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僕たちは歩き始めた。
周囲は草原っぽい雰囲気だけど、薄暗い上に背丈の低い草が一面に茂っていて足もとは非常に見えづらい。
空気はうねうねと歪んでいて、空が真っ暗で怪しげに渦巻いているのも、さっきまでとなにも変わっていなかった。
ちらほらと木々が生えているのも見えるけど、それすらも突然歩き出してきそうな、そんなおどろおどろしい雰囲気だ。
「なんか、すごく歩きづらいよね」
「……それは仕方がないのかも……」
「はっはっは、これだけ歪んでちゃな!」
「視覚だけに頼ってはいけない、ってことでしょうか?」
「でも、視覚に頼らず行動するなんて、なかなかできないよね」
自然と口数が多くなるのは、怪しげな空気に呑まれるのを避けるためだ。
なにか喋っていないと、不安で押し潰されそうになる。
きっとみんな、同じように考えているのだろう。
さっきから会話は途切れることなく続いている。
「はっはっは、もしイチゴちゃんがいたら、絶対に何度もコケてるよな!」
「……言えてる……」
「それをレモンくんが、そっと支えてあげるのかな?」
「ふふっ、レモンさんの場合、そっと、どころか、ぎゅ~っと支えそうですわよね」
「な……なに言ってんだか!」
「はっはっは! そして、『兄者、抱きつくんじゃない!』って文句を言われて、どつかれるんだな!」
「……状況が手に取るように見えてくるわね……」
「う……、僕自身にもその光景が見える気がする……」
周囲がどんなに怪しげな様子であろうとも、僕たちは僕たちらしさを失わない。
平常心を保って、進んでいく。
そうすれば、なにも問題はないはずだ。
……と思った瞬間、なにかに足を取られる。
「うわっ!?」
足を引っかけて、転びそうになる、といった生易しいものではなかった。
足もとに穴が空いていた。
人間の体が難なく通り抜けられるくらいの穴が。
「レモン!」
とっさにミソシルが手を伸ばしてくれて、僕はどうにか助かったけど。
よく確認してみると、草の下にマンホールくらいのサイズの穴がポッカリと開いていた。
しかもそういった穴は、近くの地面を探ってみただけでも数ヶ所見つかった。
背丈の低い草は、穴を覆い隠すように、まったく周囲と変わらない感じで生えている。
どこにどうやって根を張って養分を得ているのか、理解に苦しむけど。
現実世界の常識なんて、通用するわけがない。
「気をつけろよ。お前がいなくちゃ、いちごちゃんが悲しむだろ?」
「そ……そうだよね、ゴメン」
ミソシルはぼやきながらも、僕を力強く支えてくれた。
こちらの世界では体格のいい大男でも、現実世界では小柄な女の子なのに。
僕はもっと、しっかりしなきゃダメだよね。
「あの穴……もし落ちたらどうなるんだろう?」
フランさんの言葉に、答えられる人はいない。
「……ゲーム内の世界として考えるなら、地面の当たり判定を抜けてしまったが最後、永久に落ち続ける結果になるかもしれないわね……」
「永久に……」
「……もちろん、普通だったらログアウトすれば問題ないと思うけど。でも、今のボクたちは……」
天使ちゃんの言うとおり、今の僕たちはログアウトしたら戻ってこられない可能性が高い状態にある。
穴に落下した時点で、いちごの捜索メンバーからは脱落することになってしまう。
そんなの、絶対に嫌だ!
気合いを新たに、それでいて慎重に、僕は再び歩き始める。
その途端、
「痛っ!」
低めの木から伸びた枝に、頭をぶつけてしまった。
「まったく、お前は……。しっかりしろよ。いちごちゃんに笑われちまうぞ?」
ミソシルからまたしても苦言が飛んでくる。
でもそれを聞いて真っ先に思い浮かんだのは、いちごの笑顔が見たいな、という強い願望だった。
僕たちはひたすら草原を行く。
飽きるほどに広い。
さすがに口数も減ってきていた。
しばらく黙々と道なき道を進んでいると、
「きゃっ!?」
久しぶりに響いた声は、クララの短い悲鳴だった。
「クララ、どうしたの?」
「いえあの……足首にちょっと、なにかに舐められたような感触がありまして……」
「はっはっは! 足フェチのモンスターでもいるのか?」
「……それ、すごくイヤ……」
といった会話が展開されたそのとき。
草の中からなにかが起き上がり、僕たちの前に立ち塞がった。
「えっ? これって……」
「モンスター……だね、きっと」
フランさんが答えてくれたけど、若干曖昧な感じだった。
それもそのはず、僕たちの前にいるモンスターと思しき物体は、まったく想像もしていなかった姿をしていたのだ。
背丈は犬とか狼とか、それくらいの動物サイズだろうか。
形状としても、四足歩行の動物と考えていい。
にもかかわらず、表現が曖昧になっていたのは、それが動物の骨そのものだったからに他ならない。
「え~っと、動物のガイコツ?」
「……そうみたい。普通に動いてるけど……」
「いやぁ~ん、とても気持ち悪いですわ~」
くねくねと体をくねらせ、怖がっているクララだって、充分に気持ち悪いわけだけど。
お前、実際には男だろ? とかツッコミを入れる余裕は、今の僕にはない。
いや、他の誰にもなかった。
何体もの動物のガイコツが、僕たちに向かって一斉に襲いかかってきたからだ!
「うわっ!?」
思いっきり勢いをつけて飛びついてくるガイコツ。
その顔だってもちろん動物の骨なのだけど、目の部分に当たるふたつのくぼみには真っ赤な光が輝いている。
なんというか、メチャクチャおぞましい。
「わたくし、こんなのに足首を舐められたんですのね……」
クララは怯えきっている。
なるほど、確かに骨だらけだけど、口からは長い舌がだらりと伸びている。
って、ほんとに気持ち悪いよ!
「……みんな、落ち着いて。戦うのよ……」
天使ちゃんの声で我に返る。
おっと。突然の出来事に取り乱してしまった。
僕は身構える。
同じように、みんなすぐに戦闘態勢に入った。
先陣を切るのはフランさん。骨相手で斬りにくそうだけど、華麗に剣を薙いで戦う。
ミソシルは大型の斧を掲げ、どっせいと投げつける。斧に押し潰され、何体かのガイコツが崩れ去る。
クララも「お~っほっほっほ!」と奇声を上げ、業火を操りモンスターを骨ごと燃やし尽くす。(いや、ほぼすべてが骨だけど)
天使ちゃんだって、負けてはいない。精霊たち……フンドシ戦隊マッチョマンを呼び出し、次々に敵を地面に沈めていく。
残った僕も、必死に頑張る。
補助魔法をかけてサポートし、みんなが受けたダメージを回復する。
苺ぱるふぇ・オンラインでは、モンスターの見た目すらも可愛らしいのが特徴だった。
だけど今、僕たちが戦っている相手は、舌を伸ばしてヨダレをしたたらせる、おぞましい姿をした動物のガイコツ。
明らかにイメージが違う。やはりここは、別の世界になっているのだろう。
だからといって、戦い方まで違っているわけではない。
ダンスを踊るように体を動かし、テンションを高めていくことで、それぞれの能力を発揮できる。
それはまったく変わっていないようだ。
「……うん。戦闘の方法は、苺ぱるふぇ・オンラインと同じみたいね……」
天使ちゃんの言葉に、みんな黙って頷く。
不安定でおどろおどろしい場所ではあるけど、苺ぱるふぇの世界と共通する部分もある。
そのことを確認できて、少しだけホッとしていた。
とはいえ、安心してはいられない。
敵がすごく強い上、数も多いのだ。余裕なんて露ほどもない。
苺ぱるふぇ・オンラインは低難易度が売りのゲーム。
自分たちのレベルよりずっと強いモンスターのいるエリアに無理矢理突撃するとか、無謀なことをしない限り、戦闘で死ぬような目に遭うことはまずありえなかった。
……いちごは苺大福スライムに取り囲まれてボコボコにされた挙句、消えてしまったわけだけど。
あれは特殊な事例だから除外していいだろう。
一方この世界は、これが初めての戦闘になるけど、いきなり現れたモンスター相手にかなりの苦戦を強いられている。
全員で必死になって戦って、ようやく五分五分といった様相。
どうにか勝つことができた僕たちは、息も絶え絶えで、まさにギリギリの勝利だった。
「はぁ……、はぁ……。みんな、大丈夫?」
「はっはっは……どうにかな」
「はぁ、はぁ……。もう……お嬢様のわたくしに、はぁ……はぁ……こんな激しい戦いを、させないでほしいですわ……」
「なかなか厳しかったね……。私もちょっと、休まないと動けないくらいだよ……」
「……ええ……。初戦敗退で終了になってしまうかと思った……」
こんな状況が続いては、絶対に身がもたない。
せめて連戦にならないことを願うばかりだ。
僕たちは草原に体を横たえ、休息の時間を取る。
一刻も早くいちごを見つけ出したいけど、僕たちがへばってしまっては元も子もない。
「もしこの世界で死んだら、どうなるんだろう……?」
ポツリと疑問をこぼす。
答える声はない。
やがて、沈黙に耐えられなくなったのか、天使ちゃんがつぶやく。
「……そういうことは考えないほうがいいわ……」
それによって、僕たちはさらに重苦しい空気に包まれるのだった。




