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ベッドから身を起こし、ヘッドホンを外す。
いちごと……実の妹である苺香と、僕は結婚した。
ゲームの中だけの関係とはいえ、ようやく成し遂げることができた。
なんとも言えない達成感で、僕は清々しい気持ちに包まれていた。
ドタドタドタドタ……バンッ!
そこでいつものように、苺香が僕の部屋の中へと飛び込んでくる。
「兄者! 結婚、しちまったな!」
「ん。そうだね」
愛しの苺香。
この苺香が、今では僕の妻なのだ。
苺ぱるふぇ・オンライン上でだけではあるけど。
「ちょっと緊張したけど、いい結婚式だったよな!」
「うん。苺香がパフェを食べすぎなければね」
「うるさい! なぜ食べるのか、それは目の前にパフェがあるからだ!」
「はいはい」
軽く受け流しながら、僕は別のことを考えていた。
誓いのキスだ。
苺香の、唇。
ついつい視線がそこへと向いてしまう。
オンライン上のいちごの唇だから、今目の前にいる苺香の唇とは違う、とも言える。
だけど、苺ぱるふぇ世界のいちごのキャラクターは、髪の毛の色を除けば苺香とそっくりな姿をしている。
そのいちごと僕は、ほんの少し前、唇を重ねていた。
いちごだって、嫌ではなかったはずだ。
そうじゃなきゃ、結婚なんてしない。
いちごの中身は苺香なんだから、当然苺香も、僕とのキスを嫌がったりするわけがない。
「苺香。キス……しようか?」
ぽつりと、提案してみた。
目を丸くする苺香。
「は? 兄者、なに言ってんだよ?」
「なにって……。僕たちは夫婦になったんだから、キスくらいしても、なにも問題ないよね、ってことだけど……」
「問題大ありだ! あたしたちは兄妹なんだぞ?」
「わかってるよ。でも、苺香だってわかった上で、僕との結婚を決めてくれたんでしょ?」
「それは苺ぱるふぇの中だからだ! だいたいあたしは、渋々承諾したって感じだったし!」
「う……。確かに、そうかもしれないけど……。僕は向こうで言ったように、苺香のことが本気で……」
「ストップ!」
僕の言葉を、苺香は手のひらを目の前に掲げて止める。
「兄者の気持ちは、よくわかった。それにあたしも、兄者のことは好きだ。普通の妹が兄に向ける、家族としての好きと比べれば、きっと強いくらいに……」
「だったら……!」
なにも問題ないじゃないか。
という思いも、苺香はズバッと切り裂いてくる。
「でもな、兄者。あたしたちは血のつながった兄妹だ。それはわかってるだろ?」
「そりゃあ、わかってるけど……」
「なら、そんなことを現実世界でするわけにはいかない、ってのも理解できるだろ?」
「それは……」
理解はできる。
でも、納得はできない。
僕は苺香のことが、本気で好きなのだから。
「兄者の気持ち、嬉しくないわけじゃない。それでも、諦めるしかないんだ」
…………。
諦めるしかない。
そう考えているということは、さっきの発言にもあったように、家族としての好きよりもっと上のレベルの愛情を持ってくれているのは事実なのだろう。
それなら、口ではこう言ってはいるけど、苺香だって本心では待っているんじゃないか?
「だからさ、今までどおりの関係でいようぜ」
じっと僕を見つめ、苺香の艶やかな唇から澄みきった綺麗な声が吐き出される。
苺香を見つめ返しながら、僕は考え続けていた。
いやよいやよも好きのうち。
拒絶しているように見せかけて、実は望んでいるんじゃないか?
苺香だって、僕のことを本気で愛してくれているんじゃないか?
……そうだ。きっと、そうに違いない。
「苺香っ!」
「うわっ!?」
僕は――、
思わず苺香をベッドに押し倒していた。
「あ……」
自分の行動に、自分で驚く。
ごめん。
短い謝罪の言葉すら出ない。
そんな僕を、苺香の瞳がまっすぐ見据えている。
「無理矢理……キスするのか?」
「…………」
「この状況だと、もっと先まで、とか……?」
「…………」
苺香の少し冷めたような声だけが響き、部屋の主である僕の声は響かない。
もっと先まで……。
そこまでは考えていなかった。
というより、今の行動自体が、突発的で衝動的なものだった。
「抵抗はしない」
苺香はそう言った。
これは……OK、ということなのか……?
いや……違う。
苺香の唇は震えている。
無理しているのは明らかだった。
「でも、もし兄者がそういうことをするなら、あたしは二度とこの部屋には来ない。
苺ぱるふぇ・オンラインの世界で一緒に遊んだりもしない。
兄者のことを、あたしは軽蔑する。きっと、話すこともなくなる。顔を合わせることすらも……」
想像してみる。
苺香と一緒に遊ぶことも、話すことも、会うこともできない日々を。
しかも、苺香から軽蔑されているなんて。
そうなったら僕は、生きていく気力も失くしてしまうだろう。
「反対に、踏みとどまってくれたら、あたしはこれまでどおり、兄者に妹として接する。
苺ぱるふぇ・オンラインだって一緒に遊ぶし、向こうでは結婚してるんだから、妻としてずっとそばにいる。
ま、夫婦になったところで、以前と大して変わらないだろうけどな」
想像してみる。
苺香と一緒に苺ぱるふぇ・オンラインで遊び、夫婦として暮らす日々を。
苺香の言ったとおり、今までとあまり変わらないにしても、充実した生活が送れることだろう。
「選択は、ふたつにひとつだ。決定権は兄者にある」
未来は僕に委ねられた。
今、苺香は僕の目の前に……というか、すぐ下にいる。
抵抗しないと言っているのだから、キスすることも、それ以上のことだって、できてしまう。
いわば、苺香のすべてを奪うことができる、とも言い換えられる。
こんなチャンス、おそらく二度と巡ってこないだろう。
とはいえ……。
そうやってすべてを奪うことは、同時にすべてを失くしてしまうことでもある。
苺香がどちらを望んでいるか。
そんなのは明白だった。
僕がどうなることを望んでいるか。
提示されたふたつの選択肢から選ぶならば、こちらも明白だった。
答えは、考えるまでもない。
そっと、
僕は苺香から離れた。
「ありがとう、兄者……」
ゆっくりとベッドから起き上がり、わずかに乱れた服装を直しながら、苺香はお礼の言葉を口にする。
「お礼を言われることじゃないよ。ごめんね、苺香」
僕は素直に謝る。
少し弱々しくは感じられたものの、苺香は微笑み返してくれた。
「あたしたちたちは、たったふたりだけの兄妹なんだから。これからも、仲よくしないとな」
「うん、そうだね」
そんな苺香が、僕は大好きだけど。
苺香も僕を兄として以上には好きでいてくれているみたいだけど。
これからも今までどおり、兄妹として暮らしていく。
それでいいんだ。
というか、それしかない。
「ま、苺ぱるふぇ・オンラインのほうでは夫婦になったわけだし、向こうではせっかくだからラブラブしようぜ!」
「苺香……」
明るい笑顔。
苺香はもう、すっかりいつもどおりの元気な妹に戻っている。
「よし! だったら向こうでは、毎日キスしよう!」
「調子に乗るな! あれは結婚式だから特別に許しただけだ!」
殴られた。
うん、この殴り方も含めて、いつもどおりだ!
僕と苺香は、ずっとそばにいる。
現実世界では兄妹として、苺ぱるふぇ・オンラインの世界では夫婦として。
これから僕たちふたりには、とても温かく、そして忘れられない毎日が訪れることだろう。
実際には、気の合う仲間たちと一緒に、今までとさほど変わりない、ただちょっとだけ妹とラブラブになった甘い生活が送れるくらいだとは思うけど。
僕はいちごとともに歩んでいくこれからの時間を、思う存分楽しむことにしよう。
……と決意を新たにしていたのだけど。
この先に待ち受けているのは、そんなスイートな日々などではなかった。




