第11話 指輪
僕の中に虫がいる
それが時折
ざわざわ
ざわざわとざわついて
どうしようもなく
心が騒ぎ落ち着かない
毛穴から何かが這い上がるような違和感と恐怖
それの名を『不安』と呼ぶのだと思う
きっと
(執筆者 笠置博明)
「それじゃ、行って来ます」
博明が言うと、祖母は苦笑しながら、
「ああ、いってらっしゃい。寄り道はなるべくしないようにね」
博明はどう答えるべきか判らず、曖昧に微笑んだ。弁当を鞄に詰め込み荷物を持って、玄関へと向かった。いつもと同じような朝のようで、いつもとは違う朝だ。博明は寝不足の頭痛と眩暈を抱えて、憂鬱になる。
ため息をつきながら靴をはくと、のろのろと立ち上がり、ドアを開けた。開けて、その場に固まった。
「よぉ、笠置」
門扉に寄りかかり、こちらを見ている高松義典が言った。
「……なんでいるの」
「昨日、学校来なかっただろ。心配したんだぜ?」
「なんで自宅を知ってるんだよ。教えた覚えはないよ」
そう言ってから、博明はギクリと身をすくめた。
「……まさか、本気でストーカー……」
「じゃなくて!」
高松は力一杯否定した。
「お前と同じ中学のやつに聞いたんだよ」
それはそれで十分気持ち悪いと博明は思ったが、あえて口にはしなかった。
とりあえず学校へ行くためには、門扉を通らなくては行けない。家の裏手から行けない事もないが、そちらは海から吹き付ける強風から守るための、防風林が植えられた人工的な山だ。建設されてから何十年も経っているため、野生動物もいる。さすがに熊はいないが野犬がいる。他には野兎や鼠、野良猫など。
一応手入れはされているが、キノコや山菜などは生えていないし、遊歩道など歩きやすい道はない上、迷いやすい。土地勘のない人間が日暮れに迂濶に入り込むと、遭難しかねない場所で、生えているのは松の木だけだ。
ただし、西に向かって歩けばあっさり海に出る。だから滅多に遭難する者はいないし、ましてや自殺するために入る者もいない。しかし、昼間でも暗いため、望んで歩き回りたい場所でもない。
一瞬逡巡したが、諦めて門扉へと向かった。
「広くて大きな家と庭だな。それにあれ、日本庭園っていうの、そういう感じだよな。家も古いけど旧家って感じでドッシリして」
「……古いだけだよ」
博明は無愛想に呟く。
「は、何? 機嫌悪いのか? それとも体調悪いだけなのか?」
「本当、迷惑なんだけど」
博明が言うと、高松は顔をしかめた。
「あ? 心配して来てやったのに、そういう言い方あるかよ?」
「……来てくれなんて誰も言ってないし」
博明が言うと、高松はムッとした顔になった。
「そりゃそうだけど、そういう言い方ないだろ。感謝しろとまでは言わないけど、少しは配慮して話せよ。そういう喋り方するから友達いないんだろ」
「……放っておいてよ」
博明は憂鬱に呟いた。
「おい、何、そんなに落ち込んでるんだよ」
「落ち込んでる?」
博明は眉をひそめる。
「ああ、落ち込んでるだろ。元気だったら、眠そうなのんびり顔で辛辣な事言って噛みついてくるじゃないか」
博明は苛立った。
「高松が僕の何を知ってるって言うの」
厳しく冷たい口調で言って睨みつけた。高松は硬直した。
「高松が僕のことを分析して語れるほどの何かを知ってるとは思わないけど」
そう言うと、高松は唇を噛み締めた。
博明はそれから目をそらして、門扉に手をかけて開き、外に出る。
「僕に構わないで」
そう言って高松の傍らをすり抜けようとした時、腕を掴まれた。
「!」
「……笠置」
博明は高松の腕を振り払った。
「何だよ!」
「……確かに俺は笠置のこと、何も知らないよ。だけど、笠置だって俺のこと何も知らないだろ」
「だから何だよ。何が言いたいんだよ」
「……なんでそんなに頑なわけ? 少しは親しくなれたんじゃないかと思ったのは俺の気のせいかよ?」
「そうだろ。いい加減しつこいぞ。気持ち悪いんだよ」
博明がそう言うと、高松は傷付いた顔になった。
「……そうかよ。そりゃ悪かった」
そう言って、高松は博明に背を向けた。博明はどきりとした。
(な、何だよ、今の顔。僕のせいだっていうわけ? 迷惑被ってるのはこっちだってのに)
罪悪感を覚えて、博明は小さく舌打ちした。
それから足早に歩き出し、高松の背を追い越すと、歩調をゆるめた。
「……笠置?」
高松は間抜けな声を上げた。
「……目的地が同じなんだから、仕方ないだろ」
博明はぶっきらぼうに言い放った。
「あ、ああ、そうだな……」
高松はしょんぼりした声で言った。
「『気持ち悪い』は言い過ぎだった」
「笠置?」
「だからといって謝らないぞ。僕は悪くないからね」
「……素直じゃないな」
ぼそりと言った高松の言葉に、博明は目を剥いた。
「は? 何気持ち悪いこと言ってるんだよ」
「……別に。独り言だし」
博明は渋面になり、歩調を速めた。すると高松もついてきた。
「ちょっと! なんでついて来るんだよ!」
「方向が同じだから仕方ないだろ」
「ふざけるな!」
叫んで、足下にあった紙片を踏みつけた時、キィンと鋭い耳鳴りと頭痛に襲われた。
「!」
一瞬、眩暈に襲われよろめいた。
「っと、大丈夫か? 笠置」
高松が身体を支えて、転倒を免れる。
しかし耳鳴りは治まらない。
『……って……ろ』
ドクン、と心臓が脈打った。
『拾って見ろ。三度目のメッセージだ』
しわがれかすれ、歪んだ男の無感動な声。
博明はビクリと肩を震わせた。恐る恐る下を見ると、そこにあの名刺が落ちていた。ゾワリ、と冷たいものが背筋を這い上り、全身から冷たい汗がふき出した。
今度は拾いあげなかった。恐る恐る足を上げ、少しずつ後退った。
「笠置?」
高松が不思議そうな顔になる。近寄ろうとする高松に、博明は怒鳴った。
「来るな!!」
ビクッと高松は足を止めた。その数歩先に名刺がある。
「頼むから僕に構わないでくれ」
博明は冷や汗を拭いながら言った。
「……え?」
切実な口調で言う博明に、高松は驚いた顔をした。
「笠置?」
「……迷惑だ」
博明が硬い口調で言うと、
「そうか」
とガックリ肩を落として立ち去った。それを博明はじっと見送った。
『賢明な判断だ。学習能力はあるようだな』
博明はギリリと唇を強く噛み締めた。
「何なんだよ」
唸るように呟いた。
『ヒントをあげよう。木の葉を隠すなら森の中。なら、指輪を隠すなら?』
「……宝石店?」
一瞬考えて、直感で答えた。
『ブー、ハズレ。宝石店では滅多に古いアクセサリーは扱わない。というか、余程のものじゃないと、置いても売れない。手頃な値段なら手垢のついていない物の方が喜ばれるからな』
「じゃあ、古物商? 質屋とかリサイクルショップとか骨董品店」
『さあな。後は自分の足で歩いて探せ』
「…………」
博明は渋面になった。
「……何故、こんなことを?」
『ゲームだ。人生は適度な刺激がないと退屈だ。退屈が嫌なら、何か起きるのを待つより、自分で事を起こした方が早い』
「!」
博明は名刺を睨みつけた。
『ちなみにこの名刺は、その役目を終えたら消滅する』
その言葉に、博明は弾かれるように後ろに飛んだ。数秒遅れて、名刺がボンと音を立てて燃え上がった。
「……テレビや映画の真似かよ」
博明はぼやいた。もう声は聞こえなかった。博明は深いため息をついた。
「……だけど、今日は学校へ行くぞ。もうこりごりだ」
言い訳のように呟き、その場を後にした。
――To be continued.
Next 12th story is "In the forest".