第12話 森の中
後半に少々グロテスクな描写があります。
苦手な方はご注意ください。
世の中の人は千差万別
仮に自分と似た人がいたとしても、同一の存在はない
それは判っているけど
時折、それがどうしようもなく
苦しい
仕方ないことだと、知っていても
(執筆者 笠置博明)
博明は憂鬱なまま授業を受け、とりあえず何事もなく放課後を迎えた。
それを喜ぶ気分にはなれないが、何かあるよりはマシだ。といって、気持ちが晴れるわけでもない。
(……なんでこんな思いしなきゃならないんだ)
溜め息をつきながら思う。手早く帰り支度を済ませると、校門を出た。
どうしたものかと思いながら、家の近くの商店街を目指す。
今朝の出来事を思い出して嘆息する。無視できるものなら無視したい。
今日はどうやら尾行されてはいないようだ。気配や視線を感じない。
もしかしたらこちらに気づかれないように監視されてるのかもしれないが、正直どうでも良かった。
(気は進まないけど、とりあえず質屋の近くに行ってみるか)
学生服の内ポケットに入れていた写真を外ポケットに移し、商店街の外れにある質屋へ向かう。
店の隣にある自販機の前で立ち止まり、布越しに写真に触れて集中する。
脳裏に思い浮かべるのは、中西という若い刑事の左指にはめられていた指輪と、写真に写っていた対になる指輪。
刑事のものは石はなくシンプルなデザインのプラチナ製の指輪。対の指輪は0.02カラットの小さなダイヤモンドの石が埋め込まれた他は同じデザインのもの。
『……て』
博明は虚ろな目つきであぁ、と憂鬱に呟く。
『……助け、て』
それは苦しげな死者の嘆き。弱くかすれた女の声。だけどそれには、強い執着が感じられる。
『恐い、暗い、狭い、苦しい、痛い、辛い……助けて、助けて、篤弘さん』
念のため刑事に渡された名刺を確認する。そこに記された名前は中西篤弘。
(間違いなさそうだな)
名刺を胸ポケットにしまいながら、憂鬱に眉をひそめる。
もう一度写真に布越しに触れながら、先程の思念をたどり、集中する。 どうやらこの質屋にはないらしい。しかし、幸い遠くはないようだ。
確認のため、質屋の狭い店内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」
三十代半ば程に見えるスーツ姿の男が、柔らかく穏やかな声をかけてくる。
「すみませんが、この指輪を見た事はありますか?」
ポケットから写真を取り出しカウンターに置きながら、博明は尋ねる。
『……けて……た……て……す……助……』
弱々しく切れ切れながら、女の苦しげな囁き声が脳裏にこだまする。
男は訝しげに博明を見る。
「君は……高校生?」
見ればわかるだろうと思いながら、博明は頷く。
「この店にあるようなら後日引き取りたいのですが。心当たりはありますか?」
こちらを探るような、検分するような目で、しかし口元には営業用の笑みを浮かべたままで、男が答える。
「……当店にはございませんね」
嘘ではない。おそらくそれは本当だろう。微かに思念は残っているが、指輪の気配はここにはない。店の外で感じた思念の方が強かった。
「わかりました。お仕事中、失礼しました」
頭を下げ、男に背中を向ける。何か言いたげな視線を感じつつ、店を後にする。
店外に出たところで左右を見回し、気配を探る。若干右手の方が、女の声が強く感じられたので、そちらへ足を向ける。
途中、顔見知りの主婦や小学生に会って簡単に挨拶を交わしながら、ゆっくり歩いた。
助けてと恋人の名を呼び続ける女の声を繰り返し聞き続けると、鬱度がどんどん増し、顔が強張ってくる。
青白く固い表情で、溜め息すらつけない重い気分と足取りで歩く様は、幽鬼のようである。
糸のようにすがめた目つきで虚空に視線を彷徨わせ、時折立ち止まり左右を見回し、方向転換して歩き去る。
彼に近寄ったり声をかける者は段々減っていき、その内不気味なものを見るように目を逸らす者が増えていく。
博明はそれに気付いているのか気付かないのか、全く気にする様子なく歩いて行く。
何度目かの角を曲がり、狭く入り組んだ路地裏の突き当たりの木塀の前で僅かに首肯し、それまでより早めのペースで木塀に沿って歩き始める。
表札も呼び鈴もない裏門――古い木戸を見つけ、立ち止まる。
『……て』
そこには見知らぬ女の幻影が、博明を手招きしている。女の身体を透過して荒れ果てた民家の壁が見える。
窓の障子はボロボロに剥がれ変色している。その奥に斜めに倒れた戸棚やその下敷きになったソファが見える。
「……さすがに不法侵入はまずいよな」
半透明な女の顔は俯き、無造作に垂れた長い黒髪で見えない。
薄紫色のワンピースを着た裸足の女。足は泥か何かで汚れている。
しきりにこちらに手招きしているが、手を掛ければ簡単に開けられそうだが、一応は内側から閉められた木の門扉に手を触れる気にならず、代わりに名刺と携帯電話を取り出した。
「……もしもし」
五回目のコールで出た相手に声をかける。
『……笠置君、かい?』 中西刑事の声。
「港陽町二丁目四番地の民家。たぶんそこの裏庭、だと思います」
そう告げると、刑事は深い溜め息をついた。
『……有難う』
「いえ」
案内はいりますか、と聞くべきか一瞬悩むが、そこまでする義理も責任もない。警察はその道のプロだ。そこまで関わる必要はない。下手に関われば、疑われかねない。
これまでの経験で判っている。人は理解し難いもの、得体のしれないものに、恐れたり嫌悪感を抱く。忌避されるだけならまだ良い。だが、それらの感情は時に攻撃的に表れる。
危害を加えられるのも、疑われるのも、懲り懲りだ。
「では、失礼します」
『……待ってくれ』
「はい?」
『君は今、何処にいる?』
嫌な予感がする。
「現場付近……ですけど」
『今から向かう。暫く待っててくれ』
「え? ちょっと待って下さい。なんで俺が……!」
通話が切れた。ツー、ツーという音が不吉に聞こえる。
「……嘘だろ」
ガックリと肩を落として、その場にしゃがみ込んだ。
ああ、聞きたくない。
早くこの場を離れたいのに。
『助けて、助けて、痛いよ、恐いよ、篤弘さん……!』
二十代と思われる女性。薄いブルーのワンピースに銀のミュール。全身泥と血に塗れ、泣きわめき、死にものぐるいで藻掻いている。
笑いながらその女性の上に跨がり、何度も、何度も、ナイフを振り下ろす男。
その顔が狂人のようであれば、あるいは欲望にぎらついた獣のようであれば、まだ良かった。
博明がゾクリとしたのは、その年若い男の顔が、あまりにも平凡な、どこにもいる男の姿で。禍々しいどころか、まるで気に入りの玩具を見つめる少年のように無邪気な瞳だった事だ。
やっている事は恐ろしい、理解しがたい凶悪な狂人のような所行であるにも関わらず、男には狂気も、感情の揺らぎも、罪悪感も、欲望の片鱗すらもない。明るく笑いながら、凶行を楽しんでいる。とても恐ろしい。
せめて、男の心の声が、狂気に溢れているのならばマシだった。だが、男は、心から楽しんでいる。蟻を踏みつぶす子供よりも無邪気に。……憎悪でも、快楽でも狂気でもなく、ただの好奇心。それを行えば人は死ぬという事を知っていて。
それは吐き気がするほど怖気がした。理解したくない。聞きたくない。感じたくない。知りたくない。そんな感情は知りたくなかった。
(……気持ち悪い)
死にそうな青い顔で、目を瞑った。
――To be continued.
Next 13th story is "Fiancée".
久々更新。
だいぶ削って抑えめにしたけど、まぁアレかなと思うので注意書きつけました。
この話読んでる人いるのかな、とか思いつつ(汗)。