第9話 詐術師
嘘をついた事があるかと尋ねられたなら
答えはYes
人を騙した事があるかと尋ねられたら
答えに詰まる
嘘をつく=人を騙す
という方程式が正しければ
答えはYes
正しくなければ
答えはNo
でも
YesかNoだけでは答えられないのが
人間だ
たぶん
(執筆者 笠置博明)
博明はお世辞にもマメとは言い難い。気遣いが出来る訳でも博愛精神精神に溢れている訳でもない。至らぬところは多々あると思っている。人に感謝されるために何かをしたいと思ったのではなく、あくまで自己満足で、しかし自分なりに精一杯のことはやった。
具体的には通報の他に、書棚の下敷になった人を皆で協力して救い出したり、簡単な止血や骨折の応急処置をしたり、意識を失わないよう声をかけ続けたりした。
なのにこの、窓のない狭苦しく窮屈な取り調べ室の、痛いほど緊張した空気と、目前の暑苦しい仏頂面の不精髭を生やした中年男の顔は、何なのだろうと思う。
嫌がらせとしか思えない。
博明は内面の苦々しさや感情をほとんど反映させない、眠たげで憂鬱そうな顔で、静かに息を吐いた。
「またお前の顔を見る事になるとはな」
呆れたような顔で言われた。博明は撫然とした。疲れきった体を背もたれに預け、望洋とした顔つきで机を見ている。それは好意的に見れば反省しているように、そうでなければふてくされているように見えた。
「二晩続けて別件で、この部屋で同じヤツの聴取をしたのは、我が署初だぞ」
博明は何と返答すべきか判らず、顔を上げて男を見つめた。
「俺はな、偶然ってやつを信じない質なんだよ」
その男は永沢というらしい。博明に名乗った名に正しければ。確認する方法は今のところない。だが、偽刑事や不正刑事でなければ、偽名を名乗ったりはしないだろうと博明は考えた。
「何故、あの大学にいた。お前は高校生だろう。大学に知り合いがいたわけでもない。しかも本来ならば授業を受けてなきゃならない平日の真っ昼間だ」
「……呼び出されたんです」
迷いながら、博明は言った。
「呼び出された? 誰にだよ」
「判りません」
「判りませんだと!? ガキの使いじゃねぇんだ、お前はどこの誰とも判らないヤツの呼び出しに、良く知りもしない不慣れな場所へノコノコ行ったってのか、あ!?」
「名前や役職名が黒く塗り潰された名刺だったんです。僕はそれを手がかりに大学へ行き、そこで前日あの店で会ったバイト学生の中戸さんと再会し、一緒にあの研究棟に行ったんです」
「だが、お前は同行者の先導でそこへ行ったわけじゃない。自発的に行った、そうだな?」
誘導尋問だ。男に都合の良い供述をさせようとしている。
博明はため息をついて目を閉じた。
「失せ物探しが得意なんです」
博明は全く関係ない事を言った。
「何を言ってるんだ」
そのままの状態で、目の前に意識を集中させる。幸いこの部屋には人が少なく、雑音が少ない。男は感情を露にし、自分の内面を隠そうと身構えてはいない。
耳の奥でキィンと金属的な音が鳴り、それは涼やかな鈴の音になった。鈴の付いたキーホルダーに小さなカギが付けられている。それと空色のビー玉が見える。どちらも暗い場所にある。それらとは別にもう一つ見えた。博明は僅かに微笑を浮かべた。
「誤魔化して煙に巻こうって算段か」
博明は目を開いて、男の目を見た。
「カギは、玄関にある靴箱と壁の間の隙間に落ちています」
「……え?」
男は一瞬虚を突かれた。
「娘さんがくれた鈴の付いた小さなカギですよ。オルゴール、かな。鍵穴付きの引き出しを開けるための」
博明はゆっくりと淡々とした口調で、何でもなげにそう言った。内心、相手を逆上させ事態を悪くさせるのではないかと冷や汗をかきながら。
「なっ……な!?」
男は動揺し、博明を注視する。
「なんでそれを!!」
「あと、洗面所の排水管の途中に、息子さんのビー玉が引っかかっています。最近水の流れが悪いのは、そのせいです。そのままでも使えない事もありませんが、なるべく早めに取り除く事をオススメします」
「……お前……」
男は呆然と博明を見た。
「占い師か?」
「違います」
博明は即答する。
「霊能力者でも超能力者でも予言者でも手品師でも魔術師でもありません」
「じゃあ、詐術師か」
その言葉に、博明は苦笑する。それは必ずしも否定できないと思ったから。
「事件には関係がないと、信じては貰えませんか」
「残念だが、信じるのは刑事の仕事じゃない。犯罪者を捕まえて、事実を突き止め解明するのが仕事なんだ。お前はどこで、カギや排水管の話を聞いた」
博明はため息をついた。
「……これは言おうかどうか迷ったんですが」
「な、な、なんだ。いったい何を……!」
「……トランクスが後ろ前です。着替えた時に、はき間違えてそのままですよ。トイレか更衣室にでも行って、着替えてきてはいかがですか。そのままじゃ少々不快でしょう。椅子に座っていると特に嫌な感じがするのは、そのせいです。別に僕に不快感や嫌な予感を覚えているわけではないと思います」
「……な」
男は唖然と博明を見つめた。
「据わりが悪いんでしょう。はき直すとすっきりすると思います」
「…………」
男は暫し悩んでいる風だったが、同僚の男に言付けると、部屋を出て行った。
「君は詐欺師になれそうだね」
残された男が穏やかに言った。
「それとも詐術師の方が良いかい?」
どちらも微妙だ。YesともNoとも答えられない。だから困ったような曖昧な表情を浮かべた。
「まぁ、僕は君が法律違反していない限りはどちらでも良いけど」
男の言葉に、博明は困惑と微かな不快感を覚えて、眉間に皺を寄せた。
「個人的には、詐術師という言葉の響きの方が、僕は好きだな」
博明の顔から笑みが消えた。
男はそれに気付かないのかニヤニヤ笑って言う。
「詐欺師だなんて安っぽすぎる。頭が悪そうに聞こえる。そうは思わないかい?」
「……同意を求められても困ります」
博明はきっぱり言った。
「門外漢からは似たような印象しか受けませんから」
すると男は言った。
「大いに違うよ。詐欺師は犯罪者だが、詐術師は犯罪者じゃない」
「…………」
「僕は犯罪者ってのは基本的にバカだと思ってるんでね。大きな違いだと思わないか」
博明は返答ができなかった。
YesともNoとも答えられない。
男は笑った。
「君は犯罪者じゃない」
それは事実だ。
だが、男の言葉に素直に頷く気にはなれなくて、博明は相手を呆然と見つめた。
――To be continued. Next 10th story is "The Fool".