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「いちご……お前、なんてことを……!」
僕は怒りに震える声を吐き出す。
一方のいちごは、涼しげな表情を崩さない。
「ペットなど、心が満たされていれば不要なものです。そもそも、薄汚れた動物をそばに置いておくなんて、意味がわかりません。斬り捨ててなにが悪いというのですか?」
「黙れ! そんなことを言うな! いちごに、そんなことを言わせるな!」
激しく怒鳴りつける。
いちごはそんなこと、絶対に言わない!
口は悪いけど、いちごは心の優しい女の子なんだ!
「なにを言ってますの? わたくしはイチゴミルクそのものですよ?」
「違う! お前なんかいちごじゃない!」
「現実を受け入れられないとは、実に愚かな人間ですね」
なんと言われようとも、僕は揺るがない。
「いちごは、川原に捨てられていた子猫を可愛がっていた、自慢の妹なんだ!」
「捨てられていた子猫ですって? そんなもの、薄汚れた動物以外の何物でもないじゃないですか」
「まだ言うか!」
お前の言葉になんか、耳を貸す価値もない!
「いつものいちごに戻ってくれ!」
僕はいちごにぐっと身を近づける。
いや、顔を近づける。
というか、唇を近づける。
「んん……っ!?」
いちごが目を丸くする。
手から滑り落ちた剣が、床にぶつかって乾いた金属音を響かせる。
僕はいちごの唇に、自分の唇を思いっきり強く重ねていた。
いちごらしからぬ発言を止めるために。
そして、僕の中にある熱く激しい想いを直接伝えるために。
「な……なに、を……っ!」
必死にもがくいちご。
制止しようと声も発するけど、唇はほとんど塞がれている状態。
言葉になるのは途切れ途切れ。それ以外は、ぴちゅぴちゅと音が鳴る結果にしかならなかった。
僕はひたすら強く、濃厚なキスをする。
ここまでのキスを僕のほうからはするのは初めてだ。
というか、苺ぱふぇ・オンラインで夫婦になった結婚式でのキス以降、ある程度ラブラブしていた時期もあったとはいえ、まともにキスもしていなかった。
だからこそ、衝撃的な出来事となる。
そんな意図もないわけじゃない。
でも実際には、もっと過去の記憶を呼び起こすため、という理由のほうが大きかった。
幼い頃、いちご……いや、苺香が僕にしてくれた、おまじないのキス。
苺香本人は両親のマネをしただけで、純粋に僕を励ます以外の目的はなかったはずだけど。
あのときのキスは、苺香のほうから舌まで入れてきて、とても長い時間をかけた濃密なものだった。
記憶の中で幾分誇張されている可能性もあるけど、僕にとっては凄まじい衝撃だった。
そんなふうに感じていたのは、僕だけだったとは思う。
それでも、いくら幼くて記憶がぼやけていたとしても、苺香は小学三年生だったのだ。
まったく覚えていない、というのもおかしい。
苺香、思い出すんだ。
失恋して落ち込んでいた僕を慰めてくれた、あのときの気持ちを。
大切な家族である僕を元気づけようとしてくれた、あのときの純粋な気持ちを。
と言いつつ、実際に今の僕たちは、幼かった当時とは違っている。
大好きないちごとのキスで、僕は興奮を覚えていた。
理性が抑えきれず、ひたすらいちごの唇に吸いつき、キスを楽しみ始める。
いちごからはいい匂いも感じられるし、なんだか体全体が熱くなってくる。
「はう……」
足に力が入らなくなったのか、いちごがその場に倒れ込む。
僕はそんないちごにのしかかるようにして、さらにキスをし続けた。
手を伸ばす。
いちごの、胸の辺りに。
小ぶりではあるものの、温かくて柔らかく、程よい弾力もある感触がしっかりと伝わってきた。
触れる!
苺ぱるふぇ・オンラインでは、胸やらお尻やらに触ったりできないようになっている。
キスだって普通はできない。
結婚すればキスはできるようになるけど、それだって現実とは違う感じだった。
だけどこの世界では、現実世界と同様になんでもできてしまうのか?
僕は好奇心と興味と欲望のまま、いちごの体に絡みつく。
胸やお尻に触れることはできた。
一方で、下着の中にまで手を入れることはできなかった。
ある程度の規制は働いている。そんな感じだろうか。
「や……やめなさい、なにをしているのですか、あなたは!?」
いつの間にか、唇が離れてしまっていた。
いけないいけない。
いちごの体に触れることにばかり集中して、当初の目的を完全に失念していた。
「ありがとう、いちご。思い出させてくれて。だからいちごも、思い出して!」
再び、唇を重ねる。
ねっとりと、舌も絡めていく。
だ液を通して――だ液に含まれるDNAを通して、気持ちを伝える。
ここはヴァーチャル世界だし、実際に僕のだ液がいちごの口の中に入っていくわけではないけど。
僕といちごの兄妹の絆を通して、想いのすべてを流し込む。
エンドレスレインの施した記憶操作とやらが、どういうものだったのかはわからない。
この世界の神であるヤツのしたことだから、抗うすべはないのかもしれない。
だとしても、どんな世界であっても、絶対の存在なんてあるはずがない。
信じ合う心があれば、奇跡は起こる!
僕といちごは、兄妹であり、夫婦なのだから!
気持ちを込めて、唇を押しつけ続ける。
いちごにのしかかっている体勢。
いつかみたいに、押し倒しているような格好だ。
あのときは僕の部屋のベッドの上で、結局なにもできなかったけど。
今は体に触れ、キスをしている。
その点だけ考えれば、嫌がるいちごを無理矢理……といった状況とも言える。
だけど、今のいちごはいちごであっていちごではない。
洗脳されている。
いわば、偽物のいちごに体を乗っ取られているだけに過ぎないのだ。
この僕の行為は、いちごをもとに戻すために必要な儀式。
いちごだって、洗脳から解けて正常になったあとには、キスしたことも体に触ったことも、笑って許してくれるに違いない。
兄者、ありがとな! そこまでしてあたしの心を取り戻してくれて!
こんな言葉を伴って、感謝すらされるのではないだろうか。
……という想像は、案の定、僕の勝手な妄想でしかなかった。
「な……なにしてやがるんだ、このクソ兄者! あたしから離れろ!」
いちごが力任せに僕を突き飛ばし、怒りの形相で怒鳴りつける。
「勝手にそういうことするなって、何度も言ってるだろ!? いくらゲームの中で夫婦になったからって!」
床に腰を打ちつけながらも、僕は笑顔だった。
口調が、戻っている。
いちごの心が、もとに戻っている。
偽物のいちごは――丁寧口調で喋るなどというありえないいちごは、綺麗さっぱり消え去ったのだ!
「いちご、お帰り!」
両手を大きく広げ、愛する妹を胸に抱きしめる。
……前に、そのいちごから蹴りが入る。
「キモっ! 抱きつくんじゃない! 兄者はやっぱり、変態だ!」
蹴られてもなお、僕の笑顔が消えることはなかった。
いちごはそれも含めて、変態と言っているのだろう。
「ミソくん、どうにかしろ!」
いちごは微かに涙目になりながら、少し離れた場所で様子を見守っていたミソシルに向けて懇願する。
「はっはっは、オレはレモンのやりたいようにさせると決めてるからな!」
「え~~~っ!? なんだよ、それは!?」
助けは来ない。
それを悟ったいちごは、改めて文句をぶつけてくる。
「だいたい、なんだよ!? キスはするわ、胸は触るわ、勝手なことばっかり! いくらあたしがおかしくなってたからって、あれはないだろ!」
この言葉からわかるとおり、いちごは洗脳されていたことを、しっかりと覚えているようだった。
にもかかわらず、僕がしたことについて、まったく許す姿勢を見せない。
「いちごは意地っぱりだな。恥ずかしがらなくてもいいのに。さあ、もう一度、今度は戻ってきておめでとうのキスをしよう!」
「するわけないっての!」
僕は思いっきり、いちごに頭をはたかれた。
それでも僕が笑顔だったのは、もちろん言うまでもない。
「いちごちゃんの手に剣が握られてなくてよかったな!」
とのツッコミが、ミソシルから飛んでくる。
当然ながら、いちごの怒りが僕の頭を一発叩く程度で収まるはずはない。
僕はその後も、いちごのパンチやらキックやらを何度も食らい、床に無様に倒される羽目となった。
「はっはっは! さすが、勝率ゼロ割だな、レモン!」
再度、ミソシルからのツッコミが響く中、地べたに這いつくばる僕の背中の上に、いちごが腕を組んだ偉そうな仕草で腰かける。
「うむっ! あたしの勝ちだ!」
こうして、いちごの心を取り戻すことには成功したものの。
兄妹ゲンカという側面から見れば、いちごの完全勝利で幕を下ろすことになるのだった。
いちごは正常に戻った。
でも、斬られて消えてしまったチビは帰ってこない。
「チビ……操られていたとはいえ、悪かった……。恨まないでくれ、なんて言えないけど……せめて安らかに眠ってくれ……」
なきがらすら残っていないチビに、いちごは謝罪と冥福の願いを送る。
僕に対する態度とはやけに違うけど、ペットに嫉妬しても仕方がない。
しめやかな雰囲気に包まれている僕たち。
そこへ、無情な声がかけられた。
「自己満足なだけの無駄な時間は終わったかな? 洗脳を解くことができたご褒美として、しばらく傍観してはいたが、そろそろ飽きてきた。つまらない余興だったな。では、当初の予定どおり、お前たちにはここで死んでもらうぞ」
ゆらり、と。
禍々しいオーラを放ち、エンドレスレインが立ち上がる。
僕といちごとチビとで繰り広げたこれまでの出来事を、つまらない余興だったなんて。
「エンドレスレイン! 許さないからな! 絶対に返り討ちにしてみせる!」
「ふっ、よかろう。全員まとめて地獄へ叩き落してやる!」
僕たちとエンドレスレインとの最終決戦が、今始まる。
「お前たちを処分したのち、イチゴミルクの洗脳をし直し、ふたりきりの生活を楽しむのだ!」
「まだ諦めてないのかよ! いちごは僕のものだ! 誰にも渡さない!」
気合いの雄叫びを放つ僕にツッコミを入れるのは、当のいちご本人の役目だった。
「あたしは兄者のものでもない! ふざけたこと言ってないで、真面目に戦え!」
いや、僕としては大真面目だったんだけどな。
といった反論は飲み込み、僕はエンドレスレインに向かっていった。




