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ゲームを終え、ヘッドホンタイプの装置を外すと、隣の部屋のほうからなにやら大きな物音が響いてきた。
隣の部屋……つまり、苺香の部屋だ。
「なんだなんだ? 苺香が転んでケガでもしたか?」
心配になって様子を見に行こうとしたところで、
ドタドタドタドタ……バンッ!
激しい足音を立て、荒々しくドアを開け、苺香が僕の部屋に飛び込んできた。
そして叫ぶ。
「あにゅいじゃ、ぎぇんいんがわはっはじょ!」
うん。
とりあえず、ケガがなさそうでよかった。
それにしても、苺香が放った今の言葉……。
普通に考えれば、意味がまったくわからない、謎の暗号でしかないだろう。
でも僕くらいの人間になると、どんな状況であっても、苺香が言わんとしていることは一瞬で理解可能だ。
兄者、原因がわかったぞ!
苺香は、そう言いたかったに違いない。
正しく発音できなかった理由は、苺香の口の中にあった。
こぼれ落ちんばかりに……というか、実際にこぼれ落ちているくらいに詰め込まれた、大量のお菓子。
それらに阻まれ、まともな言葉にならなかったようだ。
「って、汚いな、苺香!」
「ふぁんヴぁと!? あふぁひは、ひははくなんふぁなふぃ! もがっ!」
なんだと!? あたしは、汚くなんかない! か。
最後に微妙にむせていたけど、大丈夫かな。
う~む……。訳が必要な会話って、どうなのだろうか。
ともかく、意味は伝わっているものの、正常に発音できていないことには、本人も気づいていたようで。
「んっ!」
来い! とばかりに腕を乱暴につかみ、苺香は僕を部屋の外に引っ張り出す。
そのまま、開け放たれていたドアを抜け、苺香の部屋へ。
そこには凄惨な光景が広がっていた。
大量のお菓子類とオレンジジュース。
それらが、大地震でも起こったのかと思ってしまうくらいの勢いで、部屋中に散乱していたのだ。
「お前……こんなにたくさん部屋に持ち込んでたのか」
呆れながらも、周囲を見回す。
普段は勝手に入るなと言われている苺香の部屋。
随分と久しぶりに入った愛しの妹の部屋には、お菓子とジュースの匂いが充満していた。
「もご、むぐっ……てへっ!」
どうにか口の中にあったお菓子のほとんどを飲み込み終えると、おどけたようにペロッと舌を出す苺香。
そんな仕草も可愛いな、と思いながらも、
「てへっ、じゃない! こんなに散らかして、ダメじゃないか!」
僕は兄として、いつになく厳しい口調で注意する。
苺香から詳しく話を聞いてみると……。
お小遣いでたくさんのお菓子を買ってきて上機嫌だった苺香は、台所でオレンジジュースを見つけ、2リットルのペットボトルごと持ち出してきた。
ついつい、棚にあったお菓子類も拝借し、さらに増量計画を試みる。
「お菓子に囲まれた生活! 最高だぜ!」
といった感想をこぼしつつ、食べ始めた。
至福のひととき。
ただ、すぐに僕が帰ってきてしまった。
僕の帰宅=苺ぱるふぇ・オンラインの時間の始まり、となる。
「まだ食べ終えてないのに、兄者のバカ!」
不満を口にすると同時に、苺香は手当たり次第にお菓子を引っつかみ、口の中へと詰め込んだ。
お菓子は食べたいけど、苺ぱるふぇ・オンラインも楽しみたい。
その思いは、苺香の心の天秤では完全につり合っていたのだろう。
ここで苺香は、口の中のお菓子類をオレンジジュースで無理矢理流し込む作戦に出た。
順調に進めば、しっかり飲み込んでからゲームを始められるはずだった。
「お~い、苺香、いるか~? スタートするからな~」
隣の部屋から僕の声が聞こえたのは、そんなときだった。
コンコン!
苺香は反射的に、OKの意味を込めて、壁を2回叩く。
あっ、全然OKじゃなかった!
とは思ったものの、今さら訂正もできない。
仕方なくブレイン・インパルス用のヘッドホンを装着、ベッドに寝っ転がった。
ブレイン・インパルス技術を使ったVRゲームでは、スタートすると同時に睡眠状態に入る。
苺香の意識は一瞬にして、苺ぱるふぇ・オンラインの世界へと飛んだ。
口の中に大量のお菓子を残したまま……。
さっき「原因がわかった」と言っていたのは、このことだった。
すなわち、実際に口の中にあるお菓子の味覚とごちゃ混ぜになり、オンライン上で苺パフェの味をおかしいと感じていたのだ。
普通はなにか食べながらゲームの世界にオンしたりはしない。
仮に口の中に少しだけ食べカスとかが残っていたとしても、味覚に影響は与えない。
だけど苺香は、尋常でない量のお菓子を頬張っていた。そのため、影響が出てしまったのだろう。
苺香以外、誰も苺パフェの味に異変を感じなかったのも当然だ。
異変があったのは、苺香自身の口の中だったのだから。
ゲームを終え、意識が戻った苺香は驚いた。
スナック類が多かったせいか、知らないうちにだ液がどんどん分泌され、とんでもないことになっていたからだ。
ベッドの上には、だ液まみれのお菓子が大量に散乱していた。
うあっ、やっちまった!
そう思って、ベッドから飛び起きた瞬間、持ち前のドジ属性を発揮、豪快にコケた。
木製の小型テーブルの上には、大量にお菓子類が用意されたままで、オレンジジュースの入ったコップも存在していた。
すぐ脇には、フタを閉め忘れたペットボトルもあった。
そこを目がけて、苺香の体は一直線にダイブ。
大量のお菓子類が床に落ちて散乱。その上に見事に乗っかってしまい、お菓子を粉々に打ち砕く。
どうにか避けようと無理に抵抗したのも悪かった。
苺香の腕によって弾き飛ばされたお菓子やコップは、部屋中に飛び散ってしまう。
ペットボトルも倒れ、中身が勢いよくこぼれ出していた。
「で、こうなったんだ!」
えっへん。
なぜ両手を腰に当て、胸を張って偉そうに言うのやら。
と、その苺香の胸の辺りを見てみると、服がびしょびしょに濡れてしまっていた。
お菓子類の残骸だけではなく、口に流し込んだオレンジジュースまでもが、たっぷりとこぼれていたのだ。
「うわっ、苺香、服もすごいことになってるぞ!?」
「え……? うわあっ!? バカッ、見るな!」
見るな、って……。
苺香は両腕を使ってガードするような仕草で、胸の辺りを僕の視界から外そうとしている。
ああ、そうか。水分で下着が透けるのを心配していたのか。
べつに全然そんなことはなかったのに。……残念ながら。
「とにかく、苺香はシャワーでも浴びてこい! 僕が掃除しておくから!」
「わかった! ありがとな、兄者!」
意外と素直だな、と思ったら。
「んじゃ、しっかり掃除しておくように!」
「お前も戻ったら一緒に掃除するんだ!」
「ぶぅ~」
「ぶぅ~、じゃない!」
苺香はやっぱり苺香だった。
ま、いいけどさ。
代わりの服や下着なんかを取り出し、部屋から出ていく間際、
「……兄者。あたしがいないからって、変なことすんなよ?」
苺香が余計なことを言い放つ。
「なにをするっていうんだよ!? こんな惨状で……」
「こんな惨状じゃなかったら、なにかしそうな言い方だよな?」
「そんなことないから! 早く行ってこい!」
「はいはい。まったく、兄者は怒りっぽいなぁ~」
部屋の主が去ったあと、僕はひとり、掃除を開始した。
もちろん変なことなんてしなかった。
実際には、必死に堪えて我慢した、というのが正しいのだけど。
苺香がシャワーを浴びて戻ってきても、まだ掃除は終わっていなかった。
当然、苺香も掃除に加わる。
シャワー上がりの苺香、妙に色っぽいな……。
そんなことを考えながら、ぼーっと見つめていると。
「……なんか兄者、いやらしい目で見てないか?」
「ええっ? そそそそ、そんなことないって!」
「どもってるじゃないか。怪しいな……。あっ、やっぱりあたしがいないあいだに、変なことしてたんじゃ……!」
「いやいや、なにもしてないから!」
「ほんとか~?」
「ほんとだよ!」
「神様に誓うか?」
「神様には誓えないけど!」
「やっぱりしてたんじゃないか!」
「冗談だってば!」
騒がしく大声を飛ばし合う僕たち兄妹。
こんな時間も、結構楽しいものだ。
兄妹仲むつまじく。
なかなか良好な関係を築けている、と思っていいだろう。
とはいえ、少々騒がしすぎたようで……。
「こら、あんたたち! うるさいわよ!? 近所迷惑でしょ!? 静かにしなさい!!」
鬼のごときお母さんの怒鳴り声が階下から飛んでくる。
夕飯の準備で忙しいため、お母さんが苺香の部屋にまで来なかったのは、不幸中の幸いだったと言えるけど。
僕たち兄妹はその後、夕飯を食べる前にこっぴどく叱られる羽目になるのだった。