-3-
「きゅう~~~ん……」
チビが羽をパタパタと忙しなく動かし、その場でくるくると回る。
いちごの匂いが、この辺りに残っているのだろう。
でも、いちごはいない。困惑している様子がうかがえる。
「なにも、ないよね?」
「そうですわね~……」
僕が見る限り、とくに変わった部分はなにもないように思える。
クララを含む他のみんなも、首をかしげていた。
そこで天使ちゃんが口を開く。
「……特殊な反応がある……」
「特殊な反応?」
「……ええ。空間が歪んでる、って感じかしら……」
天使ちゃんの手には、さっきの追跡機とはまた違った物体が握られていた。
「……凩お兄ちゃんから、いくつかのツールを渡してもらってあるの。これもそのひとつ……」
どうやら空間の歪みなど、異変を感知できるツールらしい。
なお、所持しているアイテム類は、ゲームと同じように使うときだけ取り出せるシステムになっている。
リアルさを追求するタイプのゲームでさえも、利便性との兼ね合いで臨機応変に対応されている場合が多い。
苺ぱるふぇ・オンラインはとくに難易度の低さを売りにしているから、なおさら便利な機能は積極的に採用される傾向にある。
VR系のゲームの中には、実際にアイテム類を背負って持ち歩かなければならないものもあるみたいだけど。
僕はそんなの、あまりやりたいとは思わないな。
なるべく楽をしたい。それは普通の感覚だろう。ゲームの中でまで、現実世界の面倒なことを体験したくなんてない。
と、そんなことより。
天使ちゃんはさらに別のツールを取り出した。
それはなにやら、小型のナイフのような形をしていた。
「……これで、空間を無理矢理切り裂いて、こじ開けることができると思う……」
「無理矢理って……大丈夫なの?」
「……たぶん、大丈夫じゃない……」
僕の質問に、天使ちゃんはしれっと答える。
いわゆるチートツールということになるため、使った時点で運営側に感知されてしまう可能性が高いのだという。
「あれ? ちょっと待って。これまでにも、いろいろとツールを使ってたんだよね? 追跡ツールもそうだし、ペット取得イベントの確率操作だって、ツールかなにかを使ったんじゃないの?」
「……ええ、そうよ。でも、凩お兄ちゃんは大丈夫だろうって言ってた……」
凩さんは、外部チートツールの検知プログラムにも目を通していた。
そのプログラムの隙を突いて、発見されにくいツールを作ることに成功していたらしい。
「……もちろん、絶対とは言えないみたいだけど。それでも、これまでに問題が起こったことは一度もないから、大丈夫だったんだと思う……」
「なるほど」
「……でもこの空間をこじ開けるツールは、規模の大きな改変ってことになるから、検知プログラムの目をごまかせないみたいなの……」
使った時点で、運営側に感知されてしまう。
そうなったら、僕たちはどうなるのだろう?
「……わからない……。いきなりアカウントを停止させられて、強制的にこの世界から離脱することになるかも……」
「それだと、いちごを助けられなくなる! まだなにも手がかりを得てないのに!」
「……レモンくんの気持ちはわかるけど……。今のところ、他に手はないと思う……」
諸刃の剣、ってことか。
全員が強制退場させられたりしないように、とりあえず二手に分かれておく、といった方法も考えたけど。
どちらにしても、天使ちゃんがいなくては僕たちにはどうしようもない。
「……どうする? 使っちゃって、いい……?」
天使ちゃんの問いかけに、みんなの視線が集中する。
僕のほうへ。
べつに僕はパーティーのリーダーってわけじゃないけど。
いちごを助けに行くための、重要な選択。
だからこそ、みんなは僕に判断を委ねてくれたのだ。
「うん! 天使ちゃん、頼むよ!」
小さく頷くと、天使ちゃんはナイフを構え、歪んでいると言っていた空間に向かって突き出す。
そしてそのまま、一気に振り下ろした。
ナイフの切っ先が空中を切り裂くと、空気がパカリと割れ、そこに別の空間が現れる。
黒い闇が渦巻く、なんとも怪しげな空間だった。
「……ここから、中に入っていけるはず……」
天使ちゃんは躊躇なく、足を踏み入れようとする。
「待って。……大丈夫なのかな?」
不安そうなみんなを代表して、僕が問いかける。
「……わからないけど、行くしかない……」
「はっはっは、確かにそうだな! 天使ちゃん、意外と肝が据わってるよな! オレたちも見習わないと!」
「そう……ですわね。怖がっていても、なにも始まりませんわ」
「うん。私も、覚悟を決めるよ」
全員が意思を固め、視線を僕に向けていた。
ここでも決定権は僕に委ねるつもりなのだ。
答えはもう、決まっている。
「よし、行こう!」
僕たちは一列になり、闇の空間へと入っていった。
一瞬、めまいに襲われる。
気づけば、僕たちは別の場所にいた。
そこは、空間の裂け目から見えていたような真っ暗闇、というわけではなかったけど。
なんとも不思議な感覚に包まれる場所だった。
視界のすべてがうねうねと歪む。
暗めの色の層らしきものが、ぐにゃぐにゃと波打っている。
鈍い光と激しい闇が同時に襲いかかってきて、脳全体を揺るがすように渦巻いている。
言葉で表してみてもよくわからない、風景として認識すらできない空間が、辺り一面に広がっていた。
「なんだろう、ここ……」
僕のつぶやきに答えられる人がいるはずもない。
みんな、すぐそばにはいるものの、言葉を発することも忘れ、周囲に視線を巡らせていた。
「ん……。居場所を思い浮かべてみたけど、表示が出ないわけじゃないのに、なんだかバグってる感じだね」
フランさんの言葉に、僕も現在地をイメージしてみた。
文字らしきものは、確かに頭の中に浮かんでくる。
だけど、正しく認識できない。
「……凩お兄ちゃんが考えていたとおりなのかも……」
天使ちゃんがポツリと漏らす。
「凩さん、なんて言ってたの?」
「……苺ぱるふぇの世界から、別のゲーム世界へとつながる場所があるんじゃないかって……」
別のゲーム世界?
ここは苺ぱるふぇ・オンラインの中じゃない、というのか?
「……入ったら戻れない闇の空間があるって噂、最初の頃に話したわよね……? その世界が、ここなのかも……」
「つまりそれが、失踪事件の原因でもある、ということか」
「……憶測でしかないけど……」
だとすると、いちごやファルシオンさんは、この空間のどこかにいるということになるのか?
不安こそあるものの、希望の光が差してきたようにも感じられた。
「でも……こんなおかしな空間で、人を探すことなんてできるんでしょうか? そもそも、北も南も、上も下も、よくわからないような状態ですわよ?」
「う……」
クララが湧き上がってきたばかりの僕の希望を一瞬で打ち砕く。
「……それはおそらく、視覚的な認識がまだ追いついていないだけだと思う。暗闇に目が慣れるみたいに、そのうちしっかり認知できるようになるはず……。凩お兄ちゃんの予測どおりならだけど……」
天使ちゃんの言うとおり、次第に周囲の風景がはっきりしてきた。
草原だろうか、かなり広い場所に、僕たちは立っていた。
ただし、空は依然として暗めの色によって覆い尽くされ、怪しげに波打ち、渦を巻いている。
周囲の風景が歪んだように見えるのも、あまり変わってはいない。
まっすぐ歩くのにも支障が出そうなほどだった。
「……そのあたりも、じきに慣れると思う。でも……」
ここで天使ちゃんが、ある事実を伝えてくる。
「……無理矢理こちらの世界に入ってきている状態だから、一度ログアウトしたら、同じ場所に戻ってくることはできないと考えたほうがいい……」
「えっ……?」
「……言い換えれば、いちごちゃんを見つけ出すまで、現実世界には戻れないってこと……」
いちごを見つけ出すまで、現実世界には戻れない。
もちろん、僕の気持ちとしては、もともとそれくらいの勢いではあった。
だとしても、この世界で時間を過ごせば、同じだけの時間、現実世界での時間も進む。
ここが苺ぱるふぇ・オンラインとは別世界だとしても、それはおそらく変わらないはずで……。
「……当然、家族は心配する。凩お兄ちゃんにお願いして、サポートしてもらうつもりだけど、それも限界がある……」
天使ちゃんはそう言うと、フランさんのほうに顔を向ける。
「……とくにフランさん。家も遠いみたいだし、凩お兄ちゃんにもどうしようもないと思う……」
フランさんは黙って聞いている。
「……切り裂いた空間が残ってるから、今ならまだ戻れる。だから、あなたはここまでで……」
「いや、私もこのまま一緒に行くよ」
天使ちゃんの提案を、フランさんは途中で遮った。
「もともと覚悟を決めてるし、ファルシオンも助けたい。それに、私だけ戻って待つだけなんて、それこそ耐えられないよ。
親の心配も考慮しなくていいと思う。私は独り暮らしをしてる身だからね。数日くらい留守にしたところで、なにも問題はない」
フランさんの意思は固い。
それが伝わったのだろう、天使ちゃんも否定の言葉は続けなかった。
「……この先、長い旅になるかもしれない。英気を養うためにも、ここで一旦休んでおきましょう……」
天使ちゃんの提案で、僕たちはその場で眠ることにした。
オンラインゲーム上で寝て、なにか意味があるのかはわからないけど。
実際、現実世界ではもう深夜のはずだ。眠気が襲ってきているのは確かだった。
ただ、ここでゆっくりしていて、本当にいいのだろうか?
僕は一刻も早くいちごを探しに出かけたかった。
そんな思いがあったからか、余計なことばかり考えてしまう。
運営側に感知されたら、すぐに強制退場させられるかもしれない、と言っていた。
今のところ、なにも起こってはいないけど、だからといって安心してもいられない。
それなのに、天使ちゃんからは焦りが感じられない。
もしかしたら天使ちゃんは、他にもなにか、僕たちに隠しているのではないだろうか?
仲間だと思わせておいて、実は運営側と手を組んで、僕たちを闇へといざなっているだけなのではないだろうか?
後ろ黒い思念が頭の中を駆け巡る。
いやいやいや、天使ちゃんは仲間なんだ。
僕が信じないでどうする。
だいたい、今の僕たちには天使ちゃんに頼るしかないし。
様々な考えが頭をよぎり、なかなか寝つけなかったけど。
現実世界の脳が寝ておけと指令でも出したのか、僕はいつしか眠りの世界に落ちていた。




