第10話 愚者
踊れ 踊れ
愚者のように踊れ
嫌な事を忘れられないなら
苦痛から逃れられないのなら
時には
理屈や正義より
それが必要だ
道化になりきれないなら
演じるだけで良い
心が 身体が
軽くなるとは
限らないけど
(執筆者 笠置博明)
「博明」
ドアが開いて祖母が現れた。博明は驚き、思わず立ち上がる。
「ばあちゃん!」
いつも通り穏やかに、しかし少々困ったような笑みを浮かべて立っている祖母の姿に安堵する。
「ごめん、ばあちゃん」
「全くだね」
頭を下げた博明に、祖母は吐息と共に言った。
「足腰が痛むんだから、年寄りをこき使うのはよしとくれ」
「……ごめんなさい」
博明はうなだれるようにうつ向いた。
「ともかくまぁ、一応話はつけたから帰れるよ」
「え?」
なんで、という顔になった博明に、祖母はニンマリ笑ってから、くるりと背を向ける。
「な?」
困惑する博明に、同じ室内にいた男が言った。
「あの噂、本当なのかな。あの人が署長の恩人の姉だっていう。君は、失せ物探しが得意なんだろう? 君の家系はそういう人が多いのかな」
博明は返答しなかった。知らない事は話せない。それにこの男は何となく気に食わなかった。
「だったら人は捜せないのかい。物は探せるんだろう。それとも人は、物と違って自力で移動するから無理なのか?」
男の言葉に、博明は考える。物を探す時は、それに対する人の思念を手掛かりにする。それはとてもシンプルだ。だが、生きている人間の思惟や思考は複雑だ。とりとめがなく形や意味を捉える事も難しい。
少なくとも生きて生活している人間は、24時間365日、同じ事を考えたりはしない。一瞬一秒でめまぐるしく変化するし、複数の事を同時に考えたり、逆に曖昧過ぎて何も読み取れない事もある。
例えるなら思念は、色も形もない声や音たけで出来ているようなものだと博明は感じる。必ずしもそれは意味があるわけではないし、具体的なイメージがあるとも限らない。感じ取った物に具体的なイメージをあてるのは、博明自身の感性・感覚だ。だから必ずしも本人が抱いているイメージと一致するとは限らない。あくまでそれは、博明の第六感ともいうべき感覚が捉えた情報を、脳が勝手に処理して幻覚・幻聴として見せるのだ。それは必ずしも現実ではない。現実的な幻覚と非現実的な事実の違いを区別する事はできない。偽装と本音を区別する事もできない。だから、余程特異な特徴がない限りは、思念だけで人を区別する事は難しい。また、あまりに離れた場所の思念を感じる事もできない。
人は嘘をつく生き物だ。自分を装う事ができる。だから、生きて思考する人間を思念や気配をたどって捜す事は、非常に困難だ。
だけど、たぶん不可能ではないと、博明は考える。ただし、良く知っていて馴染みのある人間じゃなければ、たぶん無理だと思う。そこまで万能ではないし、精度が高いわけでもない。得た情報の分析が必要になる。予備知識がない人間のAという印象とBという印象を結びつける事は困難だ。
「少なくとも、相手が知人や親戚じゃない限り、何処にいるか判らない犯罪者を捜し出すなんて事はできませんよ」
そう言うと、男はがっかりした顔になる。
「なんだ、そうか。それは残念」
そこへ先程の永沢がやって来る。
「無罪放免だとよ」
永沢は吐き捨てるように言った。
「おい、中西。お前、玄関まで送ってやれ」
「はい、判りました」
男の名は中西というらしい。
「じゃ、行こうか、博明君」
慣れ慣れしく肩に手を置かれて、博明は眉をひそめた。だが、中西は気付かない。動こうとしない博明を促すように、ポンポンと肩を叩いて、
「おばあちゃんも待っているよ」
と言う。博明は顔をしかめたが、腕を振り払う代わりに無言で歩き出した。
「指名手配の犯人とかの居場所を突き止めるのは無理だとしてもさ、例えば犯行に使われた凶器なんかは見つけ出せるのかい?」
「さあ。やった事はありませんから。でも一つだけ言えるのは、所有者が見つけたいと思っていない物は見つけられません」
「……あ〜、役に立つようで役に立たないね。君の特技」
博明はムッとした。別に役立てようと思った事はないし、役に立ちたいと思った事もないのだが、中西の言い方は気に障った。
「じゃあさ、なくした結婚指輪とかは? 何処で落としたかは全く不明なんだけど」
明るい軽い口調で中西は言った。だけど、その中に僅かに暗い悲しみのような物を感じて、博明はドキリとして振り返った。
「俺のじゃなくて、俺の彼女のなんだけどね」
中西は苦笑を浮かべて言った。
「結婚指輪、ですか?」
「そう。俺が半年ほど前にプレゼントしたんだけどね。見つからないんだ」
博明は首を傾げた。中西の左薬指には結婚指輪らしきものがはめられている。
「それとペアなんですか?」
「そうなんだ」
中西はこくりと頷いた。
「半年前なら、もう結婚とかは?」
「事情があってね。結婚はしてないんだ」
そう言った顔が、笑みを浮かべているのに少し淋しげに見えて、博明は中西が振られたのだろうかと考えた。
「暇な時で良いんだ。見つけられたら、見つけてくれると嬉しいなって。あ、これ、俺の連絡先」
そう言って、中西は名刺を渡した。携帯番号とメールアドレスも記載されている。
「見つけたら連絡しろって事ですか?」
「個人的な理由だから、お礼に食事か何か奢るよ。未成年だからアルコールはなしでね」
「…………」
博明は無言で中西を見つめた。悪意はなさそうに見える。だが、何を考えているかは良く判らない。ただ、見た目ほど単純な理由ではなさそうだと感じた。
「あ、写真いる?」
「……引き受けてはいないんですけど」
博明は言ったが、中西は気にせず一枚の写真を手渡した。
「探して欲しいのは、この指輪ね。あ、そうそう。何処で見つかるかは全然判らないんだけど、できれば素手では触らないで欲しいんだ。なるべく手袋とか使ってくれると嬉しいな」
「……は?」
博明はきょとんとした。
「それ、どういう意味……」
「ま、本当、暇な時で良いからよろしくね。じゃあ、俺はまだ仕事あるから、また」
中西は言いたい事を言って、去ってしまった。博明は呆然と見送る。
「博明」
祖母の声に、博明は振り向いた。
「急げばタイムセールにギリギリ間に合うよ。今日は和牛ハンバーグらしいよ、博明」
それを聞いた博明はため息をついた。
「暫くタイムセール品は良いよ。思い出すから」
答えてから、博明は思う。
(あんな事があったのに、皆良く平気で食べられるよな。僕には当分無理だ。鶏肉くらいならなんとかいけそうだけど、それでも微妙だし)
さすがにあの事件の起こった店は捜査のためもあって休業中だが、グループ支店などは通常営業を続けている。新聞やニュース、ワイドショー等で、事件は取り上げられてはいるが、タイムセールを自粛する様子はない。またそれを忌避する消費者もいないようだ。
(所詮は他人事なんだろうな。でなければタフなのかも)
博明はため息をついた。
「なんだい、博明。暫くは肉の代わりに豆腐でも食べる事にするかい?」
祖母がニヤリと笑って言った。
「その方が良いかも」
博明が正直に答えると、
「だらしがないねぇ」
と言った。博明は苦笑した。
――To be continued.
Next 11th story is "Ring".