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「レモン~♪」
「やめろって、世知!」
廊下で世知が抱きついてくる。
僕がトイレに行くため教室を出たことに気づいて、追いかけてきたのだろう。
「くふっ♪ いいではないか、いいではないか!」
「よくない! 僕はこれから、トイレに行くんだから!」
「だからこそよ♪」
「だからこそって、トイレの中までついてくるつもりか!?」
「もちろん♪」
「ダメに決まってるだろ!? だいたい、女の子を伴ってトイレに入ったら、他の生徒だってびっくりしちゃうよ!」
「びっくりさせておけばいいのよ! 私とレモンの仲なんだし♪」
「仲ったって、単なる幼馴染みなだけだ!」
「もう、レモンってば、正直じゃないな~。体は正直なのに~」
「な……なんのことやら!」
なんか、同じような会話を以前に交わしたような気がする。
前のときは教室の中だったと思うけど。
「にひひひ! お前らは相変わらずだな~! レモン、あんまりイチャついてると、苺香ちゃんにまた告げ口するぞ~?」
そしてこちらも以前に聞いたことがあるようなセリフを添えて、剣之助が僕たちの会話に割り込んでくる。
「おい、剣之助! 『また』ってなんだ!? すでに一度告げ口をしたってのか!?」
「一度ならず二度までも!」
「なぬっ!?」
「二度あることは三度あって、仏の顔も三度までだよ!」
「何度も告げ口して、すでに苺香はご立腹!?」
「な~んてな! 嘘に決まってるだろ!」
剣之助は剣之助で、僕のことをこうやってからかってくる。
なおそのあいだ、世知はずっと僕に絡みついたままだった。
それもまた、いつもどおり。
トイレに行くだけでも、なんだかんだで騒がしい。
それが僕たち仲よし三人組というものだ。
周囲の目は白いけど、まぁ、今さらどうということはない。
さすがに世知が男子トイレに入ってくることもなく、無事に用を足したあと。
世知が女子トイレから戻ってくるのを待って、僕たちは教室へと帰る。
その途中――。
「あれ? なんか……誰かに見られてるような気が……」
僕の言葉に、世知と剣之助も辺りをうかがう。
「ん~~~~、誰かに見られてるのなんて、いつものことじゃない?」
「うん、そうだよ。なにせ俺たち、結構有名人だもんね!」
世知も剣之助も全然取り合ってくれない。
「悪い意味で、だけどね」
僕のほうも軽口を返し、気のせいだったのかなと結論づける。
だけどそれからも、休み時間にトイレに出たり昼休みに食堂へと向かったりするあいだ、なんとなく視線を感じるといったことが相次いだ。
「にひひひ! レモンの考えすぎじゃないか?」
「そうよぉ~。苺香ちゃんがあんなことを言ってたから、ついつい気になっちゃってるんじゃないの~?」
確かに妹の苺香は、オンライン上で誰かに見られている、というような発言をしていた。
でもそれは、あくまでもオンライン上での出来事。現実世界にまで影響が及ぶはずはない。
そもそも苺香は中学生だから、今ここにはいない。
苺香の件とはまったく別ものと考えるべきだろう。
「苺香のことは関係ないよ。ただ、視線を感じるのは間違いなくて……」
これだけ続けば、いくら鈍い僕でも心配になってくる。
不安をありありと浮かべた僕に、世知はいつもよりも強く抱きついてきた。
「大丈夫! この私がついてるからね♪」
「にひひひ! ついてるっていうか、くっついてるけどね! おっきな胸も含めて!」
「いや、それはすごくいいんだけど……って、なにを言わせるんだよ!」
「レモンが勝手に言ったんじゃないか! 苺香ちゃんに告げ口だ~!」
「やめろっての!」
いつもながらのおバカな会話が展開されれば、不安な気持ちなんて吹き飛んでしまう。
これがこいつらなりの気遣いなのだ。
そうだな。気にしていても仕方がない。
だいたい学校の中で危険にさらされるなんて、そんな可能性は皆無に等しい。
素行の悪い生徒に目をつけられ、因縁を吹っかけられるとかなら、ありえなくもないけど。
もし仮になにか危険な目に遭ったとしても、いつでも友人ふたりがそばにいるし、他の生徒や先生だっている。
僕は安心して学校生活を続けていればいいんだ。
そんな僕の考えは、間違ってはいなかった。
とはいえ、危険こそなかったものの、視線を感じていたのはやっぱり気のせいなんかではなかった。
放課後、下駄箱で靴に履き替え、昇降口から外に出た。
僕は当然ながら、世知や剣之助と一緒だった。
世知が僕に抱きついているというのも、わざわざ言うまでもないことだろう。
……いや、普通に考えたらおかしな状況なのかもしれないけど。
慣れというのは恐ろしいものだ。
凄まじく歩きにくいけど、いつものことだし仕方がないか、なんて思っているのだから。
もっとも、そんな状態は正門前までとなる。
世知はこのあと徒歩で駅に向かい、僕と剣之助は自転車置き場まで向かうからだ。
僕たちは3人とも同じ中学校出身だけど、この高校までは電車で3駅ほどの距離がある。
そのため、家から駅が近い世知は電車を使い、そうではない僕と剣之助は自転車で通学しているのだ。
今日も正門前で手を振り合い、徒歩の世知と分かれる……はずだったのだけど。
そうならなかったのは、ちょうどそのタイミングで、不意に僕たちに近づいてくる人影があったせいだった。
「……ちょっといいかしら……」
「うわっ!?」
いきなり至近距離から聞き覚えのない声が響き、猛烈にビビった。
正確に言えばチビった、というのは内緒にしておきたい事象だ。とくに苺香には。
声をかけてきたのは、ひとりの女子生徒だった。
ショートカットだけど髪の分量が多めなのか、ぼわっとした印象を受ける。
前髪も長く、目までほとんど隠れているのが、神秘的な雰囲気をかもし出している。
さらに、胸は世知と比べても引けを取らないどころか、完全に勝っているほどの大きなサイズ。
男としてはどうしても目が行ってしまう。
「な……なんでしょうか?」
ちらちらと下に視線を落としつつも、代表して僕が答える。
世知と剣之助は、僕の背中に隠れるようにして控えていた。
ふたりとも、人懐っこいイメージしかないけど、その実かなりの人見知りだったりする。
「……少しお話したいの。今、時間ある……?」
僕たちは顔を見合わせ、小さく頷く。
「はい、大丈夫です」
僕が答えると、わずかに微笑み、その女子生徒は僕たちを校舎脇の木陰までいざなった。
「……ボクは2年の艦槐。いきなりごめんなさいね……」
「あっ、先輩だったんですね」
雰囲気的に、なんとなくそんな気はしていたけど。
自分のことを『ボク』と言うのも、なんだかミスマッチなような、それでいてよく似合っているような、なんとも不思議な感じだった。
「い……いくさぶね、なんて、すごい名字ですね!」
「あ、あと……えんじゅって名前も、とても可愛らしいです!」
世知と剣之助も、それぞれに言葉を続ける。
人見知りな部分のあるふたりだから、とりあえず相手の名前を褒めておこうというのが見え見えだったけど。
「……ふふっ、ありがとう……」
えんじゅ先輩は、素直に喜んでくれたようだ。
こちらからも自己紹介を返したのち、
「それで、先輩。僕たちになんの用でしょう?」
僕は率直に質問してみた。
えんじゅ先輩に声をかけられた理由がまったくわからない。まずはそれを聞くのが先決だ。
「……ボク、今日ずっと声をかけようとしていたの……。でもなかなか、勇気が出せなくて……」
なるほど。僕がたびたび感じていた視線は、えんじゅ先輩のものだったのか。
「どうして声をかけようとしたんですか?」
「……それは……以前から気になっていたから……」
えんじゅ先輩は廊下で何度か僕たちとすれ違ったことがあるらしい。
そこでふと耳にした僕たちの会話の中に、ある単語が出てきたため、ずっと気になっていたのだという。
その単語というのが、『苺ぱるふぇ・オンライン』だった。
「……しかも、オンライン上でたまに見かける人たちが、どうやらあなたたちみたいで……」
詳しく聞いてみたけど、えんじゅ先輩がオンライン上で見たというのは、僕たちのことに間違いなさそうだった。
それがわかると、先輩はパーッと明るい笑顔をこぼす。
「……よかった……」
通常、VR系のゲームで相手の素性を詮索するのはタブーとなっている。
基本的にほとんどの人が、現実世界でのことについては安易に話したりはしない風潮となっている。
だからこそ、僕たちの素性を突き止めることができて喜んでいる……?
そんなふうに考えてはみたものの、なんだかしっくり来ない。
怪訝な表情を浮かべる僕に向けて、えんじゅ先輩はさらに言葉を加えた。
「……あの……オンライン上では他にもひとり、一緒にいたわよね……?」
「ああ、はい。苺香――いちごですね」
「……そうそう、いちごちゃん。イチゴミルクって名前は見ていたわ……。あの子はどこ……?」
苺ぱるふぇ・オンラインでは、相手の顔を見つめれば、名前とクラスとレベルがわかるようになっている。
それは知り合いだけでなく、見ず知らずの人であっても同じなのだ。
「いちごは中学生なので、ここにはいません」
「……あら、そうなの……」
えんじゅ先輩は一瞬で、しゅんとした表情に変わる。
そしてしばらく考え込んだあと、こんなことを訊いてきた。
「……今日は、オンする予定……?」
「ええ、まぁ」
「……いちごちゃんも……?」
「はい。僕たちはいつも4人で冒険に出てますから」
僕が答えると、えんじゅ先輩は、
「……それじゃあ、またあとで会いましょう。町の公園で待ってるわ……」
とだけ一方的に言い残し、足早に僕たちの前から去っていった。