第3話 タイムセール
後半に少々グロテスクな描写があります。
苦手な方はご注意ください。
聞こえる声が
現実か否かを区別する唯一の方法は
それを器官で聞いているか
神経で聞いているかの違いだと思う
問題は
その区別すらつかない時だ
その時は
理性によって判断する
選別は簡単だ
内容が理にかなっている方が現実
かなっていない方が非現実
でも
もし それが
そうでないとしたら?
(執筆者 笠置博明)
「笠置、一緒に帰ろう」
放課後、高松が現れた時、博明は生徒玄関で靴をはくところだった。
息を切らしている高松に苦笑しながら、
「別に良いけど、走って来たのか?」
「普通、教室で待つだろ」
高松は咎めるように、博明を見た。博明は首を傾げる。
「彼女は良いのか、一緒に帰らなくても」
「他校だから、一緒に帰りたくても帰れないの。デートはちゃんとしてるから、お前は気にすんな」
「……判った」
博明は頷いた。
「あと、昼食一緒に食おうぜ」
「友達は?」
「いるけど、お前みたいに一人で食ってるやついないから。有り難く思って付き合え。遠慮するな」
その言葉に、
(本当にたまきちゃんみたいだ)
と年上の従姉妹を思い出し、苦笑した。
「何を笑ってるんだよ」
「別に。何でもない」
そう答えた。
二人で連れ立って歩き始めたが、会話はなかった。黙りこくって歩いている。博明は全く気にしなかったが、高松は話しかけるタイミングを伺っていた。だが、博明は全く気付かない。
「……あのさ、笠置」
「何?」
「お前、これから何処へ行くんだ」
「駅前のスーパー。五時から豚バラ肉のタイムセールがあるんだ」
博明の言葉に、高松の顔が引きつった。
「今から?」
「うん。もう4時近くだ。早くしないと間に合わない」
「って、あと1時間20分あるぞ?」
「5時までに良いポジション確保しておきたいからね。じゃないと2分以内で売り切れるから、買えないんだ」
「そ、そうか。それは大変だな」
「うん、大変だよ。精肉売り場は競争率高くて」
のんびりした口調で博明は言った。高松はため息をつく。それに気付いて、博明は怪訝そうに眉をひそめた。
「どうかしたの、高松」
「……いや。ところで笠置、お前の家ってどこら辺?」
「え? 浜の方だけど、何で?」
「明日の朝、迎えに行く」
高松の言葉に、博明は目を丸くした。
「何で?」
「一緒に登校しよう」
「何でだよ。高松の家って別に僕の家と近くないだろう。時間と労力の無駄だ。だいたい男同士で登校して、何が楽しいんだ」
「一人よりは楽しいだろう?」
「別に僕とじゃなくても良いだろう」
「お前、そんなに俺といたくないのか?」
「それ、どういう意味なんだ? 気持ち悪いよ、高松」
「……気持ち悪いとまで言うか?」
高松はガックリした顔になる。
「お前のこともっと知りたいと思っただけなんだよ、笠置。だって同じ中学のやつも、同じクラスのやつも、お前がどういう性格で、どういう趣味で、普段何考えてるか全然知らないんだぞ。気になるじゃないか」
博明は唖然とした。
「何、それ」
「お前の書いた詩が好きだからさ」
少し照れたように高松は言う。
「書いた本人がどんなやつなのか知りたいんだ」
「……頬を染めて言われると、ますます気持ち悪いんだけど」
博明が心情込めて言うと、高松はカッと赤くなった。
「ひ、人が恥ずかしいのを堪えて真剣に正直に答えてるのに、お前というやつは!」
高松が怒鳴ると、博明は肩をすくめた。
「いや、だって。可愛い女の子ならともかく、むさ苦しい男に赤くなられても。僕だって困るし」
「……良く判った」
高松の感情を押し殺した声音に、博明はきょとんとした。
「お前は可愛い女の子ならともかく、男とは登下校したくないんだな」
「朝っぱらは見たくないって言ってるだけだよ。帰りはどっちでも良い。迫られたりしないなら」
「誰がいつ迫った」
「今。自宅教えろとか、一緒に登校しろとか」
「迫ったわけじゃないだろ!」
高松は怒鳴ったが、博明は頓着しない。
「じゃ、タイムセールがあるから。また明日」
そう言って、何か言いかけた高松を残して、スーパーマーケットへと走る。
ダッシュ5分で程なく着いた。精肉売り場へと足早に向かう。従業員出入口付近で、商品を見ているフリでスタンバイする。
高松に言った事は、別に嘘じゃない。全て本音だ。だが、隠している事もある。
(あんまり長く一緒にいると、誤って見ちゃうかもしれないからな)
博明は嘆息する。博明なりに配慮しているつもりなのだが、全く伝わってない事も判っている。
「悪気はないんだろうけど、困るよなぁ」
それは特殊能力だとか特技などという立派なものではないと博明は思う。
何か博明に特技があるとしたら、夢を見る事だ。それは、昼夜関係なく不意に訪れる夢。博明以外誰一人見る事のない、リアル過ぎる白昼夢。
肉の冷蔵パックを見つめていると、不意に眩暈と耳鳴りに襲われ、肉切り包丁が目の前にフラッシュバックする。
(まただ)
博明は耳を押さえて深呼吸する。ここ3日間、ずっとそうだ。この売り場にいると、必ず決まった時間――午後4時間13分――に同じ夢を見る。
両手を掲げて、肉切り包丁から身を守ろうとして腕を切りつけられ、悲鳴を上げてその場に座り込む。なおも襲いかかる刃物に絶叫を上げる女性。
そこで暗転する。
(夢だ。ただの夢)
やけにリアルなだけで、他愛のない夢だと思う。いや、思いたい。
このようなリアルな夢を見るのはこれが初めてではない。だが、こんなに残虐で猟奇的な夢は初めてだ。
(そんな事が現実にある筈がない)
だから、今日こそタイムセールの商品を手に入れるつもりだ。それで判る筈だから。
耳鳴りが収まらない。それどころか頭痛も加わった。
『……るしい』
幻聴が聞こえる。
『苦しい、助けて』
見知らぬ女の声。
『私を助けてよ』
「うるさい」
思わず幻聴に話しかけてしまう。
『どうして。どうしてなの。どうして助けてくれないの』
その気配は奥から漏れてくる。その気配が何から発されているか、博明は判っていた。
(肉だ)
タイムセール特価品の豚肉。
油断すると嫌な想像が脳裏を駆け巡る。だが、そんな筈がないのだ。このスーパーは物心ついた頃からずっと利用している。老舗で実績があり、信頼できる店だ。その筈なのに、いくらタイムセールとはいえ、おかしな物を売ったりする筈がなかった。
(信じたいんだ)
そんな筈がないという事を確認したいのだ。
だから震えながらもじっと辛抱強く、その時を待つ。
――To be continued. Next 4th story is "Panic".
もしこんな事があったら恐いな、と思った妄想を小説に書いてしまいました。
なるべくリアル・深刻・グロテスクにならないよう淡々とサッパリめに書いたつもりです。
不快感を覚えるようでしたら、すみません。
場合によってはこの作品毎削除いたします。