第6話 メッセージ
迷った時は
どうするのが一番良いか考える
右か左か悩んだ時はどうするかと
昔 ある人に尋ねたら
「その時は真っ直ぐ行くわ」
という答えだった
それはある意味羨ましい思考だと思うけど
僕はそれでも
右か左
いずれかの選択肢しか選べない
道なき道を突き進むほど
僕は強くはないから
(執筆者 笠置博明)
「おはよう、笠置!」
朝、眠い目を擦りながら歩いていた博明の前に、眩しいくらいに爽やかな笑みを浮かべた高松が現れ、博明は硬直した。
「な、何で……っ」
「たぶんこの道通ると思ったんだよな。家に直接行っても良かったけど、それじゃストーカーみたいだし、昨日気持ち悪いって言われたからな」
博明はゲッソリした。
「……十分過ぎるよ」
ぼそりと呟いた博明の声は、高松には聞こえなかったらしい。
「それより昨日のニュース見たか! すげぇよな、とんでもない神経だよな、人肉だぜ、人肉! あれ食った人、最悪だよな。猟奇だよな。カニバリズムだよ。事実は小説より奇なりってやつだよなぁ。あー、犯人の顔見たかったよ。あれ、笠置の家の近くの店だろ? もしかして騒ぎに遭遇したりしちゃってたりして」
博明は思わず高松を無言で睨み付けていた。だが、高松は全く気付かない。かなりの興奮状態でテンションが高く、騒がしい。
「しかし、どうしてあれ、判ったんだろう。なんにせよ早く捕まって良かったよな。身近であんな事件があるなんて、マジ恐いし!」
「…………」
「ん、どうしたんだ、笠置。具合でも悪いのか?」
高松はようやく苦虫を噛み潰すような表情の博明に気付いたが、見当違いの質問をする。
「……別に」
「あっ、そう。なら良いけど」
高松はあっさり言って、笑った。
「あ、もしかして低血圧?」
「違う」
「じゃあ、寝不足か。目の下に隈ができてるぞ、笠置。あんまり夜更かしすんなよ」
「……好きでしたわけじゃない」
「本当に不機嫌そうだな。大丈夫か?」
「……悪いけど、暫く黙っていてくれ」
「判ったよ。お大事に」
そう言って、高松は黙り込んだ。本当に昨日は酷い一日だった。博明はため息をついた。あの後、博明は祖母と、店長と精肉売り場担当の沢田と話をして、パニックの収拾に奔走し、その後警察の事情聴取を受けた。博明は当てずっぽうだとすっとぼけようとしたのだが、祖母が相手の刑事に何かを耳打ちし、博明に本当の事を話すように言ったため、嫌々ながら、博明は真実を告白した。博明の言葉に刑事は目の色を変え、それから6時間半ほど断続的に、繰り返し同じことを何度も質問して話をさせられ、喉もかれかけたところで、ようやく解放された。それから仮眠をとって、現在に至る。
一時は質の悪い悪戯だと思われていたらしい。相良依子の名を出した時点で、彼女に捜索願いが出されていたため、彼女の失踪に関与した可能性があるとして、宇多も候補に上がっていたのだが、博明がその名を口にした事で最重要候補かと疑われたらしい。だが、博明と彼女を繋ぐものは見つからなかった。博明が解放された一番の理由は、宇多が犯行を認め、全てを自白したからだ。それは、博明の言葉を裏付ける内容だったため、今度は盗聴疑惑が持たれた。現在、法律では盗み聴きだけでは罪にはならない。盗聴器を設置するため侵入すれば住居侵入罪、無線式等でコンセントなどから電気を供給するタイプならば窃盗罪(盗む対象は電気)になる。他にも状況によって様々な罪を付加される事になるが、博明の姿はほぼ毎日近所の住人に目撃されていた。その足跡は規則正しく明確で、疑う隙はまるでなかった。清廉潔癖すぎる生活で、毎日家事に明け暮れ、終わった後は勉強し、昼夜問わず遊びに行きさえしない。それがかえって怪しいとも言われたが、接点がどうしても見つからなかったため、一応解放された。実はそれ以来監視され、現在も尾行がついている。
(本当参ったよなぁ)
博明は憂鬱にため息をついた。
「本当にテンション低いな。笠置、朝はいつもこうなのか?」
「お願いだから黙っててくれ」
博明は疲れた声で言った。
(それにしても、ばあちゃんのあの耳打ちはいったいなんだったんだろう。状況・待遇の改善には全く役に立ってなさそうだけど)
それどころかかえって悪くなっている気がする。
(なんだろう。なんだかひどく嫌な予感がする。終わったんだけど、終わってないみたいな)
そう思ってゾッとする。
(とりあえず警察沙汰はごめんだ)
そう考えていると、不意に耳鳴りに襲われる。
「……っ!」
耳の奥に鋭い痛みが走り、脳髄を揺らす。
「お、おい、大丈夫か、笠置!」
よろめいた博明の肩を高松が抱き止める。だが、博明は返答する余裕すらない。
『ここだよ』
幻聴がかすれた声で囁く。年齢不詳、性別不詳だ。
『君の足元。ねぇ、見て?』
甘えるような口調で。軽い眩暈を覚えながら、博明はその場に屈み込んだ。足の下に、くたびれ汚れた名刺のような物が見えた。ゆっくりと手を伸ばし、拾い上げた。
「おい、笠置。何をいったい拾ってるんだ。それ、どう見たってゴミ……」
「うるさい」
博明は不機嫌丸出しの声で、ピシャリと言った。それは近くの大学の名前と住所、電話番号等が記されていたが、肝心の人名は黒く塗り潰され、読めなくなっている。
『ゲームをしよう。簡単なルールだ。君が鬼で、私を見つけたら、ゲームオーバー』
「……何?」
博明は大きく目を見開いた。
『ヒントは提示した。君がここを通る事は既に確認済みだ。私はこれを通じて一方的なメッセージを送る事しかできないが、君がこれを無視しない事を祈るよ。そう、昨日の人肉販売事件のようにね』
「っ!!」
博明は蒼白し、絶句した。
「笠置!? 大丈夫か!」
博明は呆然と立ち尽くす。理解などしたくない。意味など判りたくない。だが、あれが、単独犯じゃなかったら? まだ背後に何かあったとしたら?
「嫌だ……っ」
泣き出しそうになる。泣いて叫んで、逃げ帰りたい。もう何も聞きたくないし、見たくもない。
「おい、笠置。笠置ってば! しっかりしろよ!!」
「……もう嫌だ」
博明は呟き、地面にしゃがみ込んだ。
「おい、笠置」
そう言って、高松が博明の手元に手を伸ばしてくる。ハッとする間もなく名刺が奪われ、博明は慌てた。
「ちょっ、高松!」
「うわ、何だよ、これ。汚いな。捨てようぜ、こんなゴミ」
「駄目!」
博明は慌てて高松の手から奪い取った。高松はきょとんとした顔で、博明を見る。
「笠置?」
「……かまわないでくれ」
博明は感情を押し殺した声で言った。
「頼むから僕に干渉しないでくれ。君の望みは達成した筈だろう」
「……急にどうしたんだ?」
わけが判らないという顔で、高松は博明を見た。博明は今にも泣き出しそうな顔だった。それに気付いて、高松は顔をしかめたが、声にしたのは、
「判ったよ」
という言葉だった。それから、博明に窺うような目線をちらりと向けて、背を向けた。博明が無言で見守る中、高松はそのまま学校方面へと歩き去って行く。本来ならば、博明もそちらへ向かわねばならない。だが、博明は悩んでいた。
(これはつまり、この大学へ来いというメッセージなのか?)
出来得ることなら無視したい。その方が賢明だと思う。だが、昨日の事が脳裏をちらつく。
「……いったい、どうしたら良いんだ」
小さく呟き、うつ向いた。
――To be continued. Next 7th story is "Lost his notebook".