られないという理由は、貴族たちが推し進めてきた世界樹の花嫁のサロン化を徹底的に破壊するからだ。
貴族による血統支配が進んでいるオークラム統合王国においてこの真相暴露は、貴族子女達のあり方すら変えるものになるだろう。
それを貴族たちは許容できない。
大賢者モーフィアスの失脚は本来それが絡んでいるはずなのだ。
……本来ならば。
「おかえりなさいませ。
お嬢様。エリー様」
「ただいま。
エリー様かっこよかったんですよ」
一緒に戻ったミティアの相手をするアルフレッドの顔を見に戻ったなんて言うつもりもないが、心が落ち着いてゆくのが自分でも分かる。
彼を英雄にしないために頑張っているのだ。
己の目標を再確認した後、控えていたアンジェリカに声をかける。
「この後枢密会よ。
大賢者モーフィアス殿を呼ぶそうで、少し時間があるからお茶にしましょう」
「私も手伝うわ」
そういえば、アマラは貸し出したのでメイド姿だったな。
この部屋に結構な人数が居るので一人ではきついというアマラの気遣いだろう。
二人のメイドがお茶を入れに部屋から出てゆく。
私は姉弟子様と向い合って、お師匠様のダイイング・メッセージを考えることにした。
「『モーフィアスって誰?』と来たか。
なかなか哲学的な問いかけよね」
姉弟子様の言葉にそのモーフィアスの末弟子であるゼファンが反応する。
このあたりがあるから、私と姉弟子様は言葉を注意深く選ばないとならない。
「モーフィアス様はこの国で誰もが知っている大賢者だ。
何を今更な事を言っているのだ?」
うむ。
私達よりモーフィアスに接していた人間がここにいるな。
ゼファンから情報を引き出してみよう。
「その大賢者がどうして枢密会に召喚されるのよ?
あの人そんなに敵多かったの?」
「天才というのは理解されないものだし、あの方は力もあった。
凡人の妬みなんていくらでもあっただろう」
ゼファンの言葉を聞いて私と姉弟子様は作戦の失敗を悟る。
考えてみれば、私や姉弟子様が師匠の悪口や都合の悪い情報を漏らすわけもない訳で。
けど、判断材料が欲しいから、ゼファンから見た大賢者モーフィアス像なるものを吐き出してもらおう。
「ゼファン君はその年で末弟子なんてやっているのだから、修行なんて大変だったでしょう?」
姉弟子様がまずは誘い水を向ける。
占い師は依頼者の知らないうちに依頼者の情報を集めるのが必須スキルとなっている。
この手のトークは私も姉弟子様もお手のものだったり。
「そうでもない。
大賢者はできない事をさせるような人ではないからな。
中々お会いすることはできないが、あった時に課題を与えられるのだ。
それができれば次の課題をという訳なのだが、一人ひとりに与えられた課題が違っていたりする。
あのお方が我々一人一人を良く知って、その適正に合わせて教えてくれている証拠だろう」
思った以上に優れた教育者らしい。
彼によって才能が開花した連中が多く居るというの事は、それだけ慕う人間が居る。
コネがあるという事だ。
何しろこの国の魔法の頂点を極めた人なだけに、コネは無駄なほどに広い。
おそらく、魔術学園だけでなく近衛騎士団、法院衛視隊、各騎士団、ヘインワーズ騎士団ですら大賢者モーフィアスのシンパがいると見ていいだろう。
そんな相手を敵に回しての政争なのだから、最悪彼を取り逃さないように拘束する必要すらあるかも知れない訳で。
「シド。
フリエ女男爵の所に伝言お願い。
『警戒を要す』。
彼女はそれだけで分かってくれると思うわ」
あえて何に対しての警戒を指示したのかぼかした命令に、盗賊の勘が働いたのかシドがニヤリと笑う。
が、何も言わずに伝言を告げるために部屋から出ていった。
王室法院の警護は当たり前だが法院衛視隊の独擅場である。
こう言っておけば、フリエ女男爵は大賢者モーフィアスのシンパを外して警備をするだろう。
「失礼」
ノックと共にアルフレッドがドアを開けると、サイモンが入ってくる。
こっちに寝返ったばかりなので、彼自身一番忠勤を努めなければ先がない事が分かっている為に容赦なく身内を売りにかかる。
「カルロス殿下ですが、逃亡の恐れがあるかと。
身柄を抑えておいた方がよろしいのでは?」
清々しいまでの裏切り方だが、ここまであけすけに言うのは神経が太くてしかも裏があるからなのだろう。
こいつに腹芸は不要だからさっさとぶっちゃけよう。
「で、本音は?」
「南部諸侯が担ぐ前に抑えてしまえと。
逃亡から反乱の旗印、南方魔族の介入はアリオス殿下もきついでしょうから」
それを実質的に主導していたお前が言うかよ。おい。
まぁ、現状での拘束は彼の命を助ける事になるから幾ばくかの情けもあるのかもしれないが。
「ケイン。
アリオス殿下の所に行って、カルロス殿下の法院出廷の許可を求めて頂戴。
理由はセドリック殿下のメリアス太守就任に伴う補佐うんぬんで。
セドリック殿下の了解も忘れないように」
そして、ケインを呼び寄せて耳元でささやく。
我ながらこの手の話に慣れたものだと自嘲しつつも台詞はすらすらと出て来る。
「貴方はその後法院から出て、花宮殿と王都南壁騎士団の警備区域境界に兵を伏せておいて。
カルロス殿下が逃げるようならば、捕まえるように」
「抵抗されたら?」
「逃してあげなさい。
それで南部諸侯が叩けるわ。
これもアリオス殿下に了解をもらって頂戴」
カルロス殿下が住む王宮の花宮殿は近衛騎士団が、この法院は法院衛視隊が抑えている。
逃げるとしたらわずかの道中しか無い。
これで、彼の未来が決まるだろう。
「了解しました」
ケインが出てゆくのを視線で追ってゆくと、まだサイモンが居てゼファンと話しているのが見えた。
「ゼファン君だったか。
まもなくモーフィアス様の馬車が法院正門に到着する。
出迎えに行くが途中まで一緒に行かないか?」
「あ、はい!」
大賢者モーフィアスの弟子でもあったサイモンの言葉にゼファンが弾かれたように立ち上がる。
この手の師弟関係はよく似ているものである。
なお、向こうで女帝として似たような事をしていた張本人が私の目の前に……
「絵梨。
何で私を見ているのかしら?」
「さぁ?
ゼファンもここはいいから行ってらっしゃいな」
感づいた姉弟子様を無視して私の話題そらしに気づかずにゼファンが立ち上がり一礼する。
「では、失礼させてもらう」
「いってらっしゃい」
ゼファン君を見送った姉弟子様が本音を日本語で漏らす。
漏れてもやばいから日本語でとの姉弟子さまの気遣いはありがたいが、だったら黙っていてほしいと思うが口に出せる訳もなく。
「一門出迎えって、どこの総回診よ」
「この国における象牙の塔の主ですよ。
ここから見えますよ。
見ますか?」
窓から法院玄関を眺めると、遠くからやってくる見事な大名行列が。
私達の世界の大名行列と違うのは駕籠ではなく馬車で、ローブ姿の魔術師が多く、持っているのが刀や槍よりも杖が多い所だろうか。
大賢者モーフィアスは王の友人として王宮である花宮殿に居住を許され、オークラム統合王国における古代魔術文明遺跡の管理を司ってその所在は弟子でも容易に掴むことはできない。
そんな彼が法院の召喚に素直に応じている時点で、待ちかねていたと白状しているようなものだ。
何かあったらあれ全員――一流魔術師か魔法騎士――とドンパチしないと行けない訳で、警備担当の法院衛視隊は頭が痛いだろう。
馬車から出てきた大賢者モーフィアスは白いローブを纏い、同じく白くなった髭を蓄え、三角帽子をかぶっての登場で私が最初に見た姿と同じ。
持っている杖は遠目から見ても業物で、彼の登場と同時に彼の弟子たちが一斉に頭を下げた。
「騎士に魔術師、鎧を着ていないのは文官かしら?
女性も多いわね」
「魔法ってのがあるお陰で、男性に対しての優位が得られましたからね。
腕力では敵いませんが、魔法攻撃や補助魔法で単体で相手ができるので、女性の方が魔術師志願が多かったりします。
で、世界樹の花嫁の設定と絡めると……」
私が続きを言おうとして、姉弟子様が意地悪な笑みを浮かべて続きを引き取った。
「贄が勝手にやってくると。
まあ、何かを得る力の代償が己の体ってのは分かりやすいわよね」
そんな話をしていたら、モーフィアスがこっちを見る。
帽子越しだが、明らかに笑ったのがわかった。
その笑い方でなんとなく悟ってしまった。
こっちがモーフィアスを待ちかねたのに気づいている。
モーフィアスもこの瞬間を待ち望んでいたのだと。
「気づいてますね。向こう」
「ええ。
はじめて見たけど、あれは厄介そうね」
「そりゃそうでしょう。
うちの師匠に勝った人ですよ。あれ」
こういう時異世界における日本語は便利だ。
やばい話をしても、誰も理解できないからだ。
姉弟子様が獰猛な笑みを浮かべる。
あ。火がついたな。これ。
「じゃあ、師匠の仇は弟子が討たないと」
「待ってください。
引っかかることがあるんですよ」
姉弟子様の闘気に水を差しながら私は口に出して自分の考えを整理する。
どうしてもひっかかる事があったからだ。
「モーフィアスの目的って何だと思います?」
王権が弱体化し、諸侯の権力争いが激しい現状であの大名行列を見せられたら権勢とも思えない。
大賢者モーフィアスは下手な諸侯より影響力があるだろうし、実際ヘインワーズ侯と組んで私を召喚して見せたのだ。
権勢が著しいならば財が目的でもないだろう。
「どうしました?
エリー様?」
「なんでもない。
気にしないで」
気づいたミティアが私に尋ねるが、私は首を横に振った。
世界樹の花嫁?違う。
国王の親友を称号に入れているのだからミティアの秘密も分かっているはずだ。
何かが足りない。
何かが引っかかる。
それが分からない。
「お茶の用意ができました」
「ありがとう。
アンジェリカ。アマラ。
あれ?
この焼き菓子は懐かしいわね。
華姫調教の時の楽しみだったのよ」
私が懐かしそうにアマラから焼き菓子を摘む。
小麦粉も砂糖もあっちからの持込だからはるかに美味しくなっているそれをアマラが胸を張って自慢する。
「オババに教えてもらったのよ。
エリーが懐かしむ食べ物はこれだって」
そりゃ、調教時の楽しみでしたから。
同じ目にあっているオババやお師匠様……ちょっと待て。
お師匠様は、花姫に堕ちたゼラニウムはどうやって日本にやってきたんだ?
花姫に堕ちたという事は、必然的に魔術から離れた場所に置かれたという事。
腕が鈍るまではいかないかもしれないが、それゆえに落ちた腕で高難易度呪文なんて使えるわけが無い。
時空転移は文字通りの禁呪だ。
実際に私を召喚するためには遺跡の魔力……っ!!!
そうだ。
遺跡の管理はモーフィアスがしている。
彼のガーディアンを花姫に堕ちたお師匠様が排除できるとは思えない。
お師匠様をこっちに送ったのはモーフィアス以外にありえない。
なんで?
「モーフィアスがお師匠様を日本に送った?
どうして?」
「何を言っているの?絵梨?」
こっちの日本語のつぶやきに姉弟子様が反応する。
明らかに顔色が変わった私達二人に周囲も顔色を変えるが、私達が何を言っているか分からないので困惑しているのだろう。
そんななか、ぽちが気にせずにお皿の焼き菓子を美味しそうに咥えてしっぽをふる……!!!
「何で私はこの世界に呼ばれたの?」
「あのモーフィアスがヘインワーズ侯をだまくらかして呼んだんでしょ?」
私の漏れでた悲鳴に姉弟子様が冷静に突っ込むが、私は首を横に振って黒髪を振り乱す。
「違います!
最初の召喚!
あの時は一人荒野に投げ出されて……!」
そうだ。
あの時『ザ・ロード・オブ・キング』の時間には既にモーフィアスは歴史に消えていた。
で、彼の弟子か何かが禁呪に手を出した。
そして召喚魔法が中途半端に成功したのだろう。
じゃあ、私は本来何処に呼ばれるはずだった?
「……きゅ?」
誰もいないヘインワーズの隠し砦。
隠し部屋に揃えられていた魔術教材。
傷だらけの守護竜の遺体と卵だったぽち。
分かっていたではないか。パトリだ。
「私はあそこに召喚されるはずだった。
何がずれた?何でずれた?
モーフィアスは何をしくじった?」
いつの間にか声に出していた私の呟きは、不意に抱きしめられる事で止められた。
抱きしめてくれたのは姉弟子様だ。
「落ち着きなさい。絵梨。
答えは、貴方の中にあるはずよ」
占い師としての姉弟子様の声が私を冷静に戻してゆく。
占いというのは、依頼者が疑問を持っている時点でその答えは本人の中にある事が多い。
その本人の答えを導いてあげるのが占い師というものでもあるのだ。
「みっともない所をお見せしました。
水樹お姉さま」
顔を赤めながら苦笑する。
彼の失敗その一は、召喚時に彼が居なかったこと。
これは間違いがない。
それだけ時間が経過したのが想定外だったのだ。
そして、失敗その二は、こっちの時間が進みすぎた事。
お師匠様から母を経由して私へ。
三代もまたぐとは思っていなかったのだろう。
そうなると疑問が出て来る。
一回目の召喚に失敗したのに、時間的には過去になる二回目の召喚にどうしてモーフィアスは成功したのか?
無数にある世界の中から、私の世界を見つけ出す。
送り出したのだから、それは可能だと考えよう。
だが、その送り出した世界の時間の早さが違っていた。
そうして私が『ザ・ロード・オブ・キング』に召喚され、魔術師として大成した私は帰った事で、『世界樹の花嫁』の時間であるモーフィアスの召喚に引っかかった。
お師匠様であるゼラニウムと間違って認識されて。
姉弟子様は凄いと苦笑するしか無い。
女帝と恐れられる占い師の直感は、「こっちの敵討ち」と私の前に答えを出していたのだから。
それを恐れてか、また別な理由かは後で聞けばいいだろう。
だから、その運命を皆にもわかるように向こうの言葉で口にした。
「大賢者のモーフィアスの狙いは私よ」
厄介な逆行ループの始まり。
ロジックエラーが出てもとりあえず終わらせて、後から修正をかける予定。




