閑話その三 姉とシドと私とエリー
アマラ視点
私は両親を知らない。
スラムで盗賊ギルドに拾われただけ幸せだったのだろう。
その先に娼婦しか道はなかったとしても、私はこうして今を生きていられる。
「この娘かい?
名前は?」
ギルドの人間につけられた適当な名前を言うと、あの人は笑った。
何が可笑しかったのだろうと首をかしげたが、その後の言葉は今も忘れる事ができない。
「娼婦にも男を喜ばす名前ってのが必要なわけ。
そうね。
アマラって名前はどうかな?」
そうして、後に姉と慕う事になった華姫によって、私の名前はアマラとなった。
姉は、ギルドマスターの華姫として王都より連れてこられた。
元々は諸侯の華姫だったらしいが、代替わりによる経済的窮乏でその飾りがいらなくなったという事で華市場に戻っていたのをギルドマスターが借金のかたとして引き取ったらしい。
抱かれもしたのだろうが、ギルドマスターが欲しかったのは彼女が無意識に溜め込んでいた王都と諸侯の情報だったのだろう。
だからこそ、ある意味用済みとなった彼女の為に『夜の楽園』が作られ、客を取りながら私達がそれを学ぶことになる。
私の初めてはいつだったか、相手も実は覚えていない。
ただ覚えているのは、初めての後で姉が頭を撫でてくれた事。
痛くて、それ以外の何かが溢れて、私は姉に抱きついて泣いた。
その後、私は姉の見よう見まねによって、泣く事から鳴く事を、喘ぐことを覚えた。
シドと会ったのはたしかその頃だったと思う。
私や他の娘は盗賊ギルドに所属しているので、必然的にギルドの仕事も仕込まれる。
その為荒くれ者達の懐柔と私達の実地訓練も兼ねてギルドの構成員に定期的に使われるのだ。
その日、使われて体を洗おうと身を起こした私に服を投げてよこしたのがシドだったのだ。
「私を使うの?」
「あいにく、股を開いている女に興味はない」
「あっそ」
ひどい言い草だが、ギルドマスターの孫ともなるとそのあたり冷酷なまでに教えられるから分からなくもないが、第一印象はそりゃ最悪だったものだ。
後で知ったが、ギルドマスターの孫だからこそ、当時から利権を求めた有象無象が取り付いていたらしい。
で、シドの筆おろしは姉が担当したらしく、姉の所に通うシドと幾度かすれ違う事が多くなった。
シドとの距離が縮まったのはいつだっただろう?
思い出した。
戦闘訓練の時、投げナイフでシドに勝った時だ。
負けず嫌いのシドはそれから何度も勝負を挑み、気づけば自然とシドと寝ることも増えていったと思う。
そんなある日、私達娼婦にチャンスが訪れた。
姉のせいで私を含めた数人に奴隷商人が目をつけたのだ。
向こうでの陵辱調教の果てに華姫になれるのならば、栄華が待っていると私を含めた全員が売られることを希望した。
けど、私だけが残ることになった時、私は姉に不満をぶちまけたのだ。
「どうしてですか!
私は他の娘達と技量も愛嬌も劣っていない!
なんで私が外されたんですか!!」
あの時、姉は少し困った顔をして真相を私に漏らしてくれた。
「シドがね。
貴方が行くと決めてから、少し荒れているの。
気づいてた?」
その時の私は何を言っていいか分からず、内からあふれる感情に自分を制御することで精一杯だった。
ただ、自分とシドの関係が世に言う恋愛に近いものだと姉だとはいえ他人から教えてもらった事に私は動転していたのだろう。
その夜、枕元に忍び込んできたシドに私は尋ねずにはいられなかったのだ。
「なんで引き止めたのよ。
私、いい女になって帰ってくるつもりだったのに」
「けど、その時は他人の飾り華だろ。
俺のものじゃなくなる」
その言い草がおかしくて私達は顔を見合わせたまま笑った。
男の上で腰を振ることしかできない女に、シドは俺のものになれと言っている矛盾がおかしくて愛しかったのだ。
「私、これからも貴方以外と寝るわよ」
「構わないさ。
お前はただ股を開いている女じゃないだろ」
「そんな女に服を投げてよこした貴方が言う?」
互いに愛しながら言葉でそんな風にじゃれあう。
そうして互いに互いが好きになっていたという好意に嫌でも気づいてゆく。
「普通の娼婦は、俺を見たらその先に爺さんを見て必死に使ってくれと懇願するんだ。
けど、お前は『あっそ』ときた。
それに惚れた」
「……疲れて考えるのが面倒になっただけよ」
「そこが気に入った。
『ギルドマスターの孫』じゃなくて『シド・ベルディナッド』しか見ていなかったのは、あの時お前だけだったんだ」
こいつは出会った最初から負けず嫌いだった。
で、そんなシドが私はやっぱり好きなんだってその夜思い知った。
一番感じて、一番感じたこの夜に思い知らされた。
だから、シドの役に立ちたい。
シドと共に歩きたいとこの夜に私は誓ったのだ。
だから、朝、シドが去った後にニヤニヤ顔の姉に私は尋ねざるを得なかったのだ。
「姉さん。
ここに居ても華姫になれるかな?」
優しく、愛おしく、美しく華姫たる姉は私にその名前を教えてくれた。
その意味を私に教えることなく、その名前を教えてくれたのだった。
「そんな娼婦を『花姫』って言うのよ」
と。
姉は私の教育にすべてを注いでくれた。
華姫の寿命は短い。
王都で長く生活していた姉の寿命が短い事は、姉自身が一番良く知っていた。
だから、自分の分身を作るように丁寧に愛情と命をこめて姉は私を教育していった。
まるで、いなくなる私の代わりに私を残すように。
「私達の間ではそれを接ぎ木って呼んでいるの。
華だけしか咲けずに、実をつけない私達の繁殖方法」
姉の自若的な笑みが私は好きではない。
姉の過去に何があったか知らないが、今や姉はメリアスの歓楽街における闇の華としてその大輪を咲き誇っている。
私はそんな姉が自慢だったし、誇りに思っていたから姉みたいな華姫になりたいと真剣に思っていたのだった。
『華姫』と『花姫』の違いすらわからない私の憧れに姉はどのような感情を持っていたのだろう?
思い出すのは、少し困った顔をしながらも笑っていた姉の顔。
そんな姉に寿命が近づいていた。
なまじ若さが維持され続けているから、その徴候は徐々に現れてゆく。
体調不良、食欲低下、睡眠障害、感覚の低下等で命の炎が無くなりつつある事を知らせるのだ。
そして、多くの華姫達は歪んだ己の人生の幕を自分で閉じてゆく。
姉にとって、最後のとどめは娼婦としての私の完成だった。
「アマラ。
私、そろそろ死ぬわ」
まるで朝食はパンにしようと言わんがごとくあっさりとした口調で、姉は私に人生の終幕を告げた。
私も覚悟はしていたが、ショックがなかったと言えば嘘になる。
「じゃあ、石化を?」
「うん。
魔法陣とかの作業があるから、二週間後かな。
その間に、私についていたご贔屓さんは全部アマラにあげるわ」
あっさりと、それでいてあまりにも自然に物言いに私は尋ねずにはいられなかった。
死について。
けど、姉は昔のように私の頭を撫でながらこう言った。
「怖くないと言ったら嘘になるわ。
けどね、私が怖くないのは、アマラ。
貴方がいるからよ。
私の生きた証が、貴方に残せるから私は安心して死ねるの。
石像になって見守ってあげるわ」
姉が泣いていた。
涙が溢れているのに、それでも私のために微笑んでいる。
私も泣いているのだろうが、それを認めたら姉の努力が壊れてしまう。
「幸せになりなさい。アマラ。
私の最愛の花姫。
あなたが実をつける事を、私は石像になって見守ってあげるわ」
姉はシドにも挨拶をしたらしい。
シドも褥で色々言ったみたいだが、姉の最後を変えることはできなかった。
姉は石化する最後まで私とシドを付き添わせた。
それは華姫という業の終焉を私とシドに見せつけるため。
けど、華姫というものの本性を知らない私には、その最後まで含めて『憧れ』という呪いになった。
では、そろそろ、その呪いを解いてくれた、私の新しい友人の話をしよう。
姉の石化から数ヶ月経って、私は名実ともにメリアスの闇に君臨する大輪の花となった。
とはいえ、華姫ではない事が地味に中傷として耳に聞こえており、やり場のない苛立ちを持っていた時期でもあった。
シドも半人前から一人前に脱却すべくギルド内での修行と仕事にあけくれており、互いにすれ違いが多くなっていた時にシドが『夜の楽園』に来ていることを知った。
顔を見たい。
他愛無い話をしたいと思って、部屋から出た私の耳に聞こえてきたのは知らない女の声。
「いや、ヘインワーズ家門とすればその選択が正解だけど、それだと私トカゲの尻尾きりで潰されるじゃない。
街作って御領主様なら逃げられる可能性があるから」
「けどさ。お嬢。
俺がベルタ公側だったら迷う事なくお嬢は粛清リストに入れるぞ」
「ですよねー」
シドは何をやっているのだろう?
お嬢?
なれなれしくシドが呼んでいる女って誰?
姿を見ると見慣れない衣装だが、多分娼婦だろう。
娼館長が止めないという事は、その了解を得ているという事。
私の知らないあの部外者が当たり前のように私の城であるこの娼館の中で会話をしている。
それが少しむかいつたので私は割って入ることにした。
「ちょっと!
シドも馬鹿に付き合ってないでこの人止めてよ!
仕事になりゃしないじゃない!!!」
腰まで届く美しい黒髪に華やかな飾り紐がつけられ、肌はなめらかでその艶が真面目そうな顔に凛とした雰囲気を与えている。
その黒目は鋭く、相手の心を見透かそうとするので見つめられるとちょっと怖い。
発育は悪くはない。
けど、彼女が着ている衣装は見たことがない。
素材から考えると、下手すれば金貨十数枚レベル。
少なくとも貧乏人ではない。
「この人シドのいい人?」
「そうよ」
「なっ!
何言ってやがる!!」
私とシドの関係に気づいて即座に確認に入るか。
馬鹿でもない。
まあ、胸に視線を移した先にきらめく銀時計の鎖と大勲位世界樹章と五枚葉従軍章が偽物でないならばこれはお遊びだろうが、間違いなく貴族と見た。
だからこそ、私はシドの狼狽をよそに貴族の儀礼で彼女に挨拶をする。
向こうも貴族の儀礼で挨拶を返してきた。
出てきた名前は超がつく大物だった。
「イベリス鐘の家門に連なる者で花園の花の一輪かつシドの幼馴染、アマラと申します。
どうぞよしなに」
「シボラの街の君主に連なる者の娘で世界樹の花嫁候補生、エリー・ヘインワーズと申します。
どうぞよしなに」
世界樹の花嫁。
望めば貴族の正妻や側室も思いのまま、運が良ければ王妃まで狙えるこの国の女性の憧れでもある。
なんでそんな候補生がここで娼婦まがいなことをしているのか?
『君主に連なる者の娘』?
こいつ、ヘインワーズ家の代役?
私の名前は、部屋貴族や屋敷貴族の主な収入源で、こうやって身分をロンダリングする事で箔をつけている。
たとえば私の苗字はすでに潰れた部屋貴族の借金のかたで、鐘は始まりや終わりの合図であり、イベリスの花言葉には『誘惑』って意味がある。
こいつヘインワーズの血族じゃないかもしれないが、ヘインワーズの名乗りはさせているから傍系子女を養子にでもしたのかもしれない。
ヘインワーズ侯爵とベルタ公爵の世界樹の花嫁をめぐる確執はメリアスの夜の闇にも届いている。
「で、シドのお味はどうだった?」
「最初カチカチでキスするのにも手が震え……」
「頼むからそんな話はせめて俺の居ない所でしてくれないか」
彼女はこっち側の人間だ。
そして、世界樹の花嫁争いにシドを利用しようとしている。
それはシドの能力なのか、ギルドマスターの孫というコネなのか私にはわからない。
けど、それを確認するならば、こちらの主張は言っておこう。
「第二夫人で手を打つからシドの事よろしく」
「突っ込んでくるわね。
周りの商人ですらリスクを恐れて手を出さなかったのに」
「だって、一期一会に愛を囁くのが私達の生き様でしょ。
ならば、その出会いに全力を尽くさないと」
言い切って笑う私に、彼女も笑う。
お互い笑顔なのに目はまったく笑ってないのはご愛嬌。
「ねぇ。
そこまで言うのならば、私が貴方を『買いたい』のだけどどう?」
「あら、私は高いわよ」
「残念。
今は資金繰りに苦労しているけど、私、貴方より『高い』ので」
「大変ね。
高値で売らないと『売れ残っちゃう』人は」
ぴきっ!と部屋の空気が凍る。
私も彼女も営業スマイルのまま。
「おい」
流石に見かねたシドの一言で二人とも我にかえる。
そして二人とも私は扇で、彼女は手袋をした手で口をかくして同じように笑った。
そして仲直りの握手。
なぜかガン飛ばして握られた手が痛いし向こうも痛いはずなのだが、仲直りである。
「あら失礼。
おほほ」
「ごめんあそばせ。
ほほほ」
シドと同じく、第一印象はそりゃ最悪。
これが私と元華姫で親友(友達料契約更新中)でもあるエリー・ヘインワーズとの出会い。
「おはよう。
オババ。
あなたいつもここに居るわね」
「行く場所もなくってね。
こうしてこの娘の相手をしているのさ。
これがあんたの姉かい?」
世界樹の花嫁候補生であるエリーの元にはトラブルと権力闘争の種が容赦なく飛び込んでくる。
私が近衛騎士のサイモンに堕とされかかったり、世界樹の花嫁襲撃事件が発生し、メリアス盗賊ギルドが壊滅的打撃を受けたり。
それでも、こうして『夜の楽園』がメリアスに居を構えていられるのは、エリーのおかげである。
で、そんなエリーがつれてきたこのオババは華姫になりそこねたという経歴があって、自然と私と仲良くなった。
「綺麗でしょ。
私のお姉さん」
「ああ。
綺麗さね」
娼婦たちの休憩室の端に、姉の石像は飾られている。
生まれたままの姿のまま、私の思い出と変わらない笑みを浮かべて私達を見つめている。
「何やってんだ?アマラ?
そろそろ行かないと遅刻するぞ!」
盗賊ギルドの騒動からシドはここで暮らしている。
けど、私はそれに手を回したエリーの事も知っている。
彼女からもらった恩と言う名の友達料は莫大な金額になることをいやでも理解している。
だから、エリーが困ったときには、手を貸してやろう。
微笑んで、私に手をかしてくれた姉のように。
「あ、待ちなさいよ!
シド!!
……行ってきます」
オババと姉の石像に声をかけて、慌ててシドの後を駆けて私は魔術学園に向かう。
なれたもので、近道でもあるスラムの中を高級子弟しかいけない魔術学園の制服で駆けて行く。
それにスラムの人間は気にもしない。
「今日はお嬢の登校日だったよな。
無理難題言われないといいが」
「それぞ無理じゃない。
あれ、男の上で喜んで腰振ってても、やらないといけない事は絶対忘れないタイプだから」
「……お前もああなるの……っ!
悪かったから、無言で投げナイフ飛ばすのやめろって!!」
こんな風にじゃれあう事ができるなんて思っても見なかった。
あのスラムからこうして抜けられるとは思っても見なかった。
だからこそ、私はエリーに、そのエリーの目にとまるだけのものを教えてくれた姉に今でも感謝している。
そんな日々がとても愛おしくて楽しい。
ゲーム的解釈だと、アマラが華姫になる為に売られてしまい、シドが取り残される形で『世界樹の花嫁』がスタートするんだろうなと書きながら思った。




